☆       ぼくの部屋      ☆

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障害を持つ子の親として



発達障碍 広汎性、アスペルガー症候群と

自分のお子さんを説明される方ほど、

療育や、お勉強会やら講演会、親の会などに

真剣なように思う。

「知的に遅れはないから」と、

お子さんの学習にも一生懸命で、

学校や教師に対する不満も多く、

社会に向かっての「理解を!支援を!」の訴えも多いようだ。



 「差別のない社会を!!」と

しょうがいを持った子を抱えて、願う気持ちは、

親として、至って当たり前なのだろうけれど、

「差別」って????

自分とは違うもの、理解できないものにたいする

心の動きは全て差別であり

けっしてこちら側だけが「差別」される者ではないと思う。

現に、「知的に遅れはないから・・・」

ということが、「知的障害児」と括られることに

嫌悪感があるんだろうなぁ感じられてしまう。

自分自身の心の中に、『障害』に対する差別の根が

あるのではないかしらと・・・・



 まだ、就学前、小学生のお子さんの親御さんほど

一生懸命で、マニュアル探しと言おうか、

いろんな情報集めに翻弄されているけれど、

「もう少し力を抜いて」とポソッと声をかけたくなる。

必死になりすぎて、どんどん世界が狭くなり、

息苦しそうに見えてくる。


 理解されない、差別されると思う前に

「理解しない側を理解するきもち」を

ほんの少し解ってみようと思う。

だって、この子達を授かる前は、

自分たちもあちら側。。。


 身も心も頑なに、

「理解して」と叫んでも

せっかく差し出された優しい手に

気づかなければ何も始まらない。

人の心は、思うほど冷たくはないと

信じて、まずはこちら側の門を開けたい。

壁を切り崩したい。

人はみなお互い様だもの・・・・








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