Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月04日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-249
 定理二八 人間身体の変状の観念は、単に人間精神に関連している限り、明瞭判然たるものではなく、混乱したものである。
 証明 なぜなら、人間身体の変状の観念は外部の物体ならびに人間身体自身の本性を含んでいる(この部第二部の定理一六 人間身体が外部の物体から刺激されるおのおのの様式の観念は、人間身体の本性と同時に、外部の物体の本性を含まなければならぬ。により)。しかもそれは人間身体の本性のみならずその部分の本性も含んでいなければならない。なぜなら変状とは人間身体の部分、したがってまた身体全体が刺激される様式だからである(要請三 人間身体を組織する個体、したがってまた人間身体自身は、外部の物体からきわめて多様の仕方で刺激される。により)。ところが(この部第二部の定理二四 人間精神は人間身体を組織する部分の妥当な認識を含んでいない。および定理二五 人間身体のおのおのの変状〔刺激状態〕の観念は外部の物体の妥当な認識を含んでいないにより)外部の物体の妥当な認識ならびに人間身体を組織する部分の妥当な認識は神が人間精神に変状したと見られる限りにおいては神の中になく、神が他の多くの観念に変状したと見られる限りにおいて神の中に在る、言いかえれば(この部第二部の定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。により)この認識は神が人間精神の本性を構成する限りにおいては神の中にない〉。ゆえにこの変状の観念は、単に人間精神に関連している限りは、いわば前提のない結論のようなものである。言いかえればそれはそれ自体で明白なように混乱した観念である。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 備考 人間精神の本性を構成する観念は単にそれ自体のみにおいて考察すれば明瞭判然たるものでないということは同様の仕方で証明される。人間精神の観念および人間身体の変状の観念の観念も、それが単に精神にのみ関連している限りそうである。すなわち混乱したものである。これは各人の容易に知りうるところである。
 スピノザによれば、精神は自分がそれであることを知らない。なぜならその真理を知覚しているのは、身体の産出と並行して身体観念を帰結する膨大な数の前提諸観念となった思考、人間ならざる自然の思考であって、当の真理である私ではないからである。我々人間は自分を知らないのが真理なのかも知れない.スピノザはいつもそのことを思い出させてくれます。



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最終更新日  2021年12月04日 06時10分04秒
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