Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年11月21日
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カテゴリ: 夢有無有
「神」の定義(11)旧約聖書から神を観相
 神は、宇宙に於ける運動・時間性を離れた永遠、瞬間の永遠、神は常に今なる永遠たる存在「今そのものが即永遠」として宇宙の存在に何百億年、何千億年の時間の流れが現在に至っていようとも、その期間と共に、またそれを越えても、常に、今なる現存在なのです。神が「私は初めであり、終わりである。」という聖言を旧約聖書で人に与え表明したのは、人間の思惟・考えの言葉表現規定を超え、人の深層心理に於ける理性で捉えられる「直覚」のみで捉えられる存在、時間も永遠もその存在を規定することは出来ないにしても、それでも人は言葉で以って語り、讃え、愛することの許されたる資質的特権に預かりうる絶対精神を付与された唯一の存在なのです。人間との係わりにおいては、敢えて絶対存在が存在自身を規定、宇宙、人間その他全てを包括、包み込んだものです。。神の言葉は、死人の言葉にあらず、活きて永遠に働いている、生ける言葉だと云われます。現在という高度な知識社会の時代に在っても宇宙存在の初めを追求してやまないのは、神がその「初め」にかかわる存在であり、人がその精神意識にあって、その初めに至らんとしていることへの精神事象であり、その人間事象事態がまた、神の「初めであり、終わりである。」という言葉がその存在規定を代表します。、人間の々の事象的始まりもまた、神との係わりにおいてその個々の「初め」を現実化していること、そのすべての起源が人間独自に根ざしたものではないことは明白でしょう。
 大乗八宗の祖、竜樹は無と有を否定し、世界に於ける理法存在其のものを、原因も無いし結果も無い「空」なるものとして、全てを仏に帰しています。釈尊が絶対的有の存在の「神」を否定しているので、興味津々たるものが仏教哲学にはあります。

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最終更新日  2012年11月21日 06時58分08秒
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