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昨日の帰りの状況は知らず知らずのうちに身体にこたえていたようで、今日の帰りにはもうヘトヘトになっていました。おかげで、帰りの電車ではよく眠れたこと(笑)仙台駅のホームに着いていた電車に乗り込むやいなや睡眠モード。発車したのにも全く気付かずに、眼が覚めたらなんと県境の貝田でした。距離にして56.9キロ、約1時間は寝ていたことになります。電車の中で寝るのは気持ちがいいんですが、よく考えてみると、乗り慣れた東北本線以外では寝た経験ってあまりないんですよね。車窓が気になるせいもあるし、寝過ごしが心配だからということもあるとは思うんですが、とにかく眠れない。ウトウトぐらいしたかなぁ… というのは、常磐線のスーパーひたちだったり、かつて盛岡と青森を結んでいたはつかりだったり、あるいはこれまた過去の列車となってしまった山形と酒田を結ぶ快速月山だったりと、いずれも長距離列車。各停ではさすがにないですね。やっぱり「眠っていても大丈夫」という安心感がないと、寝ようと思ってもなかなか寝れないという一面は、あると思います。
2006.01.24
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昨日の夜のことになるんですが、NHKの「音楽夢くらぶ」で、小林明子と沢田知可子と辛島美登里が一緒に出演してました。一発屋が三人揃った歌番組ってかなり珍しいと思うんですが、三人ともバラードのヒット曲を持つだけあって、なかなか聴き応えのある番組でしたね。中でも「あ~ 懐かしいな~」と思ったのは、沢田知可子の「会いたい」。この曲には、ちょっと妙な思い出があるんですよね。かれこれ15年も前の学生時代のこと。先輩や同級生とカラオケに行ったんですが、その時たまたま、ある男性の先輩が、この曲を歌ったんです。その時点では「会いたい」については漠然と聞き覚えがあったたんですが、詳しい歌詞までは分からなかったんですよね。なもんで、カラオケの画面に流れる字幕で歌詞を始めて知った訳で。そして、先輩の熱唱(?)そっちのけで歌詞を追っているうちに、ちょっとウルッときちゃった次第。私の場合、ドラマとか映画とかでウルッと来る時はあっても、歌ではなかなかならない方なんですよね。でもこの時はなった。その時点では愛する人を失った経験はなかったけれども、グッとくるものはあったんです。でも、今「会いたい」を聴いても、特段感動はしない訳で… これって、どういうことなんでしょうね? あの頃の自分がピュアだったとは、どうしても思えないんですが(笑)
2006.01.20
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うちの上の子、最近クルマのCMを見ると、「あ、これ、○○さんのとおんなじだ」とか口にするんですよね。トラックとかバスとか車種のレベルではなく、車名のレベルで、ある程度の区別がついているようなんです。これって、私から見ると、すごいことだな~って思うんですよ。というのも、私、そのテの能力が欠けているんです。VWの「カブト虫」ぐらい特徴のあるクルマじゃないと、なかなか車名レベルでの区別ができないんですよね。この能力が欠けているが故に、損したこともありました。10年以上前に交通誘導の警備員のバイトをやってたことがあるんですけど、片側交互通行(国道13号線の栗子トンネル付近なんて、よく行きました)で最後尾のクルマを相手の警備員に無線で連絡する時なんて、本当に困りましたね。相手が「ナンバー12-34、緑色のスターレット」と詳しく伝えてくれるのに、私の方は「ナンバー56-78、銀色(←これまたド素人丸出し)の『軽』」ぐらいしか言えないんですもん。まったく知らないと思われるのも恥ずかしいんでクルマの後部に書かれた車名のスペルを読み取って車名を言ったりしたこともあったんですけど、スペル間違いが多くて逆に墓穴を掘る始末(苦笑)。結局、「あいつは危なっかしい」となったのかどうかわかりませんが、無線を使う現場からは外されるようになってしまいました。とりあえず、上の子にその血が引き継がれていないことに安堵するとともに、たった3歳の上の子にこのジャンルで「負けている」ことに対して、改めて恥ずかしく思う次第です。
2006.01.09
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今日は、妻が友人の結婚披露宴に参列してました。会場は、福島市中心部にある、辰巳屋というホテル。福島市内の結婚式場としては一番格式が高いとされているところです。ところがこの辰巳屋、面白いことに地元のデパート・中合と建物を共有しているんですよ。地下1階と地上の1~7階が中合で、8階から上が辰巳屋(だったかな?)。福島市内ではかつて長崎屋と東急インとが同じ建物の中に入っていたことがあったので、実は私は、辰巳屋のことを単なるビジネスホテルだとばっかり思っていたんです(今も同じビルの中に東急インがある)。格式のあるホテルだったら、せめて郡山のホテルハマツのように独立した建物があるものだよなぁ… と。で、数年前、福島に住んでいた友人から「辰巳屋で披露宴をする」という電話を受けた時、私思わず「え? 辰巳屋なんかで?」って言っちゃったことがあるんですよ。友人、その時えらい怒りましてね。必死で謝りましたよ、あの時は。この話を妻にした時も、同じ反応。またも自分のものさしで物事を判断して失敗し、恥をかくという結果になってしまいました(苦笑)
2005.11.19
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※この文章は、あくまで私から見た不確かな記憶と推察が、もとになっています。登場人物は実在しますが、必ずしもこの文章に書いた通りの人物とは限らないことを、ご了承願います。また、気分的に「ですます調」で書けそうにないので、この文章に限り、文体を変えます。発生したのが1996年の秋だからもう丸9年も前のことになるが、私の通う大学の構内で、男子学生が同じサークルに所属する女子学生を刺して怪我を負わせるという事件があった。男子学生は女子学生に一方的に好意を寄せていたとのことで、悲しいことに今はすっかり世間に定着してしまった「ストーカー事件」の嚆矢として、全国ニュースでも取り上げられるほどの事件となった。犯人の名前は、2年生の… 知ってる名前だった。え? 彼が… 心の底から驚いた。彼とは一度だけ、話す機会があった。その時の印象が非常に物静かなものだったので、そんな事件を起こすとは、想像もつかなかったのである。私が彼と話をしたのは、事件から3年前の9月のことであった。当時4年生ながら未だに一般教養科目の取り残しがあった私は、テストに備えてノートを借りるために、学生寮に住む顔見知りの2年生の後輩の許を訪ねた。「○○のノートを借りたいんだけど、誰かこの講義受けてる人、いる?」と私。「だったら、1年生の… が、受講していたと思います。部屋に行ってみますか?」と後輩。結局、後輩の案内で、彼の部屋まで案内されることになった。ドンドン、おい… 開けるぞ! 彼の部屋のドアの前で、後輩が叫んだ。私の前では米搗きバッタとはいかないまでも慇懃な態度をとる後輩が、ちょっと居丈高になっている。ここに限った話なのかもしれないが、学生寮は、封建的な組織だ。年齢はともかく、学年がひとつでも上ならば「○○さん」、逆にひとつでも下ならば呼び捨てで呼ぶのが定番だ。後輩の態度を見て、あ、彼も先輩になったんだな… と感じた。少し間を置いて、彼がドアを開けて出てきた。とりたてて特徴のない風貌であった。まず私は自己紹介し、この部屋を訪ねた目的を、彼に伝えた。彼は了承し、私はめでたくノートを手に入れることができた。「どうもありがとう」と声をかけ、私と後輩は一旦、彼の許を離れた。大学の生協でノートを速攻でコピーした私は、今度はひとりで、彼の部屋へと向かった。さっきは見落としていたが、ドアの前面には、彼の名前と出身高校が書かれていた。北関東にあるその県では五指に入る進学校だった。「コピー取ったから返すよ。助かったよ」私は彼に、再びお礼を言った。「いえいえ」と彼。これで用事は済んだのだがこのまま帰るのも惜しいので、彼とちょっと世間話をした。出身校のこと、サークルのこと、等など。その過程で、浪人したのか他の大学を辞めてここに再入学したのかは忘れたが、彼は既に20歳を過ぎており、先ほど一緒に訪れた後輩よりも学年は下だけれども年齢は上であることを知った。会話していての印象は、初対面だったせいもあるし私の話し方が良くなかったせいもあるのかもわからないけれど、義務的な応対に徹している感があった。決して愛想は悪くないし訊かれたことにもきちんと答えるのだが、自分からは会話に積極的に参加したがらない、仲間の輪の中には入っていかない、そんなタイプに見えた。数ヶ月後、別の後輩から、彼が退寮したことを聞いた。繰り返しになるが、学生寮は封建的な組織だ。上級生の注ぐ酒を、下級生は酔いつぶれるまで飲み干さねばならない。そんな場面で求められるウエットな人間関係を、彼は結局築けなかったようだ。そういう学生は他にもいるが、寮の家賃は民間のアパートのそれに比べると格段に安いので、殆どは現実と折り合いをつけて寮に居座っている。退寮するからには、よほど寮を出たい事情があったんだろう。そして3年後、彼は事件を起こしてしまうのである。新聞で名前を見た時にも驚いたが、名前以上に目を引いたのが、順調に進級していれば4年生のはずだった彼の学年が、2年生となっていることだった。寮での生活と同様、キャンパスライフにおいても、彼はどこかで躓いてしまったらしい。失敗続きの日々… その中で唯一の光明が、同じサークルにいた被害者の女性だったのかもしれない。彼の犯した行為は絶対に許すことはできないが、事件に至るまでの彼は、やり場のない感情が澱のように積もり積もっていたのではないか。そう思わずにはいられなかった。
2005.11.14
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私事で恐縮ですが、今日は当日記が楽天に移籍して777日目なんです。特にどうってことはないんですが(苦笑)ゾロ目っていうのは、ちょっと嬉しいものですね。ゾロ目で嬉しいといえば、パチンコ。学生時代はよく行きましたが、ここ10年ほどご無沙汰。可処分所得が年々減少していく現状にあっては、そんなところに行くのが非常に勿体無いというのが、偽らざる気持ちです。なもんだから、昔はなんでパチンコにハマったんだろう? と思うことがあります。よく考えてみたら、高校生の頃から行ってました(苦笑)もっとも、当時ハマっていたのは羽根台で、軍資金も3,000円からせいぜい5,000円程度。予備校の講習帰りに仙台駅東口のパチンコ屋とかよく出入りしてました。デジパチにシフトしたのは、20歳になったばかりの頃だったかなぁ… 当時工事現場での警備のバイトをやっていた(参考)んですが、ここの会社が週給制だったおかげで常に小金があったため、ついついパチンコ屋へと足が向いてしまったんです。1回だけ3万円以上勝った時がありましたが、トータルでいくらつぎ込んでしまったことか… 少しでも貯金に回したら良かったのにと後悔する、今日この頃なのでした。※書いた後に分かったけど、この日記、こちらの日記と同工異曲だわなぁ(苦笑)1,500件以上も日記を書いてればネタかぶりは当然あるでしょうけど、見つけた日にゃやっぱりショックです。
2005.10.03
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ここ数日、通勤電車が嫌に混んでる感じがします。原因は何だろう… と思っていたら、意外なものでした。それは、試験勉強。特に高校生がノートやら教科書やら参考書やらを広げて勉強しているせいで、お客さん同士の間隔が開いてしまい、混んでいるように見えちゃう、という訳。それにしても、みんな電車の中でよく勉強できるよなぁ…私には、できない芸当です。高校時代も大学時代も、勉強した記憶は殆どありません。むしろ、スポーツ新聞広げて読んでた時の方が多かったかも(苦笑)あそこで勉強できていたらもっと偏差値が高くなっていたのかな… と若干の後悔を覚えつつも、そんな人込みの中じゃなくてもっと環境のいいところで勉強しろよ、ともヒネクレてみたり(笑)でも、通学電車でそれだけ熱心に勉強しているということは、やっぱりすごい執念だと思います。電車に居合わせただけで縁もゆかりもありませんが、試験の結果が努力に見合ったものだといいなぁ… と、陰ながら祈っております。
2005.09.29
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青春18きっぷを使って鈍行列車を乗り回していたのは、もう10年以上前のことになります。風景を堪能したいのでクルマよりは列車、複数よりは一人ということでその道に入ってしまった次第です。当時住んでいたのは福島市の金谷川でしたが、その間、南東北から北関東にかけてのかなりの路線に、乗車することができました。福島県と栃木県のJR路線に関しては全線完乗、茨城県も鹿島線を除いて乗車しています。ところが、列車に乗るのが目的の遠出だったもんで、盲腸線に乗る機会が異常に少なかったんですよ。盲腸線の終着駅では下車しないとバツが悪いもの。恥ずかしくてなかなか乗る気が起きなかったんです。お膝元に近い東北本線の岩切~利府間なんか、未だに未乗車のまま残っております(苦笑)それではいかんと思い、一度だけ、盲腸線に乗るためだけに出かけたことがありました。確かそのときは、郡山から水郡線で上菅谷に向かい、常陸太田までの枝線に乗車。その後水戸に出て昼食を摂り、水戸線で小山、更に宇都宮線で宇都宮へと移動し、日光線に乗車。改札も出ず洋館調の日光の駅舎を見ることもなく折り返しの列車で宇都宮に戻り、再び宇都宮線に乗って宝積寺へ。でもって、烏山線を往復し、あとは宇都宮線・東北本線を北上して帰りました。終着駅で待機する列車の中で「間違って乗り過ごしてしまったんですぅ」という顔をして待っていましたが、あの時は恥ずかしかったなぁ…
2005.09.28
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明後日は、いよいよ総選挙の投票日です。でも今回は、どの候補者、どの政党に投票しようか、本当に考えちゃいます。各種世論調査を見ると「改革」というフレーズに躍らされているような気がしますが、これって、今に限らずここ20年ぐらいはそんな傾向ですよね。そのハシリとも言えるのが、1989年の参議院選挙とその翌年の総選挙。同年に導入された消費税への対応をめぐって、野党の立場から反対を押し通したに過ぎない社会党が何故か改革派のイメージに祭り上げられ、選挙で大躍進。政権は獲れなかったものの参議院で党首が首班指名を受けるに至っています。そして忘れられないのが、1993年の総選挙。この時はまさに「政治改革」という言葉が踊り、改革派を標榜した新党が大躍進。非自民連立の細川内閣の成立をみました。でもこれらの結果、何が変わった? 何も変わっていないような… 特に1993年の総選挙では選挙権を得たばかりの私は「改革」に躍らされて彼らを支持する投票行動を取ってしまった経験があるだけに、今更ながら自分の軽薄さに、後悔することしきりです。なわけで、投票にいく前にもう一度「改革」の中味を検証することを、オススメしたいと思います。各候補者、政党の主張を自分の頭で吟味して、一番信頼できるところに投票する。選挙って、本来、そうであるべきですよね。人気投票とは違い私たちの生活に直接はね返る性質の投票だからこそ、ムードに躍らされる愚は、是非とも避けたいものです。
2005.09.09
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上司の息子さんが学校の弁論大会でクラス代表に選ばれたという話を聞きました。弁論大会… 懐かしい響きです。私も中学校時代、授業でやりました。大抵の人はゴミ問題とか世界平和とか挨拶とか月並みなテーマで、話す時間も2分程度。私もその一人でした。結局、クラス代表に選ばれるのは、、言語明瞭で、5分程度の話ができる人でしたね。私の場合、モノを書くのは結構好きなんだけど、人前で話すのが、実のところあんまり得意ではないんですよね。弁論なんかも大マジメに歯の浮くようなことを話さなければならないので、あまり好きではありませんでした。だから逆に、クラス代表に選ばれる人ってのは大した才能だよなぁ… と思いもしました。でもよく考えてみると、感心したのは発音とか言い回しとかのいわばテクニックの部分で、論旨についてはどうだったかなぁ? 今振り返ると、大したことは言ってなかったかもしれません。大人になった今でも、「話の内容」ではなくて「話し方」につられて感心していることって、結構あるかもしれません。「内容を聴く力」を、もう少し身につけなければと、中学生の2倍以上の年齢になった今、改めて思う次第です。
2005.08.24
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今日のテーマソング:田原俊彦「ピエロ」今日は、関東地方で地震がありましたね。被災者の方にはお見舞い申し上げます。変な話ですが、こんな時、長年(?)日記を書いていると面白いですね。一昨年に東北地方で連発した地震について、こんなことやこんなことを書いていたんですよ。それはとのかく、今日の地震で思い出したのは、国分寺に住んでいた小学2年生の時のこと。その日は午前の授業中に地震があり、防災頭巾をかぶって机の下に隠れたのかな? そんなに大きな揺れではなかったと思うんですが、避難訓練通りの行動をとったように記憶しています。で、今思い出すと苦笑モノだったのは、その後のこと。午後の最初の授業が国語だったんですが、なんと、「さっきあった地震について、作文を書きなさい」という内容。別にその時は何の疑問もなく書いたんですが、先生も、よほど授業のネタに事欠いていたんだろうな… と思います。そういえばこの先生、図工の時間は十中八九切り絵。しかも前回の授業で余った紙を使い回していたから、手抜き授業は得意だったかも。だからなんでしょうか、生徒の評判も、あまり良くなかったような気がします。
2005.07.23
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今日のテーマソング:森高千里「気分爽快」昨日の日記で「福島市内の路地裏のギョーザ屋で合コンを試みて、大失敗した」という話を書いたんですが、振り返ってみると、あの時は、私が某短大生から「合コンしませんか?」と依頼を受けて、場所のセッティングを友人に依頼したんでした。その友人には熱を上げている女性がいて、合コンにはあまり興味なし。自分がギョーザを食べたかったものだから、敢えてそんな店を予約したみたいでした。あの時は酷かったなぁ… 女の子はドン引きだったし、全然盛り上がらなかった。まぁ、もう12年も前の話だから、どうでもいいんですが…そうそう、その友人は、路地裏とか裏通りにある店舗とも民家とも区別がつかず爺さんと婆さんだけで切り盛りをしているような定食屋や飲み屋にやたらと詳しくて、常日頃からいろいろ行ってましたっけ。彼と食事や飲みに出掛ける時は、十中八九、そんな店だったような気がします。彼は、秋田の郡部出身。だから小洒落た店よりも、このテの店の方が落ち着けたのかなぁ? おかげで、私もそのテの店事情には、それなりに詳しくなりました。
2005.07.22
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今日のテーマソング:志村けん「東村山音頭」今日の夕方に漫然とTVを観ていたら、志村けんが自宅で手料理を作っている画に出くわしました。話には聞いていましたが、芸が細かいんですよね~ シジミを煮たと思ったらその煮汁でご飯を炊いたり、更にその中に焼きシャケを入れたりしてました。自炊にハマる男性の話って、よく聞きますよね。一人暮らしをしていた学生時代、私の周囲にも、やたらと凝ったオカズを作っている人は、何人かいました。でも私は、自炊はまるでダメでした。ゴハンは炊いてましたがあとはコンビニで買ったオカズを乗せて食べるだけ。味噌汁すら作りませんでした。いくらなんでも、これじゃまずいわな。今更ながら、もっと作っておけば良かったと、ちょっと反省しております。そう言えば、新婚当時、「合宿」と称して、夫婦していろいろ作ったなぁ… 子供が産まれてからはとんとご無沙汰してますが、彼らがもう少し大きくなったら、復活させる必要があるかも… いつまでも、料理ができないダメ親父じゃ、カッコ悪すぎますもんね。
2005.07.10
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今日のテーマソング:東京パノラママンボボーイズ「パチンコ」今日福島の街へ行った際に、駅前のパチンコ屋が改装中だったのを目にしました。そういえば、福島の街はアミューズメント施設も少ないですね。駅から歩いていけるパチンコ屋は、この店と、その隣にあるもう1軒しかありません。私はどちらの店にも入ったことがありますが、相性が良かったのは改装中の店の方。1度だけですが、2万円以上勝ったこともありました。とは言うものの、それはもう10年以上前の話。学生時代には結構通ってたパチンコですが、最近はとんとご無沙汰。結婚してからは1度も行っていません。興味がなくなったというのもあるんですが、一番の原因は、自分で自由に使えるお金が少ないこと。パチンコなんて1回行って負けた日にゃ相当な損になるし、リスクが高くてなかなか足が向きません。これからも恐らく、パチンコに行く機会は殆どないと思います。なんであれに夢中になってたんだろう? 今思い返すと、ハシカのようなものだったのかもしれませんね。
2005.07.09
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今日のテーマソング:バービーボーイズ「さあどうしよう」昨日の日記で昔の伊達郡の区画を知らない、あるいは捏造して伝えた郷土史家のことを書きましたが、実はどうようの赤っ恥は、私自身もやらかしてるんですよ。今から15年前の学生時代のことだったんですが、郡山の磐梯熱海出身の同級生がいたんですが、ある時こんな話になったんです。「磐梯熱海って、昔は安積郡熱海町だったんだよね?」と私。「違うよ、安達郡だよ。」と同級生。第三者が見れば地元の人の言ってることが正しいと思うでしょう。しかし私の自宅にあった1963年版「河北年鑑」には「安積郡熱海町」の記述がきちんと載っている。だから「え~、安積郡だよ!」と大胆にも突っぱねた。そんな感じで何度かやりあったような気がします。結論から言うと、同級生も私も、言ってることは間違いではありませんでした。磐梯熱海の歴史過程って、実はこうなってるんですね。1889.4.1 安達郡高玉村他3村が合併し、安達郡高川村発足1940.4.1 安達郡高川村が町制施行し、安達郡熱海町となる1954.9.1 安積郡丸守村と合併し、安積郡熱海町となる1965.5.1 郡山市に合併もともと安達郡だったのが、戦後の合併で何時の間にか安積郡に編入されている(笑)確かに考えてみると、国道4号沿いの安達郡本宮町から五百川に沿って真西の磐梯熱海へと抜ける県道があって磐越自動車道の開通および国道115号線の整備前は福島から会津へと抜ける重要ルートとして活用されていたものですが、どうもこれは二本松と会津を結ぶ古い街道だったらしく、そのことを考えると、磐梯熱海が安達郡だったというのも、多少は納得がいくんです。明治以降は磐越西線の開通などで郡山との結びつきが強くなったから、戦後の合併を機に、実情に即した郡域変更が行われたんでしょうね。旧・安達郡の地域は他にもあって、昨日の日記でも少し触れた伊達郡川俣町の山木屋地区は1955年まで安達郡山木屋村だったし、現在は福島市のJR松川駅のすぐ東にある沼袋及び下川崎地区も1955年まで安達郡下川崎村でした。安達郡の中心は二本松ですがあまり大きい街ではないから求心力が弱いんでしょう。結果、福島方と郡山方に少しずつ領土を盗られたみたいになっちゃってますね。
2005.07.01
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今日のテーマソング:松田聖子「SWEET MEMORIES」今日、職場で、どういう経緯かソフトクリームをおごってもらいました。経理課員全員で、大の大人がソフトクリームペロペロの図(爆)それはともかく、ソフトをなめながら思い出していたのが、コーンに書かれた「NIEEEI」の文字にまつわる、ひとつのエピソード。今から4年前、上の子が妻のお腹の中にいた頃の話なんですが、一日中自宅にいた妻の趣味は「投稿」でした。「公募ガイド」なんか買って来ては、気になったものを応募する毎日。で、その中に、ソフトクリームのコーン製造のトップメーカー・日世のものもあったんです。内容は、この会社のシンボルキャラクター(大きなソフトクリームを抱えている男の子と女の子)の名前の公募。早速かの会社のHPをチェックし、彼らがアメリカ生まれであることを確認してから、「ジミーとアニー」だったっけ? とにかくアメリカの子供の名前を書いて送ったんです。で、数ヶ月後の結果発表。HPに載っているということだったので早速見に行くと…なんだこりゃ!?結果はこのページの左側に載っているんですが、その名前はないじゃん! ひどいよ!! そんな名前にするんだったら、最初っから公募なんてするなよ! しかもアメリカ生まれだろ!! プンプン!!まったく、「責任者でてこ~い!」って感じですよね。公募した人があれこれ考えたことに全然報いてないことに、ちょびっと腹立たしさを感じたのでした。
2005.06.04
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今日のテーマソング:舘ひろし「泣かないで」前の日記で「今さらジロー」の話を書いたんですが、そのフレーズを初めて聞いたのは、確か大学時代のことだったと思います。使っていたのは、当時の麻雀仲間。誰かが打牌をミスった時の言い訳に対して、「そんなの今さらジローだよ!」あるいは「今さらジローさんだよ!」とか言っていたような記憶が残っています。彼は普段の会話ではダジャレなんか滅多に言わないタイプだったんですが、麻雀になると妙に饒舌だったような気がします。「今さらジロー」の他にも、打牌に迷う「何切る?」状態の時に「♪ちょっと待ってよねぇ~」(工藤静香「くちびるから媚薬」)とか、上家の捨て牌に対して誰かがポンした時に「♪泣かないで~」(舘ひろし「泣かないで」)とか、口が動いてましたっけ。これって彼のオリジナルなのか、それとも片山まさゆきあたりがマンガで使ってたのかよくわからないんですが、少なくとも彼が麻雀を「楽しんでいる」ことだけは、伝わってきました。そしてまた、仲間内では彼が一番強かったんですよね(笑)別に彼の真似をしなくてもいいと思うんですが、何事にも心に「ゆとり」がなければ上手くいかないんだなぁ~って、今さらながら思います。
2005.06.02
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今日のテーマソング:小林麻美「雨音はショパンの調べ」前の日記にも書いた通り、連休中も出勤しております。おかげで通勤電車が空いてること、空いてること! 普段の平日だったらギューギュー詰めの車内も、今日は空席があるぐらいでした。それはそれで快適であり淋しくもある通勤風景なんですが、毎年面白いなぁ… と思うのは、GWの前と後とでは、電車の混雑具合が明らかに緩和されてるな、ということ。5月10日になっても20日になってもあの4月の混雑は、戻ってこないような感覚があるんです。理由はいろいろ推察できます。それまで何をするにももたついていた新入生が通学に慣れてきたんだろうとか、あるいは単に暖かくなったから着膨れが解消されたんだろうとか。でも一番怖いのは、通勤・通学する人の数自体が減ってしまっているかも… ということ。高校生ではあまりいないでしょうけど、大学生だと十分にありえますよね。私がそうでしたし(苦笑)授業は取っていたけど当然のように自主休講。で、昼間まで寝ている。それが学生時代の私。単位? 当然「放棄」の嵐… 絵に描いたようなダメ学生でした。今年もまた、私と同じ轍を踏む輩がいるのかなぁ… あるいはいなかったりするのかもしれませんが、大学って何かと誘惑の多いところです。新入生の方々には、自分を見失わない程度に学生生活をエンジョイして欲しいな、と思います。
2005.05.04
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今日のテーマソング:今井美樹「DRIVEに連れてって」今日の午前中は、今井美樹の「DRIVEに連れてって」が、頭の中をエンドレスに流れていました。最近遠出してないから、心の奥底で欲求不満が溜まっているのか? それにしても、何で今井美樹!?振り返ってみると、今井美樹のCDって、昔結構聴いてたかもしれません。今でもベスト盤持ってるし。彼女の曲は(布袋寅泰が作った曲でも)五月蝿くないし、聴いていて心が落ち着くって部分は、確かにあるかもしれません。お恥かしい話なんですが、学生時代、旅先(といっても青春18きっぷで東日本一帯を回っていただけなんですが)で突然今井美樹が聴きたくなってCDを衝動買いしたことがありました。確か1991年の9月上旬、まだ残暑が厳しい時のことで、その時は福島市金谷川の自室から東北本線~磐越東線~常磐線と乗り継いで水戸まで行ったんです。水戸泉の出身地だという泉町の商店街を一瞥して「パッとしない街だなぁ」との印象を受け水郡線で帰ろうとした矢先、駅ビルのレコード屋で今井美樹の新しいアルバム(確か「ジュビア」っていったかな?)の広告が目に入り、急に聴きたくなって気がついたら買っていた次第。今もって理由は不明。アルバムの中に知っている曲は何一つなく、予備知識なんて全然なかったのに、気がついたら手が伸びていた。後にも先にも、この時だけの奇妙な体験でした。
2005.04.28
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今日のテーマソング:沢田研二「カサブランカ・ダンディ」今年で、禁煙してから10年が経ちます。まぁもっとも、今でも飲み会なんかではたまに吸うことはあるんで「タバコを口にしなくなってから10年」ではないんですが(苦笑)喫煙の習慣は間違いなく10年前に止めてます。禁煙以前の私は、結構なヘビースモーカーでした。1日1箱~2箱は吸ってたかなぁ? 部屋の天井は常に真っ白け。ヤニ臭い臭いもだいぶ篭ってました。それがなんで禁煙に走ったのかというと、結局のところ、当時交際を始めたばかりの妻のひとことがきっかけ。確か「タバコ、止めた方がいいよ」ってな感じで言ったと思うんですが、その一言でスパッと喫煙を止めちゃったんですね。禁煙の際に出るという禁断症状も、一切なかったです。にしても、振り返るとよく止められたな~
2005.04.19
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今日のテーマソング:とんねるず「一気!」寿司屋のシーンだと「スシ食いねェ!」、温泉のシーンだと「いい湯だな」と、定番のBGMってあるもんですが、新歓行事やお花見が続く今の時期の定番といえば、今日のテーマソングにも挙げたとんねるずの「一気!」ですね。一気飲みってかなり前から批判の対象になっているはずなんですが、なかなか収まる気配がありません。どうしてこんな飲み方が定着しちゃったんだろう? って思います。一気飲みの怖いところは、飲みはじめてからアルコールが身体に回るまでの間に多量のアルコールを摂取しがちになってしまうこと。傍からだと一気飲みって辛そうに見えるんですが、飲むだけだったら意外に簡単にできちゃうものなんです。実はこれが落とし穴。飲んだ本人も「あれ? 自分って結構飲めるクチなのかな?」と誤解しちゃうし、周囲も「もう一杯! もう一杯!」って煽るから、ついついガバガバ飲んじまう。そこまではいいんですがしばらくしてアルコールが回りはじめるとさぁタイヘン! ってオチになっちゃうんです。あたしゃぁこれで、何度失敗したことか…一気飲みを場を盛り上げるための必須アイテムとして捉える人もいるでしょうが、私はあまり勧めたくありません。「一気!」とともに一気飲みの存在が世に知れ渡ってからもう20年以上経ちます。そろそろ他の飲み方が宴会の主流となってもいいんじゃないかな? って思います。
2005.04.14
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今日のテーマソング:B'z「Wonderful Opportunity」私の住む桑折の駅前では、今、駅前広場の整備事業が急ピッチで進められています。今朝も道路の舗装工事で、ダンプや什器が所狭しと動き回っていました。このテの工事に欠かせないのが、交通誘導の警備員。仕事のアルバイトをしていたことがあるので、彼らの姿を見ると昔のことを思い出してしまうことがあります。私が警備員のバイトをやっていたのは今から13年前、大学3年生の時のことになります。事務所は南福島にあったんですが担当する現場は北は宮城県境から南は石川郡の母畑温泉まで幅広く、また時間帯も、日中あり夜間ありと、バラエティーに富んでいました。正直いって不規則な勤務形態だったし通行量の少ない現場ではどうやって時間を潰そうか途方に暮れたものでしたが、給料が案外に良くしかも週払いだったため、勤務する学生の数も結構多かったです。工事現場って意外にも始業も終業も測ったように時間厳守なんですが、まれに残業もありました。なかでも酷かったのが、福島市北部の水道工事の現場での出来事。道路をほっくり返して水道管の付け替えかなんかをして再舗装するという工程だったんですが、その再舗装の最中であまりにも入念に道路を圧したせいか水道管が破損、周辺が水浸しになったことがあったんです。当然、道路は通行止め状態。通ろうとする車両からは散々文句は戴くし、迂回路を指示したらそれが実は私道で、今度は私道の持ち主からも苦情… といった具合。午後5時が定時だったんですが、結局午後8時ぐらいまで現場に張り付かざるを得ませんでした。そんなことをやって稼いだお金。殆ど食費とボウリング代とパチンコ代に消えてしまったなぁ… ボウリングの腕だけは上がりましたが、他に何も残らなかったのが、ちょっと情けないですね。
2005.03.21
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今日のテーマソング:わらべ「めだかの兄妹」今、ちょっときつい腰痛に、悩まされています。3年前の年の瀬にも激しい腰痛に悩まされた(参考)んですが、それに匹敵する痛さ。病院には通わずになんとか凌いでいるんですが、移動するとき、ちょっと辛いです。腰痛で突然思い出したのが、生まれて初めて腰痛になったときのこと。当時中学1年で体育の授業を見学したんですが、クラスで仲の良かった女の子に「オッサンみた~い」とからかわれてヘコんでしまった思い出があります。その女の子、今は何しているのか全然わからないんですが、確か2歳年下の弟がいたはず。偶然ですがウチの妻も2歳年下の弟がいます。妙な一致です。更に振り返ってみると、異性と会話する時(といっても、サンプルが少なすぎるんですが…)、私にとって話しやすいのは圧倒的に「お姉さん」なんですね。私自身が3人きょうだいの一番上だからかもしれませんが、どうしてなんだろう?10年ぐらい前に「兄弟型」という性格分類が流行りましたが、あれって結構、正鵠を得ているんじゃないかなぁ? 提唱者である漫画家・畑田国男氏が1996年に急逝してから使われる機会が極端に減ってしまいましたが、メジャーな場に復活させる意義はあるんじゃないかと思ってます。
2005.03.08
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今日のテーマソング:春日八郎「赤いランプの終列車」今日の南東北は、雪。仙台と福島とを毎日往復している立場としては、JRの運行情報が気になるところ。調べてみると、案の定。普通列車に若干の遅れが出ているとのこと。参ったなぁ…こんな具合に特に冬場は運行情報をこまめにチェックしているんですが、チェックするとかなりの確率で運休になっている路線がひとつ、あります。それは、福島県会津若松と新潟県魚沼市小出とを結んでいるローカル線の只見線。今日も、「雪の影響で、小出~只見間の上下線で終日運転を見合わせます。」との記載が。沿線を襲った新潟県中越地震の影響が若干残っているのかもしれませんが、ほぼ毎日、この表記が載っているんです。もっとも、運行可能な状態だったとしても、只見線の列車は、本数の多い区間(会津若松~会津坂下間)でも1日7往復で、少ない区間(福島と新潟の県境)だと1日たったの3往復! 今やある意味希少価値の高いローカル線中のローカル線で、それでも廃止されずに生き残っているのは、並行して走っている国道252号線が雪の影響で冬季間閉鎖されてしまうからだということです。そんな只見線に、学生時代に一度だけ、乗ったことがあります。長期休暇になると学校の生協で青春18きっぷを1回分だけバラ買い(当時はそういう芸当が可能だった)しては列車に乗りまくっていたんですが、さすがにこの只見線は、日帰りで乗るのに若干の執念を要しました。当時は福島市の金谷川に住んでいたんですが、ここから会津若松経由で只見線に乗ろうとすると小出で夕暮れを迎えてしまい、その日のうちに帰宅できないんです。磐越西線で新潟県に入って只見線で福島に帰るというマニアックなルートで、辛うじて日帰りで乗ることができたのでした。それにしても、そんな思いまでしてよく乗ったよなぁ… 今現在のダイヤでも似たようなスケジュールが組めるので下に示しますが、こんな電車乗りまみれのスケジュール、今の私だったら完全にネを上げています。若かったし、好奇心もあったからこそ、できたんでしょうね。高齢化率40%超という過疎地域を走っている只見線。沿線人口の減少と並行道路の整備で今後の存続が危ぶまれていますが、地域の足として、もうひとふんばりして欲しいなと思います。<今現在のダイヤで当時の行程を再現すると…>金谷川 8:48 ~(東北本線)~ 郡山 9:25郡山 10:10 ~(磐越西線・快速)~ 会津若松 11:11会津若松 11:17 ~(磐越西線・快速あがの1号)~ 新津 13:15新津 14:24 ~(信越本線)~ 長岡 15:26長岡 15:28 ~(上越線)~ 小出 16:03小出 16:08 ~(只見線)~ 会津若松 20:50会津若松 20:55 ~(磐越西線)~ 郡山 22:07郡山 22:10 ~(東北本線)~ 金谷川 22:46(帰宅)<ちなみに、このルートでも、只見線に乗車可能です。>金谷川 6:16 ~(東北本線)~ 黒磯 8:06黒磯 8:18 ~(宇都宮線)~ 宇都宮 9:08宇都宮 9:09 ~(宇都宮線)~ 小山 9:36小山 9:53 ~(両毛線)~ 高崎 11:49高崎 12:17 ~(上越線)~ 水上 13:19水上 13:44 ~(上越線)~ 小出 15:06小出 16:08 ~(只見線)~ 会津若松 20:50会津若松 20:55 ~(磐越西線)~ 郡山 22:07郡山 22:10 ~(東北本線)~ 金谷川 22:46(帰宅)
2005.02.16
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今日のテーマソング:フリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」今日と明日は、センター試験なんですね。受験生の皆さん、頑張って下さい。私がセンター試験を受けたのは、もう15年も前のこと。当時17歳(2月生まれなもんで…)だったから、センター試験を挟んで人生の前半と後半に分かれちゃってる感じです。考えてみたら、センター試験での結果を受けて、それまで自分とは縁もゆかりもなかった福島の大学を受験して合格、入学し、在学中に知り合った桑折町在住の女性と結婚して結局そこに居着いちゃってる訳だから、私にとっては冗談抜きに、人生の岐路でした。それはともかく、今日のメインテーマは、大学入学後のお話。しがない地方大学とはいえ、集まってくる学生は、少なくとも中学時代までは校内でトップクラスの成績を記録し、進学校と言われる高校を卒業した人ばかり。従って「プライドの固まり」的な人が多かったんです。でも、よく観察すると、彼らの多くは「やりたいことは特にないけれども人生のレールからは外れたくない人」だったりするんですよ。この傾向は、3年生以降になると、顕著になってきます。偏見かもしれないけど、そういう人たちって、会話しててもちっとも面白くなかったし、人間的な魅力もあまり感じなかったです。私自身も一度はそういう道を歩んでいたけど常にモヤモヤしたものを抱えていましたしね。だから、月並みな話ですが、「自分はこういうことをしたいんだ!」という目標を持っている人は、傍で見ていて輝いていたし、羨ましいとも思ったもんです。そして、彼らから学んだり、極端な話元気を分けてもらうことも多々ありました。今現在もつきあいのある大学時代の友人はみなそういう人だし、私自身も彼らにあやかりたいと思っています。結果的にしがないサラリーマンとして生きてはいますが、幸いにもこの日記を通じて自己主張する機会を得ているので、もすこし皆さんに喜んでもらえるような主張をしていきたいですね。
2005.01.15
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今日のテーマソング:マルシア「ふりむけばヨコハマ」今日は、12月7日の日記の続編です。といっても、シンクロニシティ(語句を間違えて覚えてた… 恥かしいデス)ではなく、カラオケの方のお話。その昔カラオケで小平さん(何度も登場させてしまって恐縮です)に「ハロー・グッバイ」を強制的に歌わせたってエピソードを前回紹介したんですが、実はこれ「他の人が選んだ曲を歌う」って仲間内での企画だったんですよ。だから私も、小平さんの選んだ曲を歌わされたはずなんですが、7日の日記を書いた時点では何を歌わされたのか忘れていたんで、書かなかったんです。ところが今日になって、唐突に思い出しました。マルシアの「ふりむけばヨコハマ」だったんです。当時のマルシアはタレント色が薄く日系ブラジル人ながらも猪俣公章門下の本格演歌歌手の位置付けでこの曲もヒットしたんですが(よく考えりゃ彼女も一発屋だ)、私は歌えませんでした。出だしとサビだけはわかるんですが、その間がよくわからない。結局、私の「ふりむけばヨコハマ」は、場をシラケさせるだけで終わってしまいました…それにしても他人の選んだ曲を歌わせるなんて、無茶なことをしたもんです。小平さんのようにきちんと歌えればサマになるけど、ハズすと時間の無駄に終わりますからね。それでも当事者としてはそういうミョーなことをするのが面白くてしょうがなかったです。ハシが転がってもおかしがる… いやちょっと違うな。とにかく、ヒマがあるにまかせてバカばっかりやってた学生時代。あの頃に戻りたいなんてセンチな気分には「なるもんか!」と歯を食いしばってなんとか耐えてますが、リフレッシュできる暇は欲しいよなぁ… 今、バカができるのは、この日記の中だけだもんなぁ(苦笑)
2004.12.10
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今日のテーマソング:南野陽子「吐息でネット」買い物のついでに近隣の町の住宅団地をクルマで回って帰るのが、このところの休日の楽しみになっています。先週は国見町の国見ニュータウン、そして今日は、伊達町の諏訪野。こんなところに住めればな~ と思いながら回ってます。願わくば私の住む桑折町にもこんなの欲しいんですけどね(苦笑)で、今日伊達町を回っていて、ふと思い出した人物が。大学時代の同級生で、伊達町出身の男性。他県の大学に進学しながら退学し地元の大学に入り直した変わり種だったんですが、このエピソードに代表されるように、ちょっと奇行が目立つヤツでした。大学から自宅に電車で帰る途中で急に「仙台に行く!」と言ってその足で本当に鈍行で仙台まで行ってしまったり、自宅から十分通学できるのにわざわざ部屋を借りて一人暮らししてみたりといった具合。自分の欲求に正直と言うか、良く言えばピュアなヤツでした。ピュア同士で心が通じ合うからかサークルも児童文化研究会なるところに入ってしまい、しかもここでの活動にハマってしまったらしく、結局我々の前からはフェードアウト。卒業したかもどうかも定かではありません。その彼、カラオケ屋での行動が、また面白かった。カラオケでは誰でも歌いたい曲を歌ってると思うんですが、よっぽど自信がなければ異性の歌手の曲は普通避けますよね。ところが彼は、そんな曲でも平気な顔して歌っちゃう。南野陽子とかWINKとか工藤静香とか(特に「黄砂に吹かれて」がお気に入りだった)、よく歌ってました。それで歌が上手ければまだ良かったんですがどんな曲でもメロディーライン関係無しにシャウト! って感じだったから、周囲は困惑。それでも気の良いヤツだし一緒にいて面白かったので、ちょくちょく一緒にカラオケ、行きました。今、彼はどうしているのかなぁ? 世間を知ってオトナになってしまった姿は見たくないって気持ちはあるんですが、せっかく彼の実家の近くに住んでる訳ですから、バッタリ出会う機会はあるんじゃないかと、密かに期待しています。
2004.12.05
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今日のテーマソング:TM NETWORK「SEVEN DAYS WAR」今日は、昨日の日記に関連して、思いっきり情けない話を書きます。【月曜日】実はプリプリのライブ、直前になって行くの止めようと思ったことがあったんです。これが実に情けない理由で、「お金がない!」ただ一点。ライブの1週間前、7月下旬の月曜日に当時借りていた育英会の奨学金が振り込まれる予定だったんですが、何かの手違いがあったらしく振込されなかったんです。この時点で、サイフにあったお金はわずか50円のみ… ライブが終わったらその足で仙台近郊にある実家に帰ろうと思っていたんですが、その仙台まで行く足がない状態に陥ってしまいました。とりあえずその日はなけなしのお金で買えたガムをポケットに入れ家路につくことにし、翌日以降に対策を考えることにしました(なんて楽天的な…)帰宅し、食料を確認。袋入りのラーメンがひとつとインスタントコーヒー、カップスープが少々。それだけ。どうすんだよ、こんな状態で… 当初の楽天的な気持ちはどこへやら。何時間もガムを噛みながら、途方に暮れるのでありました。【火曜日】この日は学校の事務所まで出向き(自室から徒歩で行けたのはラッキーでした)、何故奨学金の振込がなかったのかを確認。話を聞くと、なんでも5月に奨学金の受給確認があったんですが、私はそれに出向かなかったため振込がストップしてしまったとのこと。「掲示板に書いといたんですけどねぇ」事務員さんの冷たい一言。とりあえず事務所で手続を済ませましたが、奨学金の振込は8月上旬になるとのことだったので、再びショック。こっちは今すぐに現金が欲しいのに(涙)途方に暮れた私は、ライブのチケットを売ることにしました。ただし、昨日も書いたようにライブは友人と行く予定だったので、売却先はその友人と共通の知人、友人に限定されたんですが(苦笑)結果は… ダメでした。ライブ当日は予定が入っていたり、夏休みに入っていたので帰省していたりで、調整がつかなかったんです。こんな紙切れ、今の私には何の役にも立たないよ(涙)食料の方は、ついになけなしのラーメンを食べてしまいました。飲み物だけでこれからどうやって過ごすんだ? まったく。【水曜日】空腹な一日です。朝からコーヒーを飲んでなんとか凌いでいたんですが、さすがに飽きました。カップスープも既にカラ。それではと白湯を飲んでみたんですが、却ってダメダメでした。どうにもこうにもお腹が空いたので、ついに、台所の調味料類に手が伸びることに。手をつけてしまったのは、サラダオイル。計量スプーンに1敗掬って、ゴクリ。栄養的には多少のメリットはあったんでしょうが、味覚的にはド最悪(苦笑)あの、喉元をヌメヌメと通っていく感覚は、二度と体験したくないですね。【木曜日】この日は部屋にあったCDの一切合切を紙袋にまとめ、同じアパートに住んでいた友人に片道の電車賃だけ借りて、福島の街に外出。前日は終日部屋にいたから気がつきませんでしたが、久しぶりに歩いてみるとやや千鳥足気味。まともなものを食べないとそろそろヤバそうな雰囲気になってきました。やっとの思いで、福島市中心部にある中古CD屋に到着。10枚以上のCDを持ってきたので少なくとも3,000円以上にはなるかな? と期待していたんですが、持ってきたCDが「えっ!あの人がこんな歌を…」※1なんて訳の分からん企画モノばっかりではマニア受けはしても商業的価値がないと判断されたのか、トータルで1,000円ちょっとにしかならず、トボトボと帰宅。それでも、CDを売ったお陰で、久々に固形物を口にすることができました。菓子パンだったんですけどね(笑)【金曜日】この日は、ちょっと嬉しい話が。明日の土曜日に単発のアルバイトをすることが決まったんです。内容は、二本松市内での交通量調査。終日拘束されますが、日給7,000円しかも昼食付きなのでやらないテはありません。これからの暮らしに光明が見えてきました。諦めかけていたライブにも、行くことができそうです。それともう一つ、嬉しい出来事が。結婚式場でアルバイトしていた麻雀仲間の友人から、まかないのサンドイッチの差し入れを貰ったんです。嬉しいぃ~!! 戴いたそばからサンドイッチにがっつく私。傍で見ていた友人は呆れ顔です。ちなみに、この日も卓を囲んだんですが、よくそんなことをやる余裕があったよなぁ… 自分の神経を疑います。【土曜日】ということで、この日は二本松まで単発バイト。歩行者が来たら紙に正の字を書くだけの単純作業だったんですが、かなり暑い日だったんで、同行者と交替しながらやってました。休憩中は業者のワゴン車にいたんですが、そこにスポーツ新聞があったので、熟読。私はスポーツ新聞フリークなんですが金欠期間中はもちろん買えなかったので、久々に目にします。気になったのは、終盤を迎えていた大相撲。幕尻の琴富士が優勝争いで一歩先行し、今日にも優勝が決まるとの話。大横綱千代の富士が引退、大乃国、旭富士、北勝海の横綱陣が精彩を欠いていた当時の各界でしたが、幕尻優勝なんて普通ありえるか? 後でVTRを観たら、小錦戦なんてどう考えてもヤラセっぽい内容だったぞ※2。夕方に仕事が終わり、キャッシュでバイト料をGET。嬉しい! 久々の現金で心も弾みますが、夕飯はコンビニ弁当で間に合わせました。【日曜日】ライブの当日です。仙台まで電車で行き、何事もなかったようにライブを楽しんできました。行けてよかった… と心から喜んだものですが、それにしてもいったい何だったんだろう、この1週間(笑)♪あれこれイマジネーション(@バービーボーイズ)当時はそれなりに必死だったんですが、今思い返すと、私自身「ネタ」として超金欠生活を敢えて選択したような気がします。後日、「この話をして笑われるのを楽しんでいる自分」ってのが確実にいましたから。二度と経験したくない気持ちには変わりありませんが、多分一生のうちに五指に入るぐらいの情けない思い出として、私の記憶に永く残っていることでしょう。※1「えっ!あの人がこんな歌を…」 (1990年7月21日 CBSソニーよりリリース・絶版)の収録曲は、以下の通りです。しかし私も、なんでこんなの買ってるんだか(苦笑)1.学校の先生 / 坂上二郎2.涙のパンダ / 黒柳徹子3.恋はB.C.R / エミリー4.掛布と31匹の虫 / 掛布雅之 with 日本児童合唱団5.ハンダースの想い出の渚 / ザ・ハンダーズ feat.清水アキラ6.ほほえみの扉 / 三浦友和7.林檎殺人事件 / 郷ひろみ&樹木希林8.DUKE / 草刈正雄9.ローリング・ドリーマー / ジャンボ鶴田10.Bigな気分 / 明石家さんま11.じゃりン子チエ / ビジー フォー12.タモリのワーク・ソング / タモリ13.子供達を責めないで / 伊武雅刀14.主人公 / 田尾安志15.昭和の恋の物語 / 古舘伊知郎 16.ス・キ・ふたりとも! / セブンティーン・クラブ※2終盤のどこかで当たったんですが、小錦が例によって突きまくる一方的な展開。ところが土俵際にきたところで琴富士が簡単にもろ差しになってしまい、そのまま体位を入れ替えて吊り出しました。「あの」小錦がいとも軽々と持ち上がったので、マジメに目を疑いました。
2004.11.27
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