Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年05月31日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-65
 スピノザの世界観は宇宙の果て、其の先は考慮の他のようです。世界の果ての其の先が存在すれば、実体無き実体が発現します。此れはスピノザ思考からは不条理です。且つ又、実体無き無限の無を許容する羽目にもなります。
 定理八 すべての実体は必然的に無限である。
 証明 同一属性を有する実体は一つしか存在せず(定理五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない。により)、そしてその本性には存在することが属する(定理七 実体の本性には存在することが属する。により)。ゆえに実体は本性上有限なものとして存在するか無限なものとして存在するかである。しかし有限なものとして存在することはできない。なぜなら、有限なものとして存在すればそれは同じ本性を有する他の実体によって限定されなければならず(定義二  同じ本性の他のものによって限定されうるものは自己の類において有限であると言われる。例えばある物体は、我々が常により大なる他の物体を考えるがゆえに、有限であると言われる。同様にある思想は他の思想によって限定される。これに反して物体が思想によって限定されたり思想が物体によって限定されたりすることはない。により)、そしてこの実体もまた必然的に存在しなければならぬのであり(定理七 実体の本性には存在することが属する。により)、したがって同一本性を有する二つの実体が存在することになるが、これは不条理だからである(定理五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない。により)。ゆえに実体は無限なものとして存在する。Q・E・D・=此れが証明されるべきことだった。とします。
 備考一 有限であるということは実はある本性の存在の部分的否定であり、無限であるということはその絶対的肯定であるから、この点から見れば、単に(定理七 実体の本性には存在することが属する。)だけからして、すべての実体は無限でなければならないことが出てくる。なぜなら、もし実体を有限であると仮定すれば、我々は実体の本性の存在を部分的に否定することになるが、これは前述の定理、実体の本性には存在することが属する。により不条理だからである。
 備考二 事物について混乱した判断をくだし・事物をその第一原因から認識する習慣のないすべての人々にとって、定理七 実体の本性には存在することが属する。の証明を理解することは疑いもなく困難であろう。なぜなら彼らは実体の様態的変状と実体自身とを区別せず、また事物がいかにして生ずるかを知らないからである。この結果として彼らは、自然の事物に始めがあるのを見て実体にも始めがあると思うようになっているのである。
 いったいに、事物の真の原因を知らない者はすべてのものを混同し、またなんら知性の反撥を受けることなしに平気で樹木が人間のように話すことを想像し、また人間が石や種子からできていたり、任意の形相が他の任意の形相に変化したりすることを表象するものである。同様にまた、神の本性を人間本性と混同する者は、人間的感情を容易に神に賦与する。特に感情がいかにして精神の中に生ずるかを知らない間はそうである。
 これに反して、もし人々が実体の本性に注意するならば、定理七 実体の本性には存在することが属する。の真理について決して疑わないであろう。そればかりでなくこの定理はすべての人々にとって公理でありそして共通概念の中に数えられるであろう。なぜなら、そうした人々は実体をそれ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、すなわちその認識が他の物の認識を要しないもの、と解するであろうから。それから様態的変状を、他の物のうちに在るもの、そして自らが含まれている物の概念によってその概念が形成されるもの、と解するであろう。だから我々は存在していない様態的変状についても真の観念をもつことができる。たとえそうした様態的変状が知性の外には現実に存在しなくともその本質は他の物の中に含まれていて、この物によって考えられることができるようになっているからである。これに反して実体はそれ自身によって考えられるのであるから、その真理は知性の外にはただ実体自身のうちにのみ存する。ゆえにもしある人が、自分は実体に関して明瞭かつ判然たる観念すなわち真の観念を持っているがそれにもかかわらずそうした実体が存在するかどうかを疑うと言うならば、これは実に、「自分は真の観念を持っているがそれにもかかわらずそれが誤った観念ではあるまいかと疑う」と言うのと同然である(これは十分注意する者にとっては明白であろう)。あるいはもしある人が、「実体は創造される」と主張するなら、これは同時に「誤った観念が真の観念になった」と主張するものである。実にこれ以上不条理なことは考えられない。したがって実体の存在はその本質と同様に永遠の真理であることを我々は必然的に容認しなくてはならないのである。



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最終更新日  2021年05月31日 06時03分12秒
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