「霊魂論」エチカ詳解103 スピノザの存した近世、人間は夫々に信教や思想の多様化、科学技術の発展に伴う世界観や価値観の変遷は、現代のIT革命時代の人間思考の劇的変化・変革にも比肩し得まる状況でした。信教はもとより、科学的技術革新による世界観の現実世界の論理思考は如何に強権を以って規制しようが、物理科学の発見と新理論、現代ではIT技術特有の特有の象徴であるソース(source)の共有化により、隠蔽しても暴露されるのは衆知の通りです。現代社会に於いては、辛うじて、思想的には「内心の自由」のみが立憲主義を建前とする国家に於いて守られています。唯物主観の歴史は労働者階級が国家権力を王権から奪取したソヴィエト連邦と、多分にマルクス及びレーニンの旗印は掲げるものの中華人民共和国は中国全土の人口の過半を超えた九割(現代でmp80%)を占める農民を主たる労働者に置き換え、農本主義と共産主義をセットにした毛沢東主義である独自の共産主義が成立しますが、スターリニズムの指導者に対する個人崇拝、軍事力や工作活動による暴力的な対外政策、秘密警察の支配を背景とした恐怖政治や大規模な粛清などを特徴とする全体主義傾向は「内心の自由」どころか究極的な「総括」が待ち構えます。其れこそ「内心の自由」どころか「良心の自由」さえありませんでした。中華人民共和国では毛沢東思想の影響下で紅衛兵が見せた「赤い小冊子」を水戸黄門の印籠が如く、黄門様は居なくても其れ以上の毛沢東を持ち出して、毛沢東の黙認のもとで数千万の人民、所謂、農民の敵であるとした知識階級が槍玉にあがり犠牲となります。此のことはマルクス・レーニンの唯物主義が異相の思想を排撃どころか抹殺する例であり共産主義が「内心の自由」を認めない一例です。宗教も異端や他宗派には厳しく当たりますが、イスラム原理主義は別として比較論的には大らかであるとさえ云えますが、スピノザの存した時代は宗教が危機感を抱いていたこともあり、個人への風当たりは強く、スピノザがハムレット的な「No To Be or To Be」と悩むのも無理からず、ソクラテスの弁明の経緯で以って其の行動を批判するのは酷かも知れません。此の点だけのみでスピノザの思想そのものを唾棄するのは誤りです。