Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年08月08日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-494
 記:スピノザが解する神とは完全体であり、そこには不足不充は無く、何かを求めると思考するのは不条理であると示します。それ故に人間に対してその精神感情や行動に対して何等かの干渉をするのは不合理となります。丁度、世界の法一切を覚り正覚者「仏陀」と成った紀元前6世紀のインドのガウタマ・シッダールタが「法」の慈悲の心を説いたのとは一線を画するかもしれません。スピノザの解く神の愛は他者はなく全てであり、意識することすらからも無縁です。神を説いたスピノザ、法を説いた仏陀、その接点は深淵に架かる吊り橋の如しです。
 定理二〇 神に対するこの愛はねたみや嫉妬の感情に汚されることができない。むしろより多くの人間が同じ愛の紐帯によって神と結合することを我々が表象するに従って、この愛はそれだけ多くはぐくまれる。
 証明 神に対するこの愛は我々が理性の指図に従って徴求(ちょうきゅう)しうる最高の善である(第四部定理二八により)、そしてこの最高の善はすべての人に共通であって(第四部定理三六 徳に従う人々の最高の善はすべての人に共通であって、すべての人が等しくこれを楽しむことができる。により)、我々はすべての人がそれを楽しむことを欲する(第四部定理三七 徳に従うおのおのの人は自己のために求める善を他の人々のためにも欲するであろう。そして彼の有する神の認識がより大なるに従ってそれだけ多くこれを欲するであろう。により)。したがってこの愛はねたみの感情に汚されることができないし(感情の定義二三 ねたみとは他人の幸福を悲しみまた反対に他人の不幸を喜ぶように人間を動かす限りにおける憎しみである。により)、また嫉妬の感情に汚されることもできない(この部第五部の定理一八 何びとも神を憎むことができない。および、嫉妬の定義による。嫉妬の定義は第三部定理三五の備考ねたみと結合した、愛するものに対するこの憎しみは、嫉妬と呼ばれる。したがって嫉妬とは、同時的な愛と憎しみから生じかつそれにねたまれる第三者の観念を伴った心情の動揺にほかならない。について見よ)。
 むしろ反対にこの愛は(第三部定理三一 もし我々が自分の愛し、欲し、あるいは憎むものをある人が愛し、欲し、あるいは憎むことを表象するならば、まさにそのことによって我々はそのものをいっそう強く愛し、欲し、あるいは憎むであろう。これに反し、もし我々が自分の愛するものをある人が嫌うことを、あるいはその反対を、すなわち我々の憎むものをある人が愛することを表象するならば、我々は心情の動揺を感ずるであろう。により)より多くの人間がこれを楽しむことを我々が表象するに従って、それだけ多くはぐくまれざるをえない。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。



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最終更新日  2022年08月08日 06時10分07秒
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