Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2012年06月30日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「中国故事」羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く
 戦国も末(B.C.300年頃)の時代は、秦が勢威を大いに振るっていて、対抗できるのは斉と楚の二国ぐらいですから、秦は絶えず楚と斉の連携を恐れていました。時に、合従連衡の「連衡」で有名な秦の宰相の張儀の策に、楚の懐王が斉と絶交すれば秦の六百里の土地を与えると言われ、斉と絶交するものの、張儀の真っ赤な嘘と解かり、怒りに任せて秦を攻撃しますが、かえって秦に破れ土地を奪われる結果となります。
 その後、秦は両国相互のためと称して楚の懐王を招きますが、此の時、楚の王族の屈原が秦のやり方は信じる事が出来ないと、懐王をとどめようとします。しかしながら、懐王は王子の子蘭のたっての勧めで出掛けてしまい、秦の虜となり客死します。
 懐王の死後、太子が襄王となり其の元で宰相になった襄王の弟子蘭を、祖国愛に燃える屈原は懐王の死の責任を問いますが、頃襄王の令尹(丞相)に屈原が嫌いぬいた子蘭がなったために屈原は政界から再び追われて、江南に左遷された。その後、秦により楚の首都郢が陥落した事で楚の将来に絶望して、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺ます。後に屈原の無念を鎮める為、また、亡骸を魚が食らわないよう魚の餌として人々が笹の葉に米の飯を入れて川に投げ込むようになったと言われ、これがちまきの由来です。かくて十年余の間、国外に出る事もなく洞庭湖あたりを彷徨い、鬱憤冷めやらず「懲於羹而吹韲兮、何不変此志也」の以下を詠います。我以上に君を思い忠誠を誓う士のいないことを歌い、にも拘らず衆人に疎外されたことを憤り、孤独に嘆きながらも、節操だけは変えないと心情吐露しています。「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く」とは一度の失敗に懲りて度過ぎた用心をすることを言います。

屈原1
ブログランキング・にほんブログ村へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年06月30日 07時29分49秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: