「思考と直覚」スコラ哲学の普遍論争(八十) スコラ派哲学とは英語の「School」と語源を同一にするように、基底とする概念においても学派の中では違いが見出されます。特に顕著に現れているのが存在一般に問われる「普遍」の解釈です。此の普遍をめぐっての哲学上の論争(the philosophical theory of universalism)が史上に記されるほど有名なスコラ哲学において「普遍は存在するか」という問いをめぐって争われた哲学上・神学上の論争です。自明的に存在すると考えられた個別的な事物に対して「類の概念」複数のものの述語となるものと定義され、例えば「カテゴリー」基本的な分類として捉えることが可能です。アンセルムスなどの実在(実念)論者は、イデアが事物より先に立ちそれ自身において存する点に鑑み、アダムによって堕落しキリストに救済されることが成り立つためには、人類という普遍者が存在し、それが人間の本質として前提されなければならないと考え、其のことの是非を疑うならば、アダムの原罪もキリストの受難も単なる事実に過ぎず、人類全体の救済という普遍的な意味を持ち得ないとします。対して普遍は個物のみが実在し人間なるものや植物なるものは実在しないし人間の知性がカテゴリー的に分類した抽象的産物とするのが「唯名論」です。此の論理に従えば「類(universal)は個物の後の人間による分類だとなります。更には其の両者の調停的思索を試みたのが概念論で、パウロやアウグスティヌスと並び立つ人物といわれ、神の使いのような博士と呼ばれ、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築した中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者でありシチリア王国出身のドミニコ会士「神学大全」で知られるスコラ学の代表的神学者トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)は神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図り其れを概念化します。アベラルドゥスなどは普遍は個物の中に或いは個物に則してのみあるとまで言わしめます。所謂、概念論とと呼称されるものですが個物を上位に持ってくることに難があります。「普遍」を東アジアの思考の巨鳳「龍樹」的に思考すれば其れ等の論争も些末な事で全ては「空」理論が解決します。