Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月17日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第1講 土星紀における地球の内的側面-Ⅱ
ベルリン 1911年10月31日
 もし、私たちが自我をその真の性質において把握し、肉体を目の前に置くような仕方で、それを私たちの前に置くことができるとしたら、そして、肉体が目によって外的に見ることができ、感覚を通して知覚することができるものに依存し、栄養を必要とし、そして雲や山やその他のものを周囲の物理的な世界の中に見いだすのと同様の意味で、自我が依存している環境を見いだそうと努めるならば、つまり、もし、私たちが肉体についての文脈を知るのと同じ意味で自我にとって本質的な文脈を見いだそうと努めるならば、私たちは今日においても私たちの周囲に不可視的に浸透している宇宙の像あるいは絵巻物に至るのですが、それは古「土星」期の宇宙像と同じものなのです。言い換えれば、自我をそれ自身の世界において知ろうとする人であれば誰でも、古「土星」期の世界に似た世界を想像できなければならないのです。この世界は隠されています。つまり、それは人間にとって感覚知覚を超えた世界なのです。実際、私たちの現在の発達段階においては、その知覚を担うことは不可能なのです。それは境域の守護霊によりヴェールがかけられていることで、隠されたままになっているのですが、それは、そのような像を見ることに耐えられるためには、ある一定段階の精神的な発達が必要とされるからです。実際、人が最初に慣れなければならないのは、古土星が提示するような像を見るということです。皆さんは、何にもまして、一体どうすればそのような宇宙像を何か現実的なものとして経験することができるのかということについてのイマジネーションを形成しなければなりません。皆さんが感覚をもって知覚するあらゆるものを皆さんの思考から取り除かなければなりません。同様に、皆さんの内的な世界は魂の内部における潮の満ち引きから構成されていますから、皆さんはそれを捨て去らなければなりません。皆さんは世界に存在するものについての思考を消し去り、思考そのものもすべて解消するのです。感覚を通して知覚されるあらゆるものを外的な世界から取り除かなければなりません。つまり、皆さんは皆さんの内的な世界における魂や思考活動を消去しなければならないのです。このことを行った後、もし、皆さんが、この考えを本当に把握しようとするときに到達しなければならない魂の状態、あらゆるものが完全に取り除かれ、人間だけが残るということについての考えを形成したいのであれば、皆さんが言うことができるのは、私たちの周囲に口を開けている底なしの空虚、無限に続く無の恐怖に耐えることができなければならないということだけです。完全に恐怖に満たされた環境を経験できなければならないのですが、同時に、自分自身の存在の内的な堅固さと確かさによってこれらの感情を克服できなければなりません。魂におけるこれらふたつの傾向、存在の無限に続く空虚への恐怖とそれを克服することなしには、古土星存在がいかに私たちの宇宙存在の基盤に横たわっているかを暗示するいかなるものも経験することはないでしょう。今私が性格づけしたふたつの経験を人々が自分で発達させることは滅多にありません。また、この状態について書かれたものを見つけることも殆んどありません。もちろん、それを何年にも亘って超感覚的な力を用いて探求しようとしてきた人々はそれについて知っています。けれども、書かれたり出版されたりしたものの中には、人々が無限の深淵を前にしたときの恐怖やその克服について経験したということを示唆するものは実のところ殆んどないのです。私は、このことについての何らかの洞察を得る目的で、計りがたい空虚を前にしたときの恐怖らしきものが表現されている最近の文献を調査してみました。一般に哲学者はきわめて賢いので、概念については物知り顔にしゃべっても、恐怖を起こさせる印象については触れるのを完全に避けているのです。ですから、哲学的な文献の中に何かがこの問題について記録されているのを見つけるのは容易ではありません。何も見つけられなかった文献について今話すつもりはありませんが、それでも、ヘーゲル派の哲学者、カール・ローゼンクランツの雑誌の中に、この経験の残響のようなものを見いだすことができました。この雑誌の中で、ローゼンクランツ(Johann Karl Friedrich Rosenkranz/1805-1879)は彼がヘーゲルの哲学に没頭しているときに経験した非常に親密な感情を記述しています。私は彼が全くそれとは知らずに彼の雑誌の中に載せている注目すべき文章に出会ったのです。ローゼンクランツにとって全く明白であったのは、ヘーゲルの哲学はヘーゲルによる「純粋存在」の理解に基づいているということです。ヘーゲルの原則である「純粋存在」については、19世紀の哲学文献の中で、非常に多くの表面的なことがらが語られてきましたが、実際には、それはきわめて貧弱にしか理解されていません。19世紀後半の哲学がヘーゲルの「純粋存在」について理解しているのは、雄牛が1週間ずっと飼い葉を食べ続けてきた日曜日について理解しているのと同じ程度においてであると言ってもいいくらいです。「純粋存在」というヘーゲルの概念、存在の経緯ではなく存在するという状態そのものは、私が定義づけたような恐怖が流れ込む恐ろしい空虚のようなものと全くもって同じではありません。そうではなく、ヘーゲルの「存在」における空間のすべては人間が経験することができない特質、つまり、存在というものに満たされた無限の色合いを有しています。そして、カール・ローゼンクランツはかつてこれを、単なる存在以外の内容をもたない空間の宇宙的な広がりという恐ろしく打ちひしがせるような冷たさの状態として経験したのです。



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最終更新日  2023年10月17日 06時10分05秒
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