Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年03月17日
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カテゴリ: 霊魂論
「神秘学概論」読解
49 :第二の自己-2
 物質的な外界、外感覚的世界から自由になれるだけの内的世界に魂の力を育て、身体に反射するかたちではない内的本性を体験できるようになると、そこには通常の自我ではなくて、「第二の自我」とも呼べるようなものが育ってくる。この「第二の自我」が「高次の自己」である。
 霊的な修行の過程においては、二つの魂的な体験が重要になる。外なる物質界が与える印象のすべてを無視して、自分の内面を見つめるとき、その内面は、どんな活動も消えてしまっているのではなく、感覚や悟性(*論理的な思考力。特に理性と区別して、経験界に関する知性。)の与える印象からでは何も知りえない世界の中で、自身がみずからを意識している内面なのである。第一の体験では、そのような内面を見る。この時、魂は、自分の中に新たに魂の核心が生み出されたと感じる。それは、これまで魂の中の「自我」であったものの外に、自己としての自分を感じている。どう考えてみても、自分には二つの「自我」があるかのように思える。一方の自我は、これまでも知っていた自我であり、もう一方の自我は、新たに生まれて、第一の自我の上に立っている。そしてこの第一の自我は、第二の自我に対して、一定の独立性を獲得している。ちょうど人体としての肉体が、第一の自我に対して独立しているように。(P336-337)
 新しく生まれた第二の自我は、霊界を知覚するようになる。この自我の中で、感覚的、物質的な世界にとっての感覚器官に相当するもの、つまり霊的な感覚器官が発達する。この器官が必要な程度にまで発達できたとき、人は自分を新しく生まれた自我であるうと感じるだけでなく、ちょうど感覚器官によって物質界を知覚するように、自分の周囲に霊的な本性を知覚する。そしてこれが第三の重要な体験になる。(P337)
 但し、第二の自我が知覚されたときには要注意事項がある。そうした修行の際には、「自己愛」が限りなく強まっていくということである。従って、通常の自我においてもそれを克服できていないとすれば、その「自己愛」による陥穽が待ちかまえているということになる。それ故、霊的修行のこの段階を確かな足取りで進むためには、通常の魂の生活ではまったく経験したことのないくらいの自己愛、自己感情が、魂の力が強まるに応じて、現われてくることを、十分に意識していなければならない。
 霊的な修行は体的な行為であって、魂の道徳的な進歩とは無関係であるとよく信じられているが、今述べた自己感情の克服に必要な道徳的な力は、魂の道徳的な水準が相応しい(ふさわしい)段階にまで高められなければ、獲得され得ない。霊的な修行の進歩は、同時に道徳の進歩がなければ、考えられない。前述した自己感情の克服は、道徳的な力(*イマヌエル・カント:道徳的法則にもとづいて意志を規定する理性。)がなければ、不可能である。(P337-338)
 禅には魔境があるとかいわれるが、霊的修行とかさまざまな研究会や道場とかを通じて「高次元の自分自身」にめざめたとか悟りを得たとかいっても、ともすればそれは「自己愛」の陥穽に片足を突っ込んでいるというふうにとらえたほうが肝要適切なのかもしれない。「自己愛」を克服するためには、自己犠牲が必要になる。
もちろん自己犠牲は自己放棄ではない。放棄しなければならないのは自己愛のほうであって自己はまさに高められなければならないのである。その際の極めて重要なことはやはり「思考」である。
 自分の中にまだ思考法則も判断力も十分に育成していない人が、その状態のままで高次の自我を生み出そうとすると、その人は、これまでに育成した思考能力だけしか通常の自我にゆだねることができない。秩序だった思考を働かせることができないと、独立した通常の自我の中に、無秩序な、混乱した思考や判断力が現われる。そのような人の場合、新しく生まれた自我がまだ弱いものでしかないので、超感覚的に見ると、混乱した低次の自我が支配権を獲得する。超感覚的なものを観察するにも、的確な判断を下すことができない。論理的な思考力を十分に育成していたならば、通常の自我を安心して独立させておくことができた筈なのである。とはいえ、ここに述べる霊的修行の場合には、思考生活をあらかじめ育成することができるので、以上に述べた誤謬の危険に陥ることはあり えない。思考の育成は、そのために必要な内的体験のすべてを生じさせる。しかも魂は、有害な幻想や錯覚を伴わずに修行を続けることができる。この思考の育成がなければ、どんな霊的な体験も魂に不確かな印象を呼び起こす。(P340-341)
 論理的な思考力を十分に育成することのないままに、非常に不安定な魂のままで高次の自我を生み出そうとすると、通常の自我の混乱のなかでまるで嵐のなかを漕ぎ入れる小舟のようになってしまう。安全な航海のためには、通常の自我の段階においても、その魂の海を極めて穏やかに、禅道の云う「不惑の状態」にしておく必要がある。高次の自我は最初は小さな小舟で、ちょっとした波風にも簡単に転覆してしまいかねないのである。魂の海を穏やかにしておくのは「思考としての悟性」の役割でもあり、またそのことによって視界を良好なものにしておくことで波風が引き起こすさまざまな「有害な幻想や錯覚」から自由で距離を置くことに繋がる。



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最終更新日  2023年03月17日 06時10分07秒
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