Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月12日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-407
 定理一九 各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性の法則に従って必然的に欲求しあるいは忌避する。  
 証明 善および悪の認識は(この部第四部の定理八喜びから生ずる欲望は、その他の事情が等しければ、悲しみから生ずる欲望よりも強力である。により)我々に意識された限りにおける喜びあるいは悲しみの感情そのものである。したがって(第三部定理二八 我々は、喜びをもたらすと我々の表象するすべてのものを実現しようと努める。反対にそれに矛盾しあるいは悲しみをもたらすと我々の表象するすべてのものを遠ざけあるいは破壊しようと努める。により)各人はその善と判断するものを必然的に欲求し、反対に悪と判断するものを必然的に忌避する。ところがこの衝動(欲求)は人間の本質ないし本性そのものにほかならない(衝動の定義による。それについては第三部定理九の備考要約 この努力が精神だけに関係する時には意志と呼ばれ、それが同時に精神と身体とに関係する時には衝動と呼ばれる。したがって衝動とは人間の本質そのもの、自己の維持に役立つすべてのことがそれから必然的に出て来て結局人間にそれを行なわせるようにさせる人間の本質そのものにほかならない。次に衝動と欲望との相違はといえば、欲望は自らの衝動を意識している限りにおいてもっぱら人間について言われるというだけのことである。このゆえに欲望とは意識を伴った衝動であると定義することができる。このようにして、以上すべてから次のことが明らかになる。それは、我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断する、ということである。ならびに感情の定義一 要項:スピノ ザにとって、全ての感情が受動ではない。 つまり感情は理性や意志によって、抑え られたり支配されたりすることに甘んじるばかりのものではない。 それどころか、理性の働きを助けながら、我々を解放する力を持つのが感情である。)。ゆえに各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性の法則のみに従って必然的に云々。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 記:スピノザ哲学は古典哲学、なかでも、形而上哲学には属さず、神存在に関しても能くまでも実存・実在の観点からの認識論の立場が濃厚です。勿論のこと「神格性」なる自由なる意思は完全なる神には、十全の意思を全うする意思を伴う神には必要能わずです。それ故を持って、神の道理に従う直感知の実践倫理の方法論が人間本性の幸福として「エチカ」を書き上げさせるのです。



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最終更新日  2022年05月12日 06時00分27秒
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