Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月16日
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カテゴリ: 霊魂論


ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」 第三講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 1-1
本講1-1
 私に提出していただいた皆さんのご希望はすべて、この連続講演を進めていくなかで自然に消化していきたいと思います。もちろんそのためには、重複することもあるでしょうから、少なくともある部分まで、全部の希望が集まっていることが必要です。その際、ここで質問されたり、示唆されたりすることを、ある種の基礎を作りあげる前に語るか、作りあげたあとに語るかはどうでもよいことではありません。従って本日は、皆さんのご希望を見て気づいたことを考慮に入れながら、でき得るかぎり、明日以降の講演のための基礎を作りあげる試みをしてみたいと思います。もうおわかりのように、私は、最初の考察のために骨・筋肉組織の形成とその内的効力を起点にしようとしました。そして、わたしたちは昨日、少なくとも取り敢えずは、病気のプロセスの具体的な観察と治療の必要性へと押し進み、ひとつの実例とそれに適した観察を結びつけるために、心臓組織における循環から出発しなければなりませんでした。さて、きょうは、治療全般の可能性とその本質についてのより深い人間観察から得られる見解について、原則的な前置きをさらに二乃至三述べておきたいと思います。個々のものについては、引き続き考察のなかで立ち入っていくつもりですが、まずこの原則的な説明を優先したいと思います。そもそもが、今日(こんにち)の医学研究はどのような性質のものなのか想定すると、少なくとも大筋において見出せることは、治療は病理学と並んで現れているけれども、両者の間に、明確に見通せる関係は成立していないということではないでしょうか。とりわけ治療においては、今日往々にして、単なる経験的な方法の独壇場となっています。合理的なもの(etwas Rationelles)、つまりそれに基づいて実践的なことにおいて実際に原理を打ち立てることのできるような、そういう合理的なものは、とりわけ治療においてはほとんど見出すことができないのです。周知のとおり、19世紀におけるこの医学上の思考方法の欠陥は、医学上のニヒリズム派にさえ通じてしまいました。このニヒリズム派は、すべて診断に基づき、病気が識別できれば満足し、治療における何らかの理性(ラツィオ/Ratio)に対しては全般的にまさしく懐疑的な態度をとったのです。さて、医療制度に対して、いわば純粋に理にかなった要求をするとしたらやはり、そもそも診断と関連したところですでに治療を暗示するものが存在していなければならないと言わねばならないでしょう。治療と病理学の間に単なる外的な関係が保たれているだけではいけないのです。私たちはいわば病気の本質を、この病気の本質から治療プロセスについての見解を形作ることができるようなしかたで認識することができなければなりません。このことは当然のことながら、治療法と治療プロセスは、そもそも自然のプロセス全体のなかにどの程度まで存在しうるのかという問いと関連しています。パラケルススの大変興味深い箴言「医者は自然を通じて試行していかねばならない(☆1)」は非常にしばしば引用されますが、最近のパラケルスス文献は、まさにこういう箴言(シンゲン)からとりかかるということを充分心得ているとは申せません、さもなければ、自然そのものから治療のプロセスをひそかに学びとることをどのみちもくろまざるを得ないからです。なるほど、自然が自らそれに対して策を講じるような病気のプロセスがそこにあるときは、そういう試みもされるでしょう。けれどもこれは、すでに損傷があって自然が自ら自衛策を講じる場合、その治療処置に関して、やはり自然というものを特例として観察することに通じます、真の自然観察というのはやはり正常なプロセスを観察するものなのにです。すると、次のような疑問が起こってくるにちがいありません。つまり、治療処置について何らかの見解を得るための手がかりとして、正常なプロセス、いわば正常なプロセスと呼ばれているものを自然のなかに観察する可能性があるのかという疑問です。皆さんはお気づきでしょうが、このことはいくらか考慮を要する問題と関連しています。病気のプロセスが自然のなかに正常なありかたで存在しているときには、当然のことながら、自然のなかに正常なしかたで治療プロセスを観察することが可能です。すると、いったい自然そのもののなかに、自然を通じて試行し、自然を通じて癒すことができるような、病気のプロセスがすでに存在しているのかという疑問が生じてきます。この疑問に対しては、もちろん、この連続講演が進むにつれてはじめて完全に答えが与えられるでしょうが、きょうのところはせめて少しだけこの答えに近づくことを試みてみましょう。けれどもその際即座に言えることは、ここに呈示しましたような道は、今日通用しているような自然科学に基づいた医学を注がれておおわれてしまっているということです。現在のような前提においては、このような道を歩むことは非常に困難です。と申しますのも、たいへん奇妙なことに、ほかならぬ19世紀における唯物論的傾向が、ここで私が骨組織、筋肉組織、心臓組織に続いて付け加えねばならない組織、すなわち神経組織をそもそもその機能において完全に誤解するという事態を招いてしまったからです。
記:パラケルススの思想は新プラトン主義の系譜を引く自然神秘主義としての側面を持っており、自然を神によって生み出されたものとして捉えている。神においてある第一質料=大神秘から硫黄、水銀、塩の3つの元素の働きが展開することによって四大元素(地、水、火、空気)が生まれ、ここから万物が生み出されるとした。全宇宙を一つの生きた全体(有機体とも)と考え、水銀を宇宙の始原物質とした。神秘思想家としては、体と魂を結合する霊的な気体とされる「アルケウス(英語版)」の提唱で知られ、後に「ガス」という言葉の考案者でもあるフランドルの医師ヤン・ファン・ヘルモントに影響を与えた。この「アルケウス」は人体に内在しているとされ、例えば胃のアルケウスは食べた物の中から栄養分と栄養分でないものに分離し、栄養分を同化するとし、肺のアルケウスは空気を一種の栄養分として吸収していると考えた。パラケルススの思想にはマクロコスモスとミクロコスモス、大宇宙と小宇宙たる人間の照応という世界観が根底にある。マクロコスモスとしては地上世界、天上世界(星の世界)、霊的世界の3つを考え、それに対応するミクロコスモスである人間を身体、精気、魂に分けて考えている。地上界-身体と天上界-精気は目に見える世界であり、それを支配する霊的世界-魂は目に見えない世界であるとした。
参考図:宇宙の始原物質/mercury




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最終更新日  2024年08月16日 06時10分07秒
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