「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想32/宗教の時間観10(六百九十八) 旧教・新教を問わず、神の世界(宇宙)創造は別にしても、創造をたった一度で完了した過去の業に過ぎないという点では共通します。人間の現在時に絶えず不断の創造、永遠の時間・永遠の瞬間として現在を俯瞰し干渉しています。仮に新教が説く世界の終末があるにしても「神」の存在性の傘下にあり、神の普遍と永遠には干渉は及びません。新教ではイエス・キリストの出自と行動が人類史とともに人類史の中心とされ、時間的には紀元前や紀元後(AD and BC)として定義化されます。神は此の次元に干渉を持ち時間的には人類の転換点とし、不可逆的な直線的時間の上に配置しています。新旧聖書の人間世界は神の判断による終末宣言がある迄の仮住まいです。イスラエルのダビデの血脈に繋がる大工ヨセフの子として産まれたナザレのイエス(Jesus of Nazareth)の現出が神の創造が一度で完了した過去の業に過ぎないものではないことを証明します。神の人間世界への干渉であり、イエスを通した創造や贖罪・堕罪、終末や再臨が理解される時、それらのことが不可逆的な直線的時間の上に配置され、また現在の事実として主体的に反復される一定方向への時間の流れを表しています。 cap-hiroのプロフィール 哲学・思想 ブログランキングへ