Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年07月03日
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カテゴリ: 夢有無有
「中国故事」石に漱ぎ流れに枕す
 中国・三国時代および西晋の頃、当時は老荘の学盛んなりし時、世俗の道徳名聞を軽視して老荘の哲理を談ずることが重んぜられ、隠遁を求める傾向が強く、清談と称して士大夫の中に流行し、特に竹林の七賢は有名でした。孫楚も若い頃、その風潮をしたって山林に隠れようとしますが、40歳を過ぎて魏に仕え、揚州の対呉の最前線を守る鎮東将軍の石苞の参軍事となる。あるとき、魏の実権を握る司馬昭は呉へ降伏の使者を遣わしたことがあったが、このときの石苞の命令で呉への降伏勧告状を作成したのが孫楚です。
 その孫楚が若かりし頃、俗世を離れて山林中に隠れんと、親友の宰相の王済(おうさい)に向かって、「わたくしは石を枕(まくら)とし、川のせせらぎで口をすすぐような、自然なままの暮らしをしたいと思っております。」と言おうとして、うっかり間違えて「石で口をすすぎ、流れに枕するような生活をしたいと思っている。」と言ってしまった。すかさず王済が「せせらぎは枕とすることができず、石は口をすすぐことのできるものではない。」とひやかすと、孫楚は、「せせらぎに枕するのは、俗事で汚れた耳を洗いたいからで、石で口をすすぐのは、歯を磨こうと思うからです。」と負け惜しみを言い、とうとう誤りを認めようとしなかった。
 王済(おうさい)だけが彼の真の知己であった。王済は、飛び抜けて豪奢(ごうしゃ)な生活と、それでいて人前で歯に衣(きぬ)着せぬ剛直な人柄で有名であったが、孫楚と気の合う点があったようである。王済が死んだとき、孫楚は彼の棺にすがって泣き、「生前あなたは私が驢馬の鳴きまねがうまいと褒めておられたから」と言い、驢馬の鳴きまねをしてみせた。人々が笑うと、孫楚はにらみつけて、「このような立派な人が先だって、おまえたちのような奴(やつ)らが生き残るとは。」と言ったという。
 この話は「晋書」孫楚伝、「世説新語」の中にみられますが、負け惜しみの強いことをいう言葉として古来もてはやされ、「さすが」という言葉に「流石」の文字をあてるのも、この故事を踏まえての事です。夏目漱石の号が此れに由来するのは有名です。

竹林の七賢1
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最終更新日  2012年07月03日 06時07分25秒
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