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SF。サイエンス・フィクションではなく、Sukoshi Fushigi(少し・不思議)。その言葉を残したのは、今は亡き藤子・F・不二雄先生。この物語は、藤子先生を尊敬し、ドラえもんをこよなく愛する女子高生の少し不思議な物語。辻村深月著『凍りのくじら』凍りのくじらやはり藤子先生を敬愛するカメラマンの父が末期癌に侵された末、失踪。残された母もまた癌に倒れ、入院中。様々な友人達を持ちながらも深く交わることのない孤独な理帆子。彼女が7月の図書館で出会ったのは、他の誰とも違う雰囲気を持った眼鏡の青年・別所あきら。淡々とした彼の存在に癒されていくが、理帆子の元彼は徐々に精神に変調を来たしていく…。理帆子は父の影響を多大に受け、大っぴらにはしないものの大のドラえもんフリーク。彼女が別所に語る話や消えた父との思い出を始め、ダメ男全開の元彼の行動心理の比喩として、ありとあらゆる場所にドラえもんの物語が出てくる。ひみつ道具、好きなエピソード、コミックスに映画版のDVD。各章のタイトルもドラえもんのひみつ道具の名前。もうコレはドラえもん好きなら読むしかないだろ。昔コミックスを読んだ記憶が次々に甦る。あー、覚えてる、この話と思わず興奮してしまう。ドラえもん初心者でもついついオリジナルを読みたくなるだろう。もう、ドラ尽くし、ドラ満開、ドラ祭り。しかし運命は容赦なく、理帆子は結局母までも癌に奪われてしまう。そして、彼女の大切な友人がある危機に直面し。そして。あたたかくやさしくせつない「すこし・ふしぎ」な物語が暗い闇を照らす光となって浮かび上がる。ドラえもんの世界は色々なことを教えてくれた。家族や友達との絆、勇気、出会いと別れ。ドラえもんの存在こそが希望を与える光だった。そんな物語と共に大人になれたことに、感謝。本日の教訓『ドラえもんは永遠のヒーロー』
2008年02月29日
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ウチの親が、知り合いにもらったと言って持ち帰ったのは、レーズンの大袋。文字通り、置く時にででんと音がしそうな重量。軽く見て、1kgは間違いなさそうな徳用サイズ。レーズンは好きだが、コレだけあるとさすがに引く。何やら袋が英語で埋められている辺り、国土も態度もデカいアメリカンな匂いがぷんぷんする。パッケージ裏に張ってある白いラベルに日本語発見。重量1134g。やはり1kgオーバーの二アピン賞だ。そして輸入者にコストコの文字。ああ、と非常に納得。売ってる商品のサイズが半端なくジャンボな、育ち盛りの10人兄弟がいるような家庭の買出しにふさわしいと思われる米国生まれの会員制スーパーの名だ。おそらくウチの団地サイズの冷蔵庫では収容しきれまい。更に使い切るのも困難に相違ない。さて。ウチの家族でレーズンを食するのは、自分と親の2人だけ。妹2人は、レーズン嫌い。葡萄は食うのにその乾物は別物として忌み嫌う。柿と干し柿は両方食うくせに干し葡萄の何が悪いのか理解できん。斯く言う自分もマグロは好きだがツナ缶は大嫌いだ。それと似たような理屈か。早速袋を開けて2人でレーズンをつまむ。うん、美味い。明日の朝ヨーグルトに入れて食べるってのもいいな。更につまむ。一度食べるとついつい後を引く。ホットケーキに混ぜて焼くってのもありだな。もっとつまむ。そういえばレーズンサンドが食べたいな。誰か北海道旅行に行って土産に買って来ないかな。って。ちょっと食いすぎじゃないのか。しかし、これだけ食べてもまだ半分以上残っている。数日間は充分食べられるな、コレ。恐るべしアメリカ製品。このレーズンをくれたのは妹その2の友達で、ウチの親とも顔見知りの子だが、「コレまだ家にあるんだってさ。 家族もあまり食べないから欲しければ持って来るって」何でそんなに徳用レーズンがあるんだよその家。レーズン一年分プレゼントにでも当選したのか。世界にはまだまだ多くの謎が存在する。本日の教訓『食べていい分量と食欲は反比例する』
2008年02月27日
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ウチの家はトイレットペーパーの消費量が激しいんじゃないかと、ふと思う。不景気に加え物価上昇の家計ダブルパンチな昨今、プリント柄も香り付きも必要ない、少しでも安いペーパーを買い求めているのだが、ウチの家族、特に妹その2はそんなの関係ねぇと言わんばかりに景気よく使用する。そう。コイツ1人で、3人分に相当しそうな分量を消費しているようだ。ドガガガガガガッ。こんな道路工事のような騒音が発生するのは、決まって妹その2が手洗いに入っている時である。トイレットペーパーを回せば多少回転音は出る。そのボリュームが、半端なくデカく、そして長い。ドーピングでマッチョ化したハムスターが、運動用の回転器具の中を金メダルレベルの猛ダッシュしてるような速度だ。これだけ回せば、一体どれほどのペーパーが浪費されるのだろうと家計だけでなく地球全体のエコが懸念されるほど、文字通り湯水の如く、ヤツはペーパーを消費する。当然、ロールはあっという間に痩せ細っていく。その上、まだほんの少し使用部位の残った芯を途中で取り替えることすら厭わない。ブルボン王朝の貴族より贅沢なヤツ。コイツにエコロジーとエコノミーという概念は存在しない。百歩譲ってエロジジーだ。ちなみに、使用量をちったぁ加減しろと提言してみたが案の定右から左に受け流された。ダメだ、聞いちゃいねぇ。ワカラン人と会話する術を持たない身の上は何かと不便だ。仕事帰りにトイレットペーパー買って帰るのも意外と重いんだよ。一度体験してみろ。本日の教訓『消耗品は価格重視』
2008年02月26日
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ウチの家は汚い。半端じゃなく汚い。証拠に写真をアップするのが憚られるほど汚い。その主要な原因は、同居する2人の妹がとてつもない散らかし魔であることと、同じく同居する親が整理整頓に対して頓着しない人間であることと、自分自身さほど掃除が好きじゃないってことに起因する。しかし、好きじゃなくてもしなくてはいけないと思うのは偏に健全で文化的な生活に憧れを抱いているからで、しかしよくよく考えれば、このメンツでの生活でそんな甘い夢を求めるのは事実上不可能に近い。とにかく、休みを潰して嫌々掃除しても掃除しても、その日の夜にはもう散らかってしまう恐るべき崩壊速度。しかも、片付けた私物が見当たらないと逆ギレされるこの不快感。感謝どころか、迷惑がられるのだ。同居でストレスが溜まるってのは嫁姑間に限ったことではなく、血縁がある場合でも生活に対する感覚の違いで充分ありうる話だ。今現在、悩んでいる。掃除をしなくていいものなら、別にしたくはない。自分の部屋と台所周辺とトイレと風呂を掃除して、居間部分は散らかしている連中にやらせればいい。しかし、現実はそうそう甘くはない。絶対にやらないことは分かりきっている。食べたものや使った食器は置きっぱなし、ついでに買い漁ってきた雑貨類も置きっぱなしのテーブル、床にはレジ袋と、やはり食品の包装と、脱ぎっぱなしの靴下。CDやDVDまで転がっているこの惨状。平気な人間はそれで平気なのだ。ゴミの中で生活できる佐々木夫妻の妻の方みたいな人間はこうして現実に存在している。これで自分が掃除しなかったら、匙を投げてしまったら汚染速度がかなり加速するに相違ない。本当にそれでいいのだろうか。人間の住めない家になってしまってもいいのだろうか。大家さんに申し訳が立ちやしない。しかし、結局どうしたってウチの中は汚くなる以外考えられない。そろそろ同居していくのが困難に成りつつある。この間、テレビで苦労人の某俳優が、女優の妻とその母と妹との同居生活がうまくいかず孤立し、家庭内同居離婚の末本当に離婚したと話していて、彼に対する好感度が上がり、元妻への好感度が下がった。確かに。考え方が根本から異なる人間と同じ室内で生活していくのは非常に困難で、しかも相手が多数派を占めていてやりたい放題は到底我慢できそうにない。多くは願わない。ただ、心安らかに生活できる小さくても快適な居住空間が欲しい。幼少の頃から望み続けた夢は、こんな年齢になっても未だ叶いそうにない。本日の教訓『マイホームは永遠の夢』
2008年02月24日
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2月に餅。6日の菖蒲10日の菊同様、時期を過ごした感のある組み合わせ。そんなこたぁ全くお構いなく、ウチの会社では今日の夕方、冷蔵庫に残っていた切り餅と海苔で磯辺巻を作って食べたとさ。就業時間も第4コーナーを回った辺りから空腹感が全身を虫歯菌の如く蝕んでいく。そんな時に磯辺巻、貴方の隣に磯辺巻、なんと魅惑的な響きだろう。カロリーとかそんな懸念はこの際そこいらに放置しておいて、むしゃむしゃ食べる。2つも食べる。ここで既にご飯2杯分の摂取カロリー。ややっ。全員食べ終わって、皿には2つ寂しく残った磯辺巻。誰も彼も、もう腹いっぱいだからいいとの返事。男のクセに根性の無い胃袋めと逆セクハラな腹の声。1つなら、別に食べてもいい。通算3個食べれば既に食べ過ぎの範疇だ。しかし残された餅は保存も効かず固くなりいつか捨てられる運命。それがバブルの恩恵を受けなかった人間には大層忍びない。3個目食べるから、残りの1個誰か食べろよオイ。「いや、もう食べられない」「もうちょっとキツイ」「3個も4個も一緒だろ?食べれば?」ナメとんのか。そりゃ確かに四捨五入すれば一緒だけどさ、ダイエットの必要性を常日頃感じる身の上に対して餅4個食えたぁどういう了見だよ。ま、そりゃあと1個くらい入るスペースはありそうだけどさ。説得力皆無。で。結局合計4個、磯部巻完食。こりゃ今晩は夕食の必要性全くナッシングだな。それどころか、猛ダッシュで歩いて少しでも摂取カロリーを消費する必要性に迫られた。ああ、実行したとも。腹に蓄えた充分すぎる栄養のおかげで足取りも強くそして軽かったぜ。家庭の主婦が肥満に陥る理由の1つに、家族が残した食事を「もったいない」との理由から自己の消化器官を用いて処分することが挙げられる。まさに、その状態。食べ物を粗末にしてはいけないという日本古来からの美徳が裏目に出るこの喜悲劇よ。本日の教訓『食べる分だけ作れ』
2008年02月23日
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遅まきながら、越後製菓の『ふんわり名人 きなこ餅』を初めて食べた。おかきと言えばパリッとかサクッとか軽快な擬音のイメージ。それが、『ふんわり』。ふわっととける軽い口当たりってのがどんなものか貧困な創造力では考えも及ばない。案ずるより食うが易し。早速ひょいと口内に放り込んでみる。…。ごめんなさい。かなりナメてかかっておりました。たっぷりきなこの丸いおかき。口に入れると、おかきという単語の既成概念を揺さぶるような軽いやわらかさで、そっと広がるようにとけていく。この間食べたどら焼・さんどらと同じような感じで、噛み締める間もなく消えてしまうような口当たり。舞い散る桜の潔さこそ名残惜しいように、儚く、けれど微かな余韻を残すように消えるものほど心に留まる。って。さっき、この辺りまで書いた時、突然パソコンの不調でいきなりInternet Explorer終了。書きかけの日記、儚く消える。何だこの状態。とけるとか消えるとか儚くとか書き綴っていたら本当に記事そのものがあっけなく無に帰したよ。タイミング見計らったように消えるな。ウケ狙ってんのかこのパソコン。本日の教訓『おぼろげな記憶は美化される』
2008年02月22日
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朝、出勤のため家を出て、ふと感じた寒さ。その部位は踝より下に集中していた。オマケに靴と足の狭間の空間が通常より拡大している気がする。即、悟った。靴下を履き忘れている。冬場は冷える。特に下半身が冷える。冷えるとむくみ、そして太る。深刻な問題には対策を立てねばならない。で、タイツ着用。その上に、さらに靴下重ね履き。ぶっちゃけ見た目は格好悪い。おしゃれという行為は我慢と忍耐の上に成り立っている。真冬に素足だの首筋だのを晒すのは、やせ我慢と言うよりむしろ気合の入った自己表現である。防寒といった合理的機能性よりも外観を重視するそれは根性がなくちゃ到底出来そうにない。即ち、自分にはそこまで寒さに耐える根性はないのだ。ま、冷え性体質を考えたら賢明な判断と褒めて差し支えなかろう。長所と短所は表裏一体さ。なのに。靴下を履き忘れた。ダメじゃん。履きに戻る余裕はないのでそのまま先に進んだが、重ね着における衣類間の熱の有効性、それを肌身に滲みて実感した。靴下とタイツ、重ねて履くだけでどれだけ足先が温まるか。靴下という一見地味な存在がどれほどの保温性を有しているか。それがないだけでどれほど心もとない気分に陥るか。例えどれほど野暮ったかろうと、靴下は絶対に欠かすことが出来ない存在だ。靴下よ、タイツよ、共に冷え性と戦わん。本日の教訓『闘志無き者は着飾るな』
2008年02月20日
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抽斗を開け、中身を引っ張り出し、ポイポイと床に撒き散らす様は空き巣のよう。堆肥の山の如く積み上がっていく衣類の体積に、自分は意外と衣装持ちだったんだと感心半分呆れ半分。ただし、その衣類の質の低さは言うに及ばない。箪笥に収納しきれない服が床に積まれているこの現状を打破したいと急遽思い立って抽斗式の箪笥の中身を一気に外気に晒した。そしたらもう、出るわ出るわ。これがパチンコ台で、服が銀色の玉だったら歓声でも上げるだろうが、薄汚れた、或いはヨレヨレの、若しくは色褪せた洋服じゃウンザリ感満載の嘆息しか出やしない。とにかく、着ない服は売ればいいという安直な定説に従えそうもないものばかり。元来ブランド製でもなく、垢抜けたデザインでもなく、さらには着古して一部変色しかけた部位すらある服なんて金を払ってまで手に入れたがるヤツがいるかってんだ。しかし、着ない服は捨てろというこれまた豪快な定説に当てはめようと試みるも、ここで捨てられネーゼの本領が不必要に発揮され、もったいないという国際語が胸中の大半を占める。本当にこれを処分していいのか?まだ着る機会があるんじゃないのか?冷静に考えれば着るわきゃねーだろなのだが、決断を迫られる際に人は優柔不断病に罹患し逡巡するのだ。そんなわけで。とりあえず今は着ない夏用シャツをまとめて箱へしまいこんで、何とか抽斗のスペース確保。今の季節に着る衣類を収納して、と。あれ?これって衣替えって一般的に言わないか?冬にやるバカ初めて見たよ。猶予は次の衣替えの時まで。それまでに、もう着ない服を選り分けて、捨てるなり古着回収に出すなりしなくては。本日の教訓『衣替えは6月と10月にやれ』
2008年02月19日
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金欠状態。家計簿をつけていて、そんな窮状を実感する。家計と自分専用小遣いは分けているのだが、今現在深刻な赤字問題を抱えているのは後者の方。年末年始は人間の金銭感覚が狂う時期。ご多分に漏れず、クリスマスだの福袋だの次々に湧き上がる物欲に流されたのと、欲しかったCDやDVDの発売が重なったのと、観たい映画が色々公開されるのと、パソコンのウィルス防止ソフトの更新が重なったので、予想以上に支出が膨らんでいる。貯金を増やすのと体重を減らすのはどちらも非常に困難だが、その逆はいとも容易く煩悩は尽きないわけだ。ふと目に入ったのが、自分宛に届いた郵便物の中のアンケート依頼。定期購入してるサプリメントのメーカーからで、このご時世に太っ腹なことに、回答者に1000円の商品券を下さるとのこと。目の色が変わったね。天の恵みってのは結構身近に転がっている。普段面倒くさいからってアンケートやモニターの類など大して気にも留めないけど、財布の中身が風邪で高熱を出しそうなほど乏しい時は例え僅かでも謝礼と言う甘い響きが立てる微かな音さえ逃さない。ましてや、1000円なんて大金の部類だ。頭の中で野口英世博士が微笑んでいる。この紙1枚文字で埋めればいいのだ。欲望に忠実すぎる人間の浅ましさによって、リサーチという行為は成立している。よし、記入終了。後は投函して、謝礼を待つのみだ。1000円で何を買おうかな。って。無駄遣いを少しは慎むよう心掛けろよ。本日の教訓『摂取カロリーと支出は消費カロリーと収入より少なくしろ』
2008年02月17日
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舞い降りた淡雪がふわりと解けるように、口の中で噛み締める間もなくそっと消えていくカステラ。後に取り残された粒餡も控えめな甘さで、くどさがない。積もることのない雪のように消えていく。今ならドラえもんの心情がよく理解できる。このどら焼、すごく美味しい。さんどら。何処ぞの外人かと思いきや、菓子の商品名である。本日会社で頂いた貰い物のおやつは、実にインパクトのある名を冠していた。日本が誇るカステラの老舗、日本橋文明堂の『洋風どら焼 さんどら』ギフト【全国送料無料!】日本橋文明堂 さんどら10コ入名前を聞いただけではイマイチ得体の知れない菓子だ。どらはともかく、さんってどっから来た言葉だ?パッと見、普通のどら焼。北海道小豆を使用と記載されているので、おそらく餡入り。中身にクリームが入っているというわけでもなさそうだ。ポイントは、外側の皮部分。ここが、とてもやわらかいカステラ生地で出来ていて、繊細なシフォンケーキのように口の中でふわりと解ける。其処に口当たりのしつこさは微塵もない。儚く消えていく微かな餡の甘味が名残惜しい。さすがカステラの王者文明堂。和洋折衷の見事な完成形ここにありだ。ペロリと1個、あっさり胃袋に収まってしまった。会社での貰い物は大抵1人1つの配給制だ。たくさんあれば食べ飽きてしまうけれど、少ししかないと余計に食欲が増進する。ああ、もう1つ食べたい、さんどら。名前の如く3個食べたって全然オッケーさ。って、文明堂行って自腹切って買って食えや。本日の教訓『少量こそ最大の調味料』
2008年02月16日
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好きな色はピンク、と口にするのが気恥ずかしくなったのは何歳の頃だったろう。幼少の砌は、確かにピンクを好んでいた覚えがある。しかも色の濃い、女児向け玩具に多く用いられそうなピンクだ。年を重ねるごとに好みは怜悧で中性的な青系統に移り、身の回りの小物類も水色から紺までの青系が占めるようになったが、ここ最近、雑貨類で桜色の占める割合が高まってきている。今の季節雑貨屋の店頭を彩る桜モチーフが好きだ。キャンドルポット、小皿、ポーチ、おやすみ羊、少しずつ増えていく桜色小物に比例して『ピンク=女の子っぽくて恥ずかしい』の方程式が徐々に薄らいでいく。それでも、ちまちまとした雑貨類はともかく、服や靴や鞄とかの人目につきやすいアイテムにピンクを取り入れるには多少の抵抗があった。今年正月ネット購入した福袋に、そのバッグは入っていた。同型の白・黒・ピンクのどれかがランダムで入っているとのこと。普通に単品で購入するなら、白か黒かで迷うところだ。白は上品で使い回しが効くし、黒は落ち着きがあってこれも用途が幅広そうだ。ピンクは…。確かに可愛いけれど、組み合わせる衣類を選びそうだ。何より、ピンクのバッグ持ち歩くって面かよこんちくしょう。普段は恥知らずなくせに、ある部分に関しての羞恥心は昭和ホームドラマの江戸っ子オヤジレベルのシャイっぷりだ。けれど、そう考えていると予感は不思議と的中するもので、届いた福袋の中に入っていたのは、ピンクのバッグに他ならなかった。実物はモニタの画像で見るよりも、幾分くすんだ落ち着いた色だ。灰桜。そんな形容がしっくり来て幾分安心する。素材はレザー、形はダックスフントボストン。金具はつや消しゴールドで華美な感じはかなり押さえてある。内部のポケットは桜と菊の和柄模様。派手すぎず地味すぎず、とにかく自分が持ち歩くにはかなり分不相応な素敵すぎる代物だ。肩に掛けてみる。レザー独特の匂いとしっとりとした柔らかさ。触れてみる。合皮にはない仄かな温かみを感じる。そして、白にも黒にも醸し出せない優しげな雰囲気は、春のどこかぼんやりと霞んだ空の下に咲き誇る桜の花。その季節だけがもつ独特の高揚感に似た感情が湧き上がる。ああ、これは春だ。春の色だ。愛おしさという言葉を無生物に用いるのはややおかしいが、肩から伝わる幸福感を言い表す表現を他に知らない。一目惚れして期待して購入したものではなく、魅力と共に多少の躊躇を感じたものでも、こうして使い始めて、どんどん好きになっていくのだろう。とりあえず勧められた見合い相手と何となく結婚していずれ連理の枝比翼の翼と成りゆく夫婦に似ている。これからもよろしく、桜色のバッグ。本日の教訓『食わず嫌いはもったいない』
2008年02月13日
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多少汚れている程度ならばまだ元通り綺麗にしようと試みる気が生じるのだが、一定規模を超えて雑然としてしまうと、もう整理整頓に挑戦する気概すら失われる。それはウチの家の同居人の行動を観察していれば理解できる。どこから片付けたらいいのか分からない。どこが分からないのかすら分からない算数嫌いの小学生と似て、既に手の施しようのない状況に陥っているのだ。そんなアホどもに侮蔑の視線を送りつつ、会社のデスクの抽斗を開けてみると。血は争えないのか。創世記宇宙の如く混沌とした暗黒世界が広がっている。社内文書類を丁寧にまとめておかないことにかけておそらく右に出るものはいないだろう。全く持って何の自慢にもならぬ。必要がないと感じたことに手をかけない習性から、資料もきちんとファイリングなどしていない上、何年も前のもう必要としない書類がごっそり残っている。もしも自分が欠席の時に、誰かが必要な資料を求めてこの机の内部を漁ったとしても、おそらく目的物には辿り着けまい。人為的ではなく、必然的に生じたピラミッド内部の如き悪辣な罠。そんな恐ろしい異空間が会社の備品の中に生じている。今まで見ない振りしてしらばっくれてきたけれど、コイツぁさすがにマズかろう。そんなわけで、比較的業務の少ない今日を見計らって抽斗内部大掃除。ファイルから古い資料を抜いて、ジャンルごとに分けて差し替え。処分する資料の日付も平成14年とか15年とか、人手が足りずに忙しいを口実にしてよくここまで放置していて何の不自由もなかったなと驚くことしきりの年季物。ウチの捨てられネーゼどものことを罵っている場合じゃない。捨てて捨てて差し替えて、何とか無事にファイリング完了。おし。これで誰に見られても問題はないだろう。しかし、抽斗は1つではない。他の段には、まだまだ大量の有象無象の書類やら文具やらがごちゃごちゃ犇いているのだ。これは、うん、今度整理しよう。面倒くさくなって後回しにする毎に、物は蓄積されていくという悪循環。自宅で思い知らされているはずなのにその罠に嵌る人間の愚かしさ。本日の教訓『書類はこまめに整理しろ』
2008年02月12日
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この季節になると、心がざわめき立つ。チョコレート購買意欲を掻き立てる試みが国内の其処彼処で見られ、国民はこぞって菓子業界の販売戦略にものの見事に踊らされる。否、好んで踊りだしている祭のようなものか。今こそ声を大にして言いたい。「チョコレート、大好きだぁぁっ!」そんなわけで、市内の片隅で愛を叫ぶだけじゃ飽き足らず、世間一般とは浮かれる具体的理由に多少の差異はあるものの、今年も舶来チョコレート群れ集う糖分満載の祭典に行って来やしたヨコハマチョコレートパラダイスin横浜そごう。その行動パターン、全く去年をそのままなぞるよう。こんな高い菓子、一体誰が買うんだよと思ったら周囲の人間みんなごっそり買ってるじゃんかと軽いカルチャーショックを味わいつつも、ひたすら試食の道標・爪楊枝を目指し人込み押し分けぐるぐるとしぶとく周回。同じ店の試食を複数回つまみ、店員さんの商品説明を右から左へ受け流し、それでもさして敏感とは言えない舌に味を刻み付けるように味わう。高級との誉れを頂く菓子の味、さすがに口どけよく薫り高い。って、明治ミルクチョコとロッテガーナチョコの区別もつかない人間が言うか。まるでSFで、過去に戻った人間が同じ行動を繰り返し運命をループするようだが、敢えて今回はその負け犬的エンドレスリピートを断ち切った。何も買わずに帰宅した去年と異なり、今年は思い切って自分チョコを購入すると心に決めたのだ。そのためには、味見は重要だよな、ウン。そんなとても声にして言えない詭弁に近い大義名分を胸にひたすらチョコを求めチョコレートハンターの如く会場を闊歩する。其処に人としての誇りは埃ほどしかない。で、結局これを購入。ロイズの人気商品!あまじょっぱい後ひく美味しさ♪ロイズ ポテトチップチョコレートロイズのコーナーでは試食をやってなかったんで、味見はしていないけれど、前々から機会があったら買って食べたいと思っていた憧れの一品。もう1つ、ポテチクランチチョコレートとどちらにするか迷い、両方買ってしまえと英断して財布を取り出した。数種類ある生チョコやナッティバーにも未練はあったが、悲しいかな未練に追いつく財力はない。ロイズ ポテチクランチチョコレートつか、試食やれよ。いや、やってくださいロイズ様。ちなみに今年も待って待って、数少ないゴディバの試食タイミングをゲットした。いつか大金持ちになったら、ゴディバを自分チョコ買いしたいと心に誓う。おそらく来年もここに戻ってくるだろう。I shall return!そしてまた買うのは二の次で試食を食い荒らすのだ、多分。この不毛な無限ループ、そう簡単には抜け出せそうにもない。本日の教訓『もしも生まれ変わるならチョコに不自由しない美少年がいい』
2008年02月10日
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今日は昼過ぎから雪が降る、予定だった。よって傘を持って仕事に出かける。この傘という代物がなかなかのクセモノで、使用していない間は邪魔なことこの上ない。身長と比較して微妙に長めな所為なのか、先端を引き摺らないように持つには腕を不自然に曲げる必要がある。早い話持ち歩きにくいのだ。機能性より価格第一で購入したツケと言えばそれまでだが、壊れるまで買い換えず使い倒すのが自分流儀。よって、まだ暫くはこの傘と共に雨の日を過ごすわけだ。しかし。雲は確かに所々灰色の濁りを帯びて空を覆ってはいるものの、どう見ても一向に雪の降り出す気配はない。いや、降ったら降ったで濡れるし寒いし電車止まるしで、別に雪なんて降らないに越したことはないのだが、せっかく傘を持ってきたのに、使わずそのまま厄介者の如く持ち帰りじゃスタンバってる傘があまりにも不憫じゃなかろうか。物に心が宿るならば、「オレなんてこの世で誰からも必要とされてないんだ…へっ」そんな具合に自閉的にやさぐれて不良への第一歩を踏み出しかねない。そんな傘にチョイ役でも出番を与えようと、天候という名の監督がちらりと夜空に雨粒を舞わせたのは、会社を出て駅まで向かう途中の道すがらだ。って、ちょっと待て。次第に雨足強まってないか?台詞一言あるかないかの通行人役で充分だってのに、いきなり主役に大抜擢かよオイ。何が悲しくて雪に変わりそうな氷雨の中帰宅せねばならぬのだ。電車は止まらなくても、濡れるし寒いことに変わりはないんだよ。少しでも傘に同情した甘さが恨めしい。本日の教訓『雨は夜更け過ぎに雪へと変わるかもしれない』
2008年02月09日
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本日は、久々に居間の掃除に着手した。ゴミ屋敷のゴミを撤収する行政代執行の如き行為。代行料を徴収できない分より一層性質が悪い。これほど気の乗らなくも腹立たしき作業はなく、おかげで能率が春うららの5時間目授業以上に上がらない。とにかく、見ただけでげんなりする。肉親の縁という桎梏がストレスに容易に変換される。口さがないワイドショーの不名誉な主役になることに対する拒絶反応だけが、破壊衝動を押さえる唯一の防波堤だ。何故ウチの家族は食卓がこのような惨状を呈していても平気なのか。何故ウチの家族はこんなゴミの中で平気で寝転がることが出来るのか。最早、コイツ等を国民人口としてカウントすること自体霊長類ヒト科に対する冒涜に等しいんじゃないか。とにかく妹どもの物の買い込みぶりと購入物の放置っぷりは半端じゃない。今の所々に山のように積み上げられた有象無象。捨てられるものなら全て捨ててしまいたいのに、連中の所有権がそれを妨害する。結局、所有物の山はどんどん高くなり、どこに何があるかを把握するものは神のみしか存在しない。掃除が終わって一番気分がいいのは、上に何も乗っていないコタツと余分な物が放置されていない床を見る時だ。この状態。仮に自分1人暮らしならば、この状態を保存するのはさほど困難ではないものを、誰か1人帰宅するだけで均衡はあっさりと崩壊する。気分も一気に最悪状態に陥る。「掃除してくれてありがとう」その一言を投げかけてくれる人間がいればどれほど救われるだろう。そんな麗しい日本語、耳に入ったことはない。それどころか、掃除した所を汚すなと釘を刺しても素直に返事をすることすらない。聞こえない振り、若しくは曖昧な生返事。肯定の返事をすれば、次に散らかした時に尚一層怒られると思っているのだろう、その見え透いた計算が政治家の贈収賄以上に姑息だ。何を言っても無駄むだムダ。苛立ちとそれ以上の諦観と、1人暮らしに対する羨望がますます募る。家庭崩壊が叫ばれている昨今、そもそも家庭構成員の脳が崩壊しているのが主要な原因ではないかと思われる。本日の教訓『掃除をして汚くなるのは雑巾と心』
2008年02月07日
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最近、家の掃除をする間隔が開いてきている気がする。他人事気分で観察していられたら、もうちょっと気分的に楽なのかもしれないが、歩く度に何やら妹どもの私物ともゴミとも判別しがたい物体を踏み分けながら歩く気分というのは決して楽しいものではない。否、最近はもう足元に何が障害物があるのが常態になりつつある辺り、元より常人より乏しい我が衛生観念が日々磨耗の度合いを深めているのだろう。ウチの家族レベルにまではさすがに達してはいないが。既に汚い室内に慣れっこになってしまっている。真冬、温すぎる浴槽に浸かったまま水中から身体を出した時の寒さに耐えられず上がるに上がれず蹲ったままのフリーズ状態だ。ダメだこんなんじゃ。人間は堕落を始めたら坂道を転がる乗用車のように破滅の予感を撒き散らしながら下へ下へと暴走していくのだ。そんなわけで。人が散らかした場所を清掃するというのは甚だ不本意ではあるのだが、今の室内の惨状をどげんかせんといかんので、明日は、せっかくの休日だが掃除に当てるとしよう。このように言質を与えておかないと、気が滅入っておそらく実行しないだろう。人の決意などかくも脆きものなり。こうしているうちに、明日が来るのが憂鬱になってきた。掃除をしようというこの決意、明日まで持つか持たないか。本日の教訓『だけど心なんてお天気で変わるのさ』
2008年02月06日
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朝、目が覚めた時、予定通りの時間に起きられた僅かな満足感と、布団に覆われていない部位に否応なく感じる寒波と、窓から差す光の白い薄暗さに対する嫌な予感的中気分とがミックスジュース状態で体中を満たす。今日は電車に乗って出掛けなきゃならぬ用事があるってのに、こんな時に限って当たらないが常態の天気予報は嘘を吐かない。窓の外に広がっているのは、現在完了形で白く積もった雪景色と、現在進行形で吹雪いている大粒の雪の華だ。雪が降って喜ぶのは子供と犬と南の島の住民くらいで、そのどれにも該当しない身の上としては、こんな時にこそ昼まで布団の中で熟睡していたいのだが、予定を履行することに変更はなく、防寒対策として一応靴下を重ね履き。いつも履き慣れたボロスニーカーではなく、これまたボロで踵の磨り減ったショートブーツを装着。鬱な気分を増長する灰銀色の世界へいざ行かん。長靴をブーツだと言い張っていたのは『ドクタースランプ』に出て来る皿田きのこだったが、そいつぁ似て異なるものだと声を大にして言いたい。長靴ってのは、需要比率が小学生以下と中高年以上に偏ってはいるが、防水性能にかけちゃ文句なしの一品だ。それに比較して、ブーツの目的は防水第一ではない。身を以ってそれを実感する。水が滲みるのだ。ぐちゃぐちゃに解けた轍の上を歩こうが踏み荒らされていない積雪の上を歩こうが、とにかく、浸透圧の実験じゃあるまいしブーツ内部に水分が浸入する。しかも、凍みるような冷たさと来ている。重ねて履いた靴下も諸共に濡れていく。凍てついた足先から液体窒素のような血液が全身の熱を奪いながら循環され、ただでさえ冷え性なのに尚一層悪化するだろ。バス停に辿り着くまでの僅か数分。それだけで、もう引き返してコタツに足を突っ込みたくなった。これから駅に出て、電車を乗り継いでまた歩く。晴れた日には何とも思わない道程が死のロードかデスマーチの如く感じられるのは首都圏を覆いつくす雪雲が見せる幻影か。本日の教訓『雪の日に外出なんてするもんじゃない。それが冷え性なら尚更だ』
2008年02月03日
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一昨日、ウチの会社のコンピューターが新しいものに切り替わった。販売管理ソフトもバージョンアップし、ソフトのオフィスも新しいバージョンへと進化を遂げた。新しく生まれ変わるのは大いに結構なことだが、自分が休日当番で出社している日に移行作業を実施するのは面倒くさいからやめてくれよと思いつつ、やはり物珍しさに好奇心は疼く。おし、新しいパソコン、一番乗りだぜ。そこに、思わぬ陥穽があることに気がつかなかった。エクセルを起動してみた。そこで最初のカルチャーショック。初めて進駐軍のジープを見た時の児童の衝撃に近い。明らかに、画面上部のツールバーの辺りの雰囲気が変わっている。似たような建物が並ぶ社宅住まいのリーマンが、酔って帰って家を間違えたような気まずさが漂う。あるべき場所に、あるべきアイコンがないのだ。「すみません、印刷ボタンどれですか?」導入作業に立ち会うパソコン会社の方に早速質問する。初めてパソコン触りましたって高齢者が尋ねそうな初歩的質問だが、最新版のエクセルを見たことのある人間ならこの状況が理解できるだろう。今までは、ツールバーの中にプリンタの絵のアイコンがあったのに、それらしい画像がどこにも見当たらない。その愚問に対する明確な答えに、更に驚いた。「左上の、丸い部分をクリックしてください」確かに、その場所をクリックすると、ようやく印刷という言葉にお目にかかれる。って、何だコレ、この分かりにくさ。よく使うコマンドを何故わざわざ見つかりにくい場所に隠すよ?言われなきゃここに印刷ボタンが隠れているなんて一般人が気づくわけないだろ。普通進化ってのは更なる機能性利便性の向上を考慮しているはずだが、わざわざ使いにくくする進化ってどうよ。仕方ない。このエクセルとこれからお付き合いしていく必要性が存在する以上、不可思議なアイコンの配置に慣れる義務も合わせて発生するのだ。社内の円滑な業務のためには努力して歩み寄らねば。ちなみに。その後、新しいエクセルに向き合った他の社員達も、ほぼ全員この画面上の変化に呆然とし、使いにくさを訴え、印刷ボタンの場所にただただ驚愕した。こんな時は不思議な連帯感を感じざるを得ない。本日の教訓『慣れれば多分使いやすくなるかもしれない』
2008年02月01日
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