Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月19日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-445
 定理五〇 憐憫は理性の導きに従って生活する人間においてはそれ自体では悪でありかつ無用である。
 証明 なぜなら憐憫は(第三部付録:感情の諸定義一八 憐憫とは我々が自分と同類であると表象する他人の上に起こった害悪の観念を伴った悲しみである。)それ自体では悪である。ところで憐憫から生ずる善、すなわち我々が憐憫を感ずる人間を不幸から救おうと努めること(第三部定理二七の系三 我々は我々の憐れむものできるだけその不幸から脱せしめようと努めるであろう。により)に関して言えば、我々は単に理性の指図のみによってこれをなそうと欲する(この部第四部の定理三七 徳に従うおのおのの人は自己のために求める善を他の人々のためにも欲するであろう。そして彼の有する神の認識がより大なるに従ってそれだけ多くこれを欲するであろう。により)、また我々は善であると我我の確知することを単に理性の指図のみによってなしうる(この部第四部の定理二七 我々は、真に認識に役立つものあるいは我々の認識を妨害しうるもののみが善あるいは悪であることを確知する。により)。ゆえに憐憫は理性の導きに従って生活する人においてはそれ自体では悪でありかつ無用である。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 系 この帰結として、理性の指図に従って生活する人は、できるだけ憐憫に動かされないように努めるということになる。
  記:泣いて馬謖を斬る。
 備考 一切が神の本性の必然性から起こり、自然の永遠なる諸法則、諸規則に従って生ずることを正しく知る人は、たしかに、憎しみ、笑いあるいは軽蔑に価する何ものも見いださないであろうし、また何びとをも憐れむことがないであろう。むしろ彼は人間の徳が及ぶ限り、いわゆる正しく行ないて自ら楽しむことに努めるであろう。これに加えて、容易に憐憫の感情を催し他人の不幸や涙に動かされる者は、のちにいたって自ら悔いるような行ないをしばしばなしているのである。なぜなら我々は、感情に基づいては、善であると我々の確知するような何ごとをもなすものでなく、また我々は偽わりの涙に容易に欺かれるからである。しかし私はここで明らかに、理性の導きに従って生活する人について語っているのである。というのは、理性によっても憐憫によっても他人を援助するように動かされない者は非人間と呼ばれてしかるべきである。なぜなら、そうした者は(第三部定理二七 我々と同類のものでかつそれにたいして我々が何の感情もいだいていないものがある感情に刺激されるのを我々が表象するなら、我々はそのことだけによって、類似した感情に刺激される。により)まったく人間らしいところがない。或いは、およそ汎ゆる人間性を欠いているように見えるからである。



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最終更新日  2022年06月19日 06時09分41秒
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