「思考と直覚」デューイとラッセル(百五十八) 新実在論を主張する巨匠に、アメリカの哲学、教育哲学、社会思想家で、チャールズ・サンダース・パースやウィリアム・ジェームズとならんでプラグマティズムを代表するジョン・デューイ(John Dewey/1859-1952)、イギリスでは第3代ラッセル伯爵ことバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell/1872-1970年)、哲学、論理学、数学、加えて貴族でもあり、イギリスの首相を2度務めた初代ラッセル伯ジョン・ラッセルを祖父に持ちます。名付け親は哲学者のジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去しましたが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えています。生涯に4度結婚し、最後の結婚は何と80歳のときです。デューイは宗教的な制度や実践が人間生活において果たす役割を賞賛する代わりに、たとえば有神論における神のような、なんらかの静的な観念への信仰を拒絶します。彼は科学的方法・実践のみが人間の善をもたらすと考えています。「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」即ち此の言で行くと人間が神の創造主であることになります。片やラッセルはプラクティカリズム(実際主義)としての新実在の同じ土俵に立ちますが、デューイの「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」の言に対して、ラッセルについて、西田幾太郎が雑誌「改造」に掲載、要約すると、ラッセル氏はデューイ氏とは正反対の立場に立っている。新実在論と言えば、実用論者が知識を生活の手段と見做し、真理はすべて主観的で相対的であり、唯、生活に有用なものが真理であると主張するに反し、真理は知るという心理作用を超越し、我々が知ると否とに関せず、真理は真理であり、従って真理は客観的で普遍的であると主張するのである。これの如き新実在論は実用主義や人本主義に反対して起こったものと思われ、英米に於いてかなり行われていると思う。ラッセル氏は英国に於ける新実在論者の中で有力な人ではあると思う。それでは新実在論というものは認識論として如何程の価値を有するものか。これは無論、人々の考えにて異なるであろうが、私は実用主義論にも一種の意義を認めると共に、認識論としては、新実在論の方が正しく真理そのものの性質を明らかにしていると思う。併し私をしてありていにいうことを許されるならば、私はラッセル氏の新実在論には左程期待するものではない。新実在論の如き考えは19世紀の前半に於いて既にボルツァーノがその大著「知識学」に於いて明らかに論じており、近くはマイノングの対象論やフッサールの現象学の中にも含まれている。又、現今我国に於いて多少知られてきた新カント派西南学派の哲学の如き目的論的批評主義として、実用論を深くしたようなところがあると共に、一方に新実在論の如き考えをも含んでいる。近来、独逸哲学と言えば悪くいうのが流行のようであるが、 私はこれ等の哲学はその基礎に於いて、又その範囲に於いて一層深く大きなものがあるのではないかと思う。と述べています。ラッセルはムーアの影響で観念論から実在主義へと転じ、師ホワイトヘッドと数学を記号理論に還元する共同研究で名著「数学原理」(1910年)を著し、社会問題にも関心が深く、第一次大戦の反戦運動で大学を追われ、第二次大戦後も平和運動を推進、1950年にノーベル文学賞受賞、1955年アインシュタインと共に原水爆禁止宣言に参加、1963年バートランド・ラッセル平和財団を創設するといった活躍を見せますが、其の思考方法は同一にしても思想論は七変化します。しかし、イギリス新実在論はアメリカに多大な影響を及ぼし「批判的実在論」の思考を促します。内精神における霊魂存在や絶対存在を両者ともアインシュタインとは相容れず、其の実在を認容していません。即ち直観知なるものを否定しているのです。