「霊魂論」エチカ詳解237(生と死68) 人間が下等生物として区分けする生物、此処では生命と無生物の中間としてのウイルスを含めて、人間を人間ならしめるものとの相違点は何かと問えば、答えは人間の幼児期から発せられる問い「何故に」求められます。此の答えは進化論的な生命科学の歴史的展開からは答えは見い出されていません。「なぜーーー云々以下、幼生期ではなぜ死ぬの?理性獲得期に至っては、なぜ宇宙があるの?(Why is there a universe?)」「なぜ世界があるの?(Why is there a world?)」「なぜ無ではないの?(Why not nothing?)」は自己を否定した虚無主義に陥らない限りは当然に浮上する疑問です。答えとして正答の可能性は、形而上哲学。唯一神教宗教科学が此れ等の問に答えを与える可能性を秘めています。存在論のテーマは突き詰めると「何が在るのか」と「なぜ在るのか」の二つに問いに収束していくと学問的には説明されますが、私見では「何が無いのか」と「なぜ無いのか」の二つに問いに修練します。「無いこと其れ存在」を意識するからです。