Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年10月04日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-189
 思惟(しい/しゆい)は哲学では、感覚即ち身体の感覚器官からの刺激や、その知覚以外の認識作用。分析、総合、推理、判断などの精神作用をいうとありますが、スピノザは「思惟」を単純に人間が頭を巡らす
「思考」とは捉えずに、ものの正邪を理知で捉える思惟、神の意思的理を理解する「直観知及び直覚知」を意識しているようにも憶えます。
 定理一 思惟は神の属性である。あるいは神は思惟する「物(ものであり、者ではないの)は人格表現更には神格表現を避けていることに要注意」である。
 説明 個々の思想、すなわち此のあるいは彼の思想は、神の本性をある一定の仕方で表現する様態である(第一部定理二五の系 個物は神の属性の変状(アフエクテイオ)、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態(モードス)にほかならぬ。この証明は定理一五 すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられえない。および定義五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえないから明らかである。)。ゆえに神には(第一部定義五 自然のうちには同一本性あるいは同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえないから明らかである)により、一属性、即ちそれの概念がすべての個々の思想の中に含まれており、またそれによってすべての個々の思想が考えられもするそうした属性があることになる。したがって思惟は神の無限に多くの属性の一つであって、神の永遠・無限な本質を表現している(第一部定義六 一の実体は他の実体から産出されることができない。)を見よ。神は思惟する「もの」である。
 この定理はまた、我々が思惟する無限の実有を考えうることからも明白である。なぜなら、思惟する実有がより多くのものを思惟しうるに従って、それはそれだけ多くの実在性あるいは完全性を含むと我々は考える。ゆえに無限に多くのものを無限に多くの仕方で思惟しうる実有は、必然的に、思惟する力においては無限である。このように我々は、単に思惟だけを眼中に置くことによって無限の実有を考えうるのだから、思惟は、我々が主張したように、必然的に神の無限に多くの属性の一つである。此れはスピノザが単なる形而上哲学の信奉者ではなく、認識・認証哲学を志向していたことが読み取れます。



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最終更新日  2021年10月04日 06時10分04秒
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