Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年11月04日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」聖王以降の王達46 (列王記下)ユダ存続の戦いとバビロンの覇権 
 ヨヤキン(エホヤキン)は十八歳で王となり、三か月間エルサレムで王位にあった。その母は名をネフシュタといい、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。彼は父が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。そのころ、新バビロニア王国(カルデア王国)の王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻め上って来て、この都を包囲した。部将たちが都を包囲しているところに、バビロンの王ネブカドネツァルも来た。ユダの王ヨヤキンは母、家臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治世第八年に彼を捕らえた。主がヒゼキヤに告げられたとおり、バビロンの王は主の神殿の宝物と王宮の宝物をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが主の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻んだ。彼ネブカドネツァルはエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。彼はヨヤキンを捕囚としてバビロンに連れ去り、その王の母、王妃たち、宦官たち、国の有力者たちも、捕囚としてエルサレムからバビロンに連行した。更に、バビロンの王はすべての軍人七千人、職人と鍛冶千人、勇敢な戦士全員を、捕囚としてバビロンに連れて行った。そして、バビロンの王はヨヤキンに代えて、そのおじマタンヤを王とし、その名をゼデキヤと改めさせます。そのゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をハムタルといい、リブナ出身のイルメヤの娘であった。彼はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行います。エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した。ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。その月の九日に都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、都の一角が破られました。カルデア人が都を取り巻いている中、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って逃げ出し、王はアラバに向かって行った。カルデア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いついた。王の軍隊はすべて王を離れ去ってちりぢりになっています。王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けます。彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
 ネブカドネザルは,ユダを支配したエホヤキムの第4年になって初めて、カルケミシュでの勝利によってシリア‐パレスチナに対するエジプトの覇権を覆した(西暦前625年以降)。エホヤキムは約11年間王座に就いた後、バビロンに背いたために失墜、バビロンに対する従属者としての3年間が始まったのは、その支配の第8年の終わりごろ、西暦前620年の初頭でしょう。
ネブカドネザルがエルサレムに攻めて来て,これを包囲、またエホヤキムが神殿の幾つかの器具と共にバビロンの王の手に渡された。ところが,列王記では、エルサレムがバビロニア人に包囲されたことを述べ,最後に降伏してバビロニア人のもとに下ったのは、エホヤキムの子エホヤキンであったことを示しています。ですから,エホヤキムは都が包囲された間に、多分その初めごろに死んだようです。エレミヤによる主エホバの預言は、エホヤキムがふさわしい仕方で葬られず、その遺体はエルサレムの門の外に放置され、昼は太陽の熱に、夜は霜にさらされるようになることを示唆していました。エホヤキムが一体どのようにしてネブカドネザルの手に渡されたのかは、明らかにされていません。それは、エホヤキムが包囲状態の中で死に、後にはその子が出て行って捕らわれの身とならざるを得なくなったため、エホヤキムの家系はネブカドネザルの手に掛かって王権を失ったという意味なのかもしれません。ネブカドネザルがエホヤキムを殺し、その死体をエルサレムの城壁の外に投げ捨てるよう命じたというユダヤ人の伝承(ヨセフスによる記録)を確証することも難しいでしょう。エホヤキムがどんな手段で殺されたにせよ、ネブカドネザルがエホヤキムをつなぐために持って来た銅の足かせは、計画通りには使われなかった模様です。エホヤキムの属国の王としての第3年に、エルサレムが包囲された後、高貴な人々や王家の成員を含め、ダニエルやほかのユダ人が流刑囚としてバビロンへ連れて行かれました。それよりも前のバビロンへの流刑に関する記録は一つもないので、この出来事はエホヤキムの後継者エホヤキンの短い治世中に起きたとしか思えません。

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最終更新日  2012年11月04日 07時06分52秒
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