Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月22日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-448
 定理五三 謙遜(*謙譲・謙虚)は徳ではない。すなわち理性からは生じない。
 証明 謙遜は人間が自己の無能力を観想することから生ずる悲しみである(感情の定義二六 謙遜〔自劣感〕とは人間が自己の無能力あるいは弱小を観想することから生ずる悲しみである。により)。しかし人間が自己自身を真の理性によって認識する限り、彼は自己の本質を、言いかえれば(第三部定理七 おのおのの物が自己の有に固執しようと努める努力はその物の現実的本質にほかならない。により)自己の能力を認識するものと想定される。だからもし人間が自己自身を観想するにあたり自己のある無能力を知覚するとしたら、それは彼が自己を真に認識することから来るのではなくて、むしろ(第三部定理五五 精神は自己の無能力を表象する時、まさにそのことによって悲しみを感ずる。において示したように)彼の活動能力が阻害されることから来るのである。しかしもし、人間が自分より有力なある物を認識しその認識から自己の活動能力を正しく限定しこれによって自己の無能力を考えるという場合を我々が仮定するとしたら、それは人間が自己自身を明瞭に認識する場合、すなわち(この部第四部の定理二六 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。そして精神は、理性を用いる限り、認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない。により)彼の活動能力が促進される場合を考えているのにほかならない。このゆえに謙遜すなわち人間が自己の無能力を観想することから生ずる悲しみは、真の観想あるいは理性からは生じない。それは徳ではなくて受動である。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 記:和訳の「謙遜」を和文化の言葉遣いとして取り上げれば、控えめな態度で振舞いへりくだる、「へりくだる」とは相手を敬う気持ちで自分を卑下することです。例えば『謙遜して末席に座る』などが、「三国志」にも屡々登場する礼儀作法です。「謙譲」は「へりくだる」に加えて譲る『謙譲の美徳を発揮する』ことを意味します。「謙虚」という言葉は素直で、出しゃばらないことで其のその人の性格・人格、例えば『社会的地位が上がるにつれて、ますます謙虚になった』を表します。スピノザの「謙遜」に向けられた精神解釈は儒教国家というより名目上とはいえ単一民族国家の日本に驚くべき隔壁を感ぜさせます。海に囲まれた島国である日本は、謂わば四方を外海に隔てられ「単一家族世界」の趣があります。即ち、多民族国家が何故に謙遜は徳ではない。すなわち理性からは生じないと、思索するのかを捉えねばなりません。世界史的的には常に謙遜は自己の精神の服従の顕れであったことには注意が肝要です。 (*武士道・徳の人聖徳太子))



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最終更新日  2022年06月22日 06時10分06秒
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