「思考と直覚」時間と霊魂20 ユダヤ・キリスト教の系統に属する神的な語りが、世界の始まりを「神による無からの創造」としての意図、即ち、被創造者の人間には図り難い絶対存在としての意識を持った存在「神」が謂わば人為的性格が投影された神格性をもって世界を無から「創った」という形容で語るのに対し、東洋圏での神話においては、世界の始まりを「とうから自然にあった」或いは「自然に成った」もの、または「勝手に生じた」ものとして描いているものが少なくないのは何故なのか。この異相は西洋の神話が「造る或いは創る型の神話」であるのに対し、東洋神話が「自然世界を背景に生む型の神話」、「成る型の神話」としての要素を持つものとして対比されることです。将又、ユダヤ・キリスト教・イスラームの系統に属する世界観が「無」から「有」が作られるという「無からの創造」(creatio ex nihilo)の形態を持つのに対し、世界中の多くの神話、たとえばギリシャ神話や、また古代インドに見られる世界生成に関する哲学的思索、日本神話における天地開闢などにおいては、始めに世界の素因「混沌」ありきで、要因である「混沌」から「秩序」が生まれるという「混沌からの生成」の形の説明が多く見れられます。、既存のものから世界が作られるという「物質からの創造」(creatio ex materia)という形の説明が少なくありません。此のことは宗教のみならず哲学の流れを汲む思考には数多くみられる思想形態であり、西欧思想は大きく分けて此の二つの分流が主流を占めます。 哲学・思想 ブログランキングへ