Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月19日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-295
 スピノザ(蘭:Spinoza/1632 - 1677)は多分に影響を受けた先達デカルト(仏:Descartes/1596 - 1650)の古代ギリシァ以来の心身二元論に対し、私が思うことができるのは、この身体があるから可能、心身の相互性を抜きには成りたたないとして心身合一の心身一元論をもって、この心身二元論の批判若しくは矛盾を指摘します。
 定理二 身体が精神を思惟するように決定することはできないし、また精神が身体を運動ないし静止に、あるいは他のあること(もしそうしたものがあるならば)をするように決定することもできない。
 証明 思惟のすべての様態は、神が思惟する物である限りにおいて神を原因とし、神が他の属性によって説明される限りにおいてはそうでない(第二部定理六 おのおのの属性の様態は、それが様態となっている属性のもとで神が考察される限りにおいてのみ神を原因とし、神がある他の属性のもとで考察される限りにおいてはそうでない。により)。ゆえに精神を思惟に決定するものは思惟の様態であって延長の様態ではない、言いかえれば(第二部定義一 物体とは、神が延長した物と見られる限りにおいて神の本質をある一定の仕方で表現することと解する。第一部定理二五の系 個物は神の属性の変状、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態にほかならぬを見よ。により)身体ではない。これが第一の点であった。次に、身体の運動ないし静止は必ず他の物体から生じ、この物体がまた他の物体から運動ないし静止に決定されなければならぬ。一般的に言えば、身体の中に生ずるすべてのことは、思惟のある様態に変状したと見られる限りにおける神からではなく、延長のある様態に変状したと見られる限りにおける神から生じなければならぬ(再び第二部定理六により)。言いかえれば、それは思惟の様態である精神(第二部定理一一 人間精神の現実的有を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。により)から生ずることができない。これが第二の点であった。ゆえに身体が精神を云々。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 スピノザの心身一元論は精神と身体が一元・合一は勿論のこと、人間の精神の実在の観念そのものが「神」に起因すると捉えます。ところが其の「神」なるものは、此のスピノザの物理・天文観測科学の時代背景世界では「神=世界=宇宙=法則=数学>人間」です。此れは近代マルクスの唯物主義に通じます。スピノザが唯物主義者といわれる所以です。神に神格性を求めるのか、永遠の無限を求めるのか、将又、神の名を求めずして世界の理を究問するのか。現代は世界の側から認識が要請されています。



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最終更新日  2022年01月19日 06時02分24秒
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