Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2017年01月16日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル45/ニーチェ14(六百六十一)
 ニーチェがショーペンハウアーとの哲学的な繋がり、更には社交界にも交友の広かったワーグナーとの交友を断ち切った後には、ニーチェが心許せる友は殆ど残されていません。彼は其の孤高の立ち位置を受け入れます。自らの意思を曲げてまで尻尾を振るようなことの出来得る人物ではありません。孤高の立場から一時は詩人への転向さえ考えます。1885年のニーチェの本分とするところの「ツァラトゥストラ」の4部にしても上梓するが、友人に献本する始末です。ただ、ニーチェ自身は気が付かないにしても、自費出版した1886年の「善悪の彼岸」、其の後1886年から1887年にかけて「悲劇の誕生」や「人間的な、あまりに人間的な」「曙光」「悦ばしき知識」の第2版の著作が再刊たことを捉えて、ニーチェは読者層が伸びてくるだろうと期待しています。事実、ニーチェの思想に対する関心は一部の読者に注目され始めています。妹のエリーザベとは反ユダヤ主義者のベルンハルト・フェルスターと結婚した頃から。対立と和解が悲喜交交(ひきこもごも)と成し、ニーチェの精神が崩壊するまで顔を合わせることはありませんでした。健康状態も改善の兆しを見せるもの、1889年1月3日にはニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し二人の警察官の厄介に、其の後のワーグナー夫人コジマ宛の手紙では、「私が人間であるというのは偏見です。(中略)私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。(中略)アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。(中略)リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。(中略)十字架にかけられたこともあります。(中略)愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」、彼の狂気が始まります。其れも間もなく1900年8月25日にニーチェは肺炎を患って55歳で没しています。狂気のニーチェに相関する者は果たして真実に狂気じみて見てるのかは割愛します。
cap-hiroのプロフィール
釈迦とニーチェとイエス

哲学・思想 ブログランキングへ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017年01月16日 06時06分44秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: