猫のお手伝い

猫のお手伝い

人間の証明


森村誠一の超有名作品。

日の出の勢いの角川書店が(たぶん)社運を賭けて製作した映画のコピー、
「読んでから見るか、見てから読むか」(逆かも)は、
当時の流行り言葉で、
小学生にもなっていなかった私もおぼろげながらに覚えている。

最近あたった「白い巨塔」の二番煎じ、なんて侮ってドラマを見ていた。
私は本当にそういうことが多い。
期待してないほうが面白いとか、
残念賞をどっちにしようと考えていたら当たりくじを引くとか、
とにかく、天邪鬼な人生で、
たぶん、性格がそうだからなのだろう。

まあ、原作を読んでみようと興味をひいた。
読んだことはなったが、
時代背景が戦後まもなくから高度経済成長期にかけてなのだということは、
なんとなくわかっていた。
だから、現代風にベトナム戦争や全共闘をからめて、
うまく作ってるやんという気はあった。

結論から言うと面白かった。
多少古臭い感じはしても、面白かった。
だけどひとつ、腑に落ちない。

「人間の証明」とは、
犯人である八杉恭子が最後の最後で見せた人間性、
他人を信じない棟据刑事をはじめとする、
物質信仰の権化と化した現代人のなかにも、
「人間性」が燠火のように残っているのだと証明してみせるお話だ。
それはわかる。

実の息子を殺してまで守りたかった「権力」、
実の息子と娘を道具として利用してまで作り上げた「名声」、
八杉恭子がそう簡単に捨てるとは思えない。
いや、彼女ほどの女がそんな情に流されるとは思えない。

世の中の人、ほとんどが男性だろうが、
女がはじめから「母性」を持っていると信じている。
男と違い、肉体を酷使して命を生み出すからだろう。
だけど、男親が「父親」になるように、女親も「母親」になるのだ。
降って沸いたような「母性」など幻想だ。
時間が経過すれば人が「大人」になれるわけではないように!

誰もが知っているはず。
時が「大人」にするのではない。
自ら「大人」になるのだ。

だから、我が子を手にかける母親が後を絶たない。

八杉恭子には自供してほしくなかった。
贖罪を請わせてはならなかった。
彼女が命を奪い、踏みにじりつづけてきた我が子らのためにも、
人間である証明をしてはならなかった。
彼女は悪魔でありつづけなければならなかった!

そうするとお話が成り立たないので、力説しても仕方のないことなのだが、
日常生活の中で子供が友達を殺してしまう、
性善説をたやすく信じられなくなったそんな社会情勢のなかで、
「人間の証明」は今に受け入れられるのだろうか。
そういう夢を見たい人が多いのだろうか。

まあ、原作とは違う脚色のドラマが、
どのように「人間の証明」を描くかはちょっと期待している。



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