Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年10月08日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-193
 古代より人類が何らかの体験や経験を表象や文字を使って記録、否、恐らくは其れより遥かに遡っても、自然の偉大さに屡々戸惑い、此の不可思議な幸・不運を自らの思考に照らして、超越者を創造しています。人類史を見れば世界の古今東西に神話として、神託や呪術その他の方法で神との接触が試みられています。古代の「神の観相」は自己を取り巻く自身では如何せん対抗する術(すべ)がない自然の脅威や偉大さを自らが見立てたものです。此れ等は人間が物理科学的発展を以てしても全てが解決されたとは云えません。但し、宗教として現代に繋がる「一神教」や「仏教」では神の能力を無限と捉えて神そのものに人格性や人間が観想する神格性に自由意志を付与する傾向は減少しつつはあります。然し乍ら、人間の本能的とも云える依存的性向の狂信は現代にも集団自殺等の事件を齎しました。定理三は、神の本質から必然的に生起する全て、ありとあらゆる全てのものの観念が存することを述べますが、備考は其れに対する人類側からの論述です。
 備考 民衆は、神の能力ということを、神の自由意志、並びに、ありとあらゆる一切ものにたいする神の権能と解する。此の由縁にあらゆるものは一般に偶然なものと見なされている。何故なら彼らは神があらゆるものを破壊して無に帰する力を有すると言っているからである。さらに彼らは、屡々、神の能力を王侯の能力に比較する。しかし我々(*注)はこのことを第一部定理三二の系一  この帰結として第一に、神は意志の自由によって作用するものではないということになる。及び系二 第二に、意志および知性が神の本性に対する関係は、運動および静止、または一般的に言えば、一定の仕方で存在し作用するように神から決定されなければならぬすべての自然物(定理二九により)が神に対する関係と同様であるということになる。なぜなら、意志は、他のすべての物のように、それを一定の仕方で存在し作用するように決定する原因を要するからである。そしてたとえ与えられた意志あるいは知性から無限に多くのものが生起するとしても、神はそのために意志の自由によって働くと言われえないことは、運動および静止から生起するもののために、というのはこれからもまた無限に多くのものが生起する神は運動および静止の自由によって働くと言われ得ないのと同様である。ゆえに意志は、他の自然物と同様に、神の本性には属さないで、むしろこれに対しては、運動および静止、また神の本性の必然性から生起しかつそれによって一定の仕方で存在し作用するように決定されることを我々が示した他のすべてのものとまったく同様な関係に立っているのである。で反駁したし、また第一部定理一六では、神は自己自身を認識するのと同一の必然性をもって活動することを示した。言いかえれば神が自己自身を認識することが神の本性の必然性から起こるように、これはすべての人が一致して容認するところである。神が無限に多くのことを無限に多くの仕方でなすこともまたそれと同一の必然性をもって起こるのである。次に我々は第一部定理三四 神の能力は神の本質そのものである。において、神の能力は神の活動的本質にほかならないことを示した。したがって神が活動しないと考えることは神が存在しないと考えるのと同様に不可能である。
 なおもし私がこれらのことどもをいっそう深く追求してよいならば、私はここで、民衆が神に帰しているあの能力は、人間的能力である、つまりは民衆は神を人間としてあるいは人間に類似のものとして考えているのであるというばかりでなく、さらにまたそれは無能力をも含むものであることを示しうるであろう。しかし私は同じことについてそうたびたび語ることは好まない。 私はただ読者に、第一部において定理一六 神の本性の必然性から無限に多くのものが無限に多くの仕方で、言いかえれば無限の知性によって把握されうるすべてのものが生じなければならぬから、終結に至るまでこれについて述べられてあることを改めて熟慮されるよう幾重にもお願いするのみである。なぜなら、何びとといえども、神の能力を王侯の人間的能力あるいは権能と混同しないように極力用心しなくては、私の述べようとするところを正しく理解することができないであろうからである。
 此処では政治的権力の正当性を権威付ける「王権神授説」を批判しています。此処で誤解しやすいのが今だに皇統を重んじる日本でしょう。其の本意は公民の総意の象徴であり、一時的に政治的権力を掌握したことがあるとはいえ、権力の掌握とは相違し、日本人民の総意の代理者であり、神との仲介を職務としていたことが伺えますが、北畠親房の「神皇正統記」を踏まえて天皇を権力の総帥とするのは如何なものでしょう。



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最終更新日  2021年10月08日 06時01分41秒
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