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~今日は「わらしべ長者」のお話です~先日お話ししましたが母親が事故に遭いまして…💧~↓前回の記事はこちら↓~https://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/202003040000/どうやら相手の信号無視による交差点での衝突事故のようです。かなり衝撃はひどかったようで母は額から血を流していたらしい。それで救急搬送されました。精密検査を受けましたがなんとその日のうちに帰宅した母親(゚д゚)⁉️きっと守護霊様たちに守られていたのでしょうね(*^^*)~ありがとうございます💕~母はしばらく通院することになります。新型コロナもあるしインフルエンザの季節だし病院はなるべく避けたい。けれど身体は痛いし頭も打ってるし診断書ももらわないといけないし通院せざるを得ない状況。私「マスクある(°_°)❓」母「こんなことになるなんて思わないからあげちゃった💧」だよね…わたしも買いだめなんてしてなかったから今ある在庫でやりくりしないとならない。でも通院する母もマスクがないのは心配だ💦7枚だけど母にゆずった。なんとかなるさ⤴足りなくなったらまた母に届けてあげよう。ほんとは我が家の分も不安はある。けれど母の方が緊急を要するから躊躇している場合ではない‼️この決断を神様は見ているものですね~👀✨このマスク7枚がなんと高級マスク10枚に⁉️翌日職場で「高級マスク10枚」が支給されたのです❣️わらしべ長者や~(≧◇≦)✨こんなタイミングでこんな経験したのは初めてかも❣️~親切、思いやり~「やさしさ」って必ず報われるんだな…💕神様がそう教えてくれているようでした(*^-^*)新型コロナの影響で自粛していたくても自粛できない人もいる。ほんとうに必要な人がマスクがなくて困っている。もっともっと視野を広げて自分のエゴの枠を破って🍀~やさしい私であるために~🍀このピンチをやさしい世の中に変えるチャンスにしたいものです(=´∀`)人(´∀`=)💕↓↓★マスク騒動はまだ落ち着きませんか?★↓↓必要以上な買いだめはせずやさしい自分でいましょう💞にほんブログ村↓母親が事故りまして~vol1~「自分のやるべきことを冷静に考える」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/202003040000/
2020.03.07
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先日二番目の妹からメールがあり「母が事故って緊急搬送された」と⁉💦え⁉うそ⁉大丈夫なのか💦~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~とりあえずこれを読んでいるみなさんが心配しないように「母は無事です(*^▽^*)✌」~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~末の妹とその他の親類がどうやら付き添っているようだ。二番目の妹も「とりあえず搬送されるであろう病院に向かっている」と。搬送先は確定ではないらしい。(〜・わたしは三姉妹の長女です・〜)わたしは…どーしたらいいのか?「やさしさ探しの旅」をはじめてからわたしは自分のやるべきことを冷静に考えられるようになり思いついて突っ走ることが減ってきた。少しずつだけど…まだ未熟者だけど…そして今日も思う。わたしは今どうするべきなのか?搬送先がまだあやふやだ。みんなが付き添ってくれている。今わたしがかけつけることは得策なのか❓わたしが行ったところで何ができるのだろうか?何かの足しになるのだろうか?ただでさえ混乱しているであろうところにわたしが行ってまた状況説明させるのか?「みんなが付き添ってくれていることに感謝しよう」そう思った。「なにかできることがあれば駆けつけるから」そう伝え、自宅にいることにした。落ち着いたであろう頃に妹に電話をした。妹「大丈夫そうだよ。」妹「落ち着いたから私も帰るところだよ。」そうか、よかった。その後ふと思う。「あれ?誰もいなくなる?」「あれ?母親は1人で大丈夫なのだろうか?」事故後の母親を見ていないから動けるのかどうか心配になる。精神的にも1人で心細くないのだろうか?そこで母親に電話をした。声は元気だった(*^-^*)どうやら1人でゆっくりしたいからみんなに帰ってもらったようだ。「なにか不自由なことがあればいつでも言ってね」わたしはそう伝えた。とりあえず大丈夫そうだ。ここでわたしは思考を膨らませてみた。↓「なぜかけつけようと考えるのか」どんな状況下でもかけつけることが得策なのか?もちろん心配だ。わたしだって母親が心配だ。けれど…?「親族はどんなことがあろうとかつけるものだ」そんな刷り込みがあるのかもしれない。母親に「冷たい」「使えない」そう思われないための保身もある?~すぐにかけつけないわたしは冷たい?~そんな思いがわたしの脳裏に浮かぶ。わたしは「冷たいと思われないため」にかけつけるのか?それって…自分本位だね⤵自分がかけつけることが最善かどうか考えていない。自分の行動が必要なのかどうか。相手が求めているものはなんだろうか。それがやさしさだったり、思いやりじゃないのか。今までのわたしはそこまで考えていなかったかもしれないな…。~・~・~・~・~・~・~・~・今回はみんなに任せして感謝することにした。いつもとは違う選択をした。そして翌日付き添ってくれたみんなに差し入れがてらにご挨拶。「あー、これでいいんだな」わたしがかけつけなくても用が足りたしみんなが活躍してくれるんだな。わたしが今までしてきた行為は「出しゃばり」にもなるんだな。自分のクセを変えてみると気づけなかったことに気づける。自分が「絶対こーしなくてはいけない!」ってことは案外「絶対」ではないのかもしれないな。出しゃばらず誰かにお願いする。感謝する側にまわる。「これも大切な役割だな」改めて知る。わたしが動くことで誰かのメンツをつぶしてしまう。誰かの好意を横取りしてしまう。きっとそんなことがあったのかもしれないな。長女なのでそれがわたしの責任、任務だと疑いもしないから気づくことなくやってきたけれど。その一つの視点しか持ち合わせていなかった。今回のようにいつも考えないことを考えいつもと違う行動をすることで自分も変わる。まわりも変わる。その変化が「やさしい」のならこれもまたひとつの自分の在り方なんだ。「でしゃばり長女」という視点も持つことで自分の行動を改めることができる。でも卑屈に変わるんじゃない。必要なときは遠慮なく「出しゃばる」みんなで事足りるときは「見守り感謝する」ひとつだった自分の視点がふたつになった。臨機応変。柔軟になる。これをある本では~しなやかに生きる~と言うらしい。↓この本。↓中谷彰宏さんの「なぜあの人はしなやかで強いのか」別の本では~品のある人~と言うらしい。↓この本。↓斎藤一人さんの「品をあげる人がやっていること」「やさしさ探しの旅」をはじめて色々な本から学び色々な人から学び少しずつ、少しずつだけど以前の自分とは違うことを選択できるようになれているかな?自分の至らなさを見つめる。自分の欠点を認める。これは傷つくことのように思うけれど逆ですね。その先に経験したことのない喜びがあるとわたしは感じています…💕🍀~やさしい私であるために~🍀今日もご愛読ありがとうございました♬↓↓❤やさしさ探しの旅❤↓↓どうぞ応援してください(*^-^*)にほんブログ村↓斎藤一人「品を上げる人がやっていること」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/202001150000/
2020.03.04
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我が家は子供の友達がよく遊びにくる。娘の友達も息子の友達もどちらも分け隔てなく受け入れるので時には学童のようになる(^▽^;)最大11人が中にも外にもいたときにはさすがに驚いた(@_@;)ご近所さんには「ご迷惑をおかけしまして」と時々子供と一緒にお土産をもってご挨拶にいきます(*- -)(*_ _)ペコリ新築一軒家だったから子供が集まって汚されることが最初はもちろんイヤだったけれど…💧そんなことを気にしていると子供の居場所がなくなるし子供の遊びも制限されるしそれもなんだか不憫だと思いまして…そこでわたしは割りきった‼「子供が巣立ったらリフォームすればいい⤴」そう切り替えて我が家は子供が自由に遊べる場所になりました(^▽^;)ふすまに穴ぼこ2つ…💧床にも凹みが…💧壁には手あとが…💧でも子供たちが楽しそうだからまーいーか(*^▽^*)✨なんやかんや言っても子供たちが集まって楽しく帰っていくと~わたしも嬉しいんだよなぁ(*^。^*)~「あなたたちのの友達に楽しく帰ってほしいの」ママはねそう思うんだよ(*^。^*)なーんて子供に話した今日この頃。子供も「へぇ~そうなんだ(^.^)」と嬉しそう⤴でもなんで(◎o◎)?なんでわたしはそう思うんだろ?近頃は「家が汚れるから」とか「きたなくて呼べる状態じゃないから」とか「うるさいから」とかそんな大人の都合で寄せ付けない家庭も増えているけれど…なんでだろ❓あー…わたしの母親がそうだったんだぁ(゜o゜)友達が悩んでいたら「うちに連れてきなさい」って言う母親だったなぁ。友達に「あなたのお母さんいいな」って言われて嬉しかった記憶✨母親のいいところ久しぶりに思い出した(^.^)💕最近は色々もめ事もありマイナスな部分ばかりがクローズアップされていたけれど…~このあたりのことをいつかブログに書きたい💦~母親なりの不器用な愛だけどちゃんと守られていたんだなぁ💕今日はブログを書きはじめて”初❓”の母親への「ありがとう」のつぶやきでした(*´з`)↓子育てで気をつけていること「ウソをつかない、間違いを認める」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201912190000/いつも読んでいただきありがとうございます↓↓❤応援してもらえたら嬉しいです❤↓↓にほんブログ村
2020.02.25
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まさか私がこんな題名の本を手にとるとは思ってもいませんでした。母と仲良しだと思って生きてきたから。でも、友達のうちの母親との距離感と、私と母親との距離感がなにか違うことに気づき始めて…「実家に帰ると疲れる」と気づきました。義務なんですね…ほんと。私は執着性格者。※※※※※↓詳しくは、以前紹介した加藤諦三さんの「やさしい人」の記事を参照https://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201910310000/※※※※※この本を読んで、自分と母親との歪んだ関係を知るとともに、私は自分の子供にも同じ思いをさせているかもしれないと自分と子供の関係を見つめるきっかけをくれた本でもあります。子供を親の価値観にはめようとすることがどんな悪影響を与えるのか…。子供が幼少期のまま、親の思うように動くものだというクセから進化できない。いわゆる「私物化」です。私も同じようになりかけていると、身をもって分かるようになったのです。それからというもの、子供を責めては反省の繰り返し🌀💧子供を責めるクセは簡単には治らないようで…なぜなら、それが歪んだ愛だから。自分では「子供のため」と思っているのですから。だから、子供が親の思うようにしないと、責めたり否定的な言葉が口から吐き出されてしまう。それ、自分の価値観のワクにはめようとしてるだけなのですが、「あなたのため」という歪んだ愛で気づけないのですね。子供は間違っている。自分は正しい。間違っているから否定する。正しいほうへ強制的に導く。子供は尊重されない。それでも子供も以前の私のように「愛されている」と認識して生きていくかもしれません。すると、いい子でいるよう努める。きっとこれが義務の関係のはじまり。私の母が私を愛していないわけではない。きっと愛している。でもそれは、自分本位な愛、歪んだ愛。母の思う愛であって、私が望む愛ではなかった。そのことに母自身が気づけなければ母は変わらない。気づくのかな?💧でも、私が気づいたから…母の望む娘は卒業して母を喜ばすためではなく私の本音を主張できる関係になった。 母が気づけていなければ、さぞかし娘がワガママになった、自分勝手な娘だ、と思うのでしょう。でも、これが自立。私はずいぶんとラクになりました。「肩の荷がおりた」とは、こーゆーことを言うのですね(^-^)この本に出会えことで私が子育てをするうえでの「愛し方」を学ばせてもらってます。でも私の中に染みついたらクセは簡単には直せず、毎日反省させられっぱなしです…。それでも、「愛とはなんぞや?」と自分を叱咤激励しながら、子供がやさしく健全に育ってくれるよう、毎日精進してます。歪んだ関係って、結局自分にめぐりめぐってくる。だから自分がやさしくなればいい。愛せばいい。ほんとシンプル。自然と「母親に会いたい」と思ってもらえる母になりたいな(*´꒳`*)↓前回の「毒親」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201911200000/「母という病」【新品】【本】母という病 岡田尊司/著※❤※❤※❤※❤※❤※❤※私のつたないブログを読んでいただきありがとうございます。自分のやさしさに疑問をもち、「本当のやさしさとはなんぞや?」と日々自分を見つめています。下記ボタンをクリックしていただくと、私のブログランキングが上がる仕組みらしいので、私の「やさしさの探しの旅」を応援してくださる方、どうぞ応援クリックをお願いします。にほんブログ村
2019.11.23
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今日もまた、母親に毒を吐かれました(^◇^;)「まったく、ほんとお前は役に立たない」↓前回の「毒親」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201910270000/この季節、母は大量の大根を購入し漬物の仕込みをするのですが…重くて運べなかったようで、私に電話した。私は外出していて着信に気づかなかった。5分後に気づき、すぐに折り返したけれど母は出ず…その15分後に母からまだ電話がきて開口一番のセリフが冒頭のセリフでした。「まったく、ほんとお前は役に立たない」あのー…私5分も立たずに折り返しましたけど(ー ー;)あのー…突然言われても私は超能力者じゃありませんから(-。-;その言葉は飲み込む。まずは母の言い分を聴こう…。「みんなに電話したけど出ない」「結局姪っ子が来てくれたよ」うちは三人姉妹で私は長女。妹たちにもかけたらしい。出なかったらしい。それで折り返してきた私に毒を吐いたんだね。「まったく、ほんとお前は役に立たない」以前の私なら「お前は」というセリフで私だけが責められていると思いましたね。いやーふつう思うか💧「お前たち」じゃなくて「お前は」なんだから💧でも、なんで「お前は」なんだろか…?それが母と私の因果なんだろな。私は物心つく頃から「お前は長女だから」と言われ、家を守るよう育てられてきました。私だけが責任を負っていると思っていましたね、「長女だから」でも、気づいたのです。私だけが娘じゃないんだと。姉妹だれでもいいのです。母に孝行したい人がしたいときにすればいいのだと。義務でもなく、強制でもなく、それが素直なほんとうの親孝行なのだと。そして今日、「みんなに電話したけど出ない」というセリフをちゃんと聴きとる余裕が生まれ、母の「お前は役に立たない」というセリフにこう言い返せました。↓「みんな出なかったの?」「みんな役に立たなかったんだね」「姪っ子が来てくれたの、よかった」そう言い電話を終えました。自分だけが責められていると思わなかったので、気分がラクでした(*^-^*)そして母に認めて欲しくての「弁解」もせずにすみました。弁解をするとまたその弁解に毒返しされる。不協和音は止まりません。それが弁解しないと不思議なもので母からまた電話がきて「お前の好きなカボチャがあるよ」と。そーゆーものなんですね。↓たとえ相手に毒を吐かれても、自分の口には責任を持ち、やさしい言葉を選ぶ。すると、毒を吐いた本人が心地悪くなり弁解を始める?毒に毒を吐き返す、ということは自分にもとらわれがある。認めてほしい、とか分かってほしい、とか愛されたい想いがある。だから弁解をしたくなる。でも、相手はそれを「言い訳」ととる。相手も「愛されたい」のですから。母もきっと子供に母のことを察していて欲しい。子供に愛されたいのだと思います。「母という病」の本のおかげで、私は、自分が母の顔色を伺っていること、自分が母の願いを叶える責任があると思っていること、そんなクセに気づくことができました。そして母にも、母の望むように子供が動いて欲しい、子供に愛されることで満たされたい、そんなクセがあることに気づくことができました。そのおかけで、母との関係を見直すことができました。顔色を伺って疲れてまで付き合わなくてもいい。三人姉妹なのだから、私だけが背負い込む必要はない。三人の娘が愛せばいいんだ。そんなふうに考えられるようになりました。母も甘えているんですね、娘に。私と2人だと毒を吐く。夫や子供がいると、まー愛想の良いこと(^_^;)なので、できるだけ2人にならないようそこも気をつけるようにしています。だって、私だって笑っている母親といる方が幸せだから(o^^o)💓毒を吐く側のクセ。毒を吐かれた側の受け取るクセ。不協和音を感じたら、ただイラつくだけでなく、相手を嫌うだけでなく、その根っこにある原因に目を向けること。それができて初めて誰かを愛せるスタート地点に立てるのかもしれません。どんな原因にせよ、イラつくときには、満たされていない心の傷が隠れているのかもしれません。その傷に気づくこと。気づいてあげること。それが「許すこと」「愛するということ」私も自分の子供に母親と同じように毒を吐いていると思います(ー ー;)私も、満たされないものを子供に満たしてほしいのですね。無意識ですが…。そんな自分に気づき、認め、自分を許す。そして、同じおもいを子供にさせないようにこの負の連鎖を自分で断ち切る。断ち切るよう…心がける(⌒-⌒; )きっとそれも「愛」その愛はきっと相手に伝わる。子供にも伝わる。そして、義務でも強制でもなく、自然に会いたいと思ってもらえる母でいればいいのです。シンプルです。愛することができれば愛される。愛されないときは自分がうまく愛せていないサインかもしれませんね。「母という病」からは多くのことを学べます。ブログで今後も紹介していきたいと思います^_−☆↓前回の「毒親」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201910270000/母という病/岡田尊司【1000円以上送料無料】※❤※❤※❤※❤※❤※❤※私のつたないブログを読んでいただきありがとうございます。自分のやさしさに疑問をもち、「本当のやさしさとはなんぞや?」と日々自分を見つめています。下記ボタンをクリックしていただくと、私のブログランキングが上がる仕組みらしいので、私の「やさしさの探しの旅」を応援してくださる方、どうぞ応援クリックをお願いします。にほんブログ村
2019.11.20
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娘がいます。修学旅行に持っていくお弁当。捨てられる容器で、とのこと。「タマゴサンドでいいよ」と言っていたので、それ以外は用意せずにいた前日の夜。級友はおかずも持ってくるらしく、「明日の朝、自分で作る(^^)」と娘が言う。早起きして作ると…。「え⁉️君、何時起きするの( ̄O ̄;)⁉️」そーでなくても5時半に起きなくちゃなのに、私は娘の睡眠時間を心配してしまう…。この心配も、やさしさのような、自分本位なような(ー ー;)朝5時に2人して起き、娘と2人キッチンに立つ。娘は私の邪魔にならないように、角でせっせと作っている。それでも、私は思うように作業ができず少しイライラ。でも、娘を尊重してあげようと自分に言い聞かせる。「うわぁー、もうこんな時間Σ('◉⌓◉’)⁉️」娘が慌てて身支度を始めた。「朝ごはん半分残していい⁉️💦」そこで、私は毒を吐いた。「旅行の朝なんて時間がないのに、 お弁当なんて作るからでしょ(-。-;」あー…なんでこんな言葉が出るんだろ…_| ̄|○以前の私なら、娘のせいでイライラするとしか思わなかったから、自分の言葉の毒にさえ気づかなかったね⤵︎気づけるようになれただけ進歩といえば進歩か(~_~;)娘はイライラして作っていたわけでもなく、ワクワクしながら作っていたね。しかも、私の邪魔にならないように、と。やさしい人なら「早起きして頑張ったね⤴︎」「すてきなお弁当ができたね⤴︎」そう言って送り出してあげられるのかな。思い起こせば、私もよく母親に「まったくお前は‼️」と毒を吐かれていたなぁ…(~_~;)負の連鎖だなぁ。親から子に引き継ぐ「カルマ」気づけなければ、私は同じように娘に毒を吐き続ける母親だ。気づけなければ直しようがない。自分が毒を吐いているなんて意識がないのだから。でも、私は娘が大事。大事なのに私の言葉はやさしくないよ?私の大事は、私の思う独りよがりの大事で、それは娘が望む大事ではなく、自分本位な大事。そう客観視できるようになった。このブログ開設のきっかけになった「友達に私のやさしさを否定されたこと」が、こんなところで生きてくる。あの時、つらくても向き合って学んでよかったな。友達に憤慨せず、自分のやさしさに疑問を持った勇気は無駄じゃなかったかな。娘が大人になって、母親になった時、子供にやさしい言葉をかけられる人でいて欲しい。だから、私は今、娘にやさしさを伝えられる母親でいたい思う。イライラするのは相手のせいではなく、思いどおりにならない自分のせいであること。そこに気づき、やさしい自分でいるよう意識していこうと思う。やさしさってパワーが必要。やさしい人になるって、自分の悪を認めるエネルギーがいる。簡単じゃない。だからこそ尊い。※※※※※↓否定された私のやさしさの記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/201910120000/※※※※※子育て奮闘しながらやさしさ探しの修行もしています。↓娘の言葉「やっぱり家族だよね♬」の記事はこちらからhttps://plaza.rakuten.co.jp/ccpurin/diary/202007080000/※❤※❤※❤※❤※❤※❤※私のつたないブログを読んでいただきありがとうございます。自分のやさしさに疑問をもち、「本当のやさしさとはなんぞや?」と日々自分を見つめています。下記ボタンをクリックしていただくと、私のブログランキングが上がる仕組みらしいので、私の「やさしさの探しの旅」を応援してくださる方、どうぞ応援クリックをお願いします。にほんブログ村ザッハトルテ チョコケーキ チョコ ケーキ チョコレートケーキ 【魅惑のザッハトルテ】 (直径15cm) プレゼント ギフト 子供 お菓子 ケーキ スイーツ 誕生日 バースデー 取り寄せ 人気 あす楽 お取り寄せ グルメ 食品【ほわり4種20個入】 福袋 小袋 スフレ ギフト 洋菓子 スイーツ ケーキ どら焼き セット お取り寄せ グルメ 食品
2019.10.23
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