Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年11月26日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-241
 此の章の定理二〇で戸惑うのは、人間精神についても神の中に観念あるいは認識があるとの記述でしょう。唯物論に傾いていたスピノザが突如、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner/1861 - 1925)の神秘論的唯心論に変貌したのかの感があります。ここにスピノザの「思惟」の語彙の扱い方の特性があります。スピノザの神の思惟とは全ったきものとして人間精神についての観念あるいは認識に干渉することは有り得べくもありません。此の思考倫理は恐らくは「エチカ」の神髄である人間倫理を強調する「釈迦の便法」なのかも知れません。
 定理二〇 人間精神についても神の中に観念あるいは認識がある。そしてこの観念あるいは認識は、人間身体の観念あるいは認識と同様の仕方で神の中に生じ、また同様の仕方で神に帰せられる。
 証明 思惟は神の属性である(第二部 「精神の本性および起源」についてのこの部の定理一 思惟は神の属性である。あるいは神は思惟する物である。)により。ゆえに思惟ならびに思惟のすべての変状について(この部第二部の定理三 神のうちには必然的に神の本質の、ならびに神の本質から必然的に生起するあらゆるものの、観念が存する。)により、したがってまた人間精神についても(この部第二部の定理一一 人間精神の現実的有を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。)により、必然的に神の中に観念がなければならぬ。次に精神のこの観念あるいは認識は、神が無限である限りにおいて神の中にあるのではなく、神が他の個物の観念に変状した限りにおいて神の中にある(この部第二部の定理九 現実に存在する個物の観念は、神が無限である限りにおいてではなく神が現実に存在する他の個物の観念に変状したと見られる限りにおいて神を原因とし、この観念もまた神が他の第三の観念に変状した限りにおいて神を原因とする、このようにして無限に進む。)により。ところが観念の秩序および連結は原因の秩序および連結と同一である(この部の定理七 観念の秩序および連結は物の秩序および連結と同一である。)により。ゆえに精神のこの観念あるいは認識は、身体の観念あるいは認識と同様の仕方で神の中に生じ、また神に帰せられる。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



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最終更新日  2021年11月26日 06時10分04秒
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