Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2017年05月25日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ8
 スピノザの肖像画を見ると、ともすれば彼が神職に就いてたかの様にも看取れるが、彼は貿易商であった1654年の父の死後、家業を継ぎ貿易商を営んでいました。但し、日頃の発言や主張が祟り、父の死後2年後には「悪い意見と行動」の故を以(も)って訴因としてユダヤ教団から破門の宣告、次いでユダヤ人社会からの追放処分を受けます。然し乍ら、其れを逆手に取ったのか、ユダヤ人社会からの柵(しがらみ)に囚(とら)われないスピノザのオランダ各地を転々とした学問研究への専念が始まり、「短論文」や「知性改善論」を執筆し、1663年には「デカルトの哲学原理」を出版します。スピノザ伝説にはレンズ磨きを生活の糧(かて)とし、余暇はひたすら思索に没頭した」という逸話が伝わってはいますが、実相は、学識あるユダヤ人の義務として、研究の傍らに、なんらかの技術を身に就(つ)けなければならないということからレンズ磨きをしたとされます。だが、彼がレンズ磨きを学んだときには、ユダヤ教団から破門の宣告、次いでユダヤ人社会からの追放処分を受けており、もはや、彼にとっては無意味なものとなっていましたた。ところで、当時の著名な学者たちの多くか、自己の専門学的研究との関連から、好んでレンズ磨きをしています。デカルトやオランダの数学者であり物理学者で天文学者でオランダの25ギルダー紙幣にその肖像が描かれていたクリスチャン・ホイヘンス及びスワンメルダムやフッデ等々、皆がそうでした。この点スピノザも例外でなかったが、彼はイエレスのいうように光学の研究のために望遠鏡と顕微鏡のレンズを磨いたのです。スピノザの性向として孤独で簡素な生活を愛していたにしても、スピノザの実際生活は当時の社会から孤立していたこともなく、更には極貧に喘いでいたとの風聞は一笑に能(あた)いします。1672年にはルイ14世のオランダ侵略に際して、オランダの専制君主たらんとするオラニエ公ウィレム3世(亦はウィリアム3世)と政治的に対立していたスピノザとは面識があったであろう共和派の指導者ヤン・デ・ウィットが、カルヴァン派によって虐殺されたとしていますが、政治的に対抗する勢力に扇動された暴徒によって虐殺されたのが真相でしょう。然れども、正史はカルビン派教徒の虐殺と看做し記してています。
レンズ磨き

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最終更新日  2017年05月25日 06時24分19秒
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