Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2015年11月06日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/トマス・アクィナス-22(二百七十三)
 中世の西洋圏においてひときわ哲学論争のテーマとなった「普遍」概念ですが、一般的には全体に広く行き渡ること、例外なくすべてのものにあてはまることと解釈し、 哲学的にも般的には宇宙や世界の全体に関していえること及び特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質、更には普通名詞に対応する項辞ないし概念と解釈するのが凡そ一般的な思考だといえます。インド大陸における「遍在」の語彙、「世界のあらゆるところに、遍く(あまねく)行き渡って存在すること」と意味するところは粗方共通する概念です。ところがトマス・アクィナスは基本的にはアラブ圏のペルシアを代表する知識人で、哲学者・医者・科学者であり、独自の存在の形而上学を完成したアリストテレス主義者であり、ギリシア,ローマ医学の伝統をもつアラビア医学を集大成したイブン・スィーナー(980年‐1038年)の示唆した取り込み普遍三種説を説きます。先ず一に挙げるのが、普遍は神の絶対意思とも捉えられる「神の理性」のなかに個物の観念低典型としてそんざうするが、神そのものが普遍であるからには、普遍が個物に先立つのは言わずもがなのことだということです。第二は、普遍は世界内存在としての自然的事物においては個物に内在するものとして存在しているが、其の内在は個物そのものに在中する。第三には普遍は理性を持つ或いは抱く(いだく)人間の基底に存在するものの、其の理性は個々の事物からの抽象による概念として形成され築き上げられたものであり、普遍は個物に後れることになります。此のトマス・アクィナスの思考論は認識論へと繋がり、普遍は人間の外感覚世界からの物質的刺激による思考過程を経ての「普遍」の認識が「神の普遍」への道程への門口となると解釈しています。

Avicenna1
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最終更新日  2015年11月06日 07時25分09秒
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