続きは、球場で。

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F41【episode 2】

F41



     episode 2

「沙愛[さえ]ちゃん、次の人、来た?」
「まだですー」

 三景が占いを行なっている「MIKAGE」は、この港町で最高の高さを誇る『F41ビル』の20階、かつてこの25階建てのビルの18階から24階までを占めていた大規模アミューズメント施設の一角にある。

 といっても、このアミューズメント施設で今も生き残っているのは「MIKAGE」を含む“占い横丁”と、22~24階のシネマコンプレックスだけで、他のフロアには短いサイクルで古着屋が入ったり、インディーズのミュージシャンや絵描きのショップが出来たり潰れたりと、落ち着きがない。

 冬場は露天商の溜まり場になっている始末だ。

 親友の紹介で「あんた一人じゃ商売なんてやってけやしないんだから、この子にスケジュールと金の管理任せなさい!」と半ば強引に雇わされた、沙愛という名の若い女性が、しきりにエレベーターホールの方を窺っている。

「困ったねぇ~…次の予約の人に時間かぶらなきゃいいけど…」
「ですねぇ…あ、来たみたいですよ。三景さん、準備準備」
「はいはい」

 予約の時間よりも20分ほど遅れて来た相談者に、三景は見覚えがあった。

「あれ、警備員さんじゃないですか」

 三景とジャンルは違えど同じ客商売を生業としている親友がこの場にいれば、鋭い“ダメ出し”を喰らうようなことを思わず口走る。
 確かに、相談者として三景の部屋に入ってきたのは、このビルの従業員通用口に月曜日を除く毎日詰めている顔見知りの警備員だった。

 だからと言って、占い師に悩みを打ち明けようと思ってここに足を踏み入れた者に普通の挨拶をしていいという話はない。
 が、この相談者は三景が顔見知りだからこそ相談に乗ってもらう気になって来たようで、特に不快感などは表さなかった。

「こんにちは。遅れてすみません」

 相談者は礼儀正しく謝罪し、頭を下げた。
 次の相談者が来る予定は夜だから、ギリギリよりは多少時間的余裕が有る。

「大丈夫ですよ。まずこちらへおかけ下さい」

 促したテーブルには、4℃の純水に浸けて先の相談者の影をリセットした箱庭水晶が、既に空色の絹を被って佇んでいる。
 三景はいつもどおり、その絹布を東側から取り去った。

(あら?)

 先程の反省から、三景は辛うじて声を飲み込んだ。
 いつもならある程度占いが進んでからでないと表れない“虹”が、この相談者の気を受けた瞬間に表れたのだ。

 虹は人生の大きな転機を表す。
 概ね好転する時に表れるが、まれに暗転する時にも表れるから油断はならない。

「では、まず、この12種類の香りのオイルから、今あなたが一番好ましいと思う香りを選んで下さい」

 いつもどおりに相談者が選んだオイルを希釈してランプに注ぎ、火を灯す。
 この相談者が選んだのは、セージの香りのオイルだった。

 ランプの灯りによって浮かび上がった箱庭の中には、二股に分かれた道の分岐点に佇んだまま、どちらへも行けずに揺れる人影が映った。
 虹は、その道の片方に橋をかけている。

 過去へと目を移せば、好機には恵まれながら束縛の多い人生だった。

 5歳から野球を始め、リトルリーグからリトルシニア、高校野球へ、そしてプロ入りをも果たしたものの、その陰では常に母方の伯父が会長を務める“後援会”が睨みを利かせていた。
 練習スケジュールや栄養管理は勿論のこと、付き合う友達や恋人までもが後援会の審査を通らねばならなかった。

 プロ入り6年目のオールスター休みのある日、後半戦に備えて練習場で汗を流していた時のこと。
 後援会と何の関係もない“一般の”ファンが見学に訪れ、猛暑の中練習が終わるのを待っていてくれたお礼を込めてサインと握手に応じたら「我々の権利を侵害した」と大目玉をくらってしまった。

 この一件が決定打となり、唯一の理解者であった独身寮の寮長にだけ別れを告げて、夜逃げのようにプロ野球界から逃げ出したのは3年前のことだ。
 長年野球を続けてきたお蔭で丈夫に育った体を活かし、土木作業員や警備員のアルバイトで食いつないでいる。

(ん? これは…子供?)

 本人の影から少し離れた場所に、小さな命を抱くか細い人影が映った。
 心から愛し合った女性であり、その結晶である我が子にも関わらず、件の後援会によって引き裂かれ、会おうにも連絡先も何もわからなくなっているようだ。

 その女性をこの相談者から引き離すため、後援会の者たちは女性に対して絶対に言ってはいけない数々の罵声を浴びせ、深く深く心を傷つけたらしい。

 そのため、女性の影は決して相談者に近づこうとしない。かといって遠ざかりもしない。相談者へ思いを残しつつも、恐怖が勝っているのだろう。

 この相談者が描き出している影は、ふたつの選択肢を意味している。

 ひとつは現状維持。
 引き裂かれた最愛の女性と我が子への思いを断ち切れずに、生涯人目に立たぬ場所で糊口を凌いで孤独に生きていく人生。

 もうひとつの道には、危険な猛獣たちが待ち構えている。
 すなわち、後援会。

 行方をくらませた当初は当然、チームからも世間からも身勝手だと非難されたが、密かに寮長から首脳陣へ、そしてフロントへと真相が伝わってゆき、公式には「疾病による任意引退」ということになっていた。
 おどろおどろしいプロ野球の裏側など知る由もない無邪気なファン達は心から相談者を心配し、3年経った今でも球団には何らかの形での球団復帰を望む声が届いているらしい。

 その声に応えるというわけでもないが、在籍時、後輩達の面倒見がすこぶる良かった人柄を買って、球団の二軍施設があるこの街の、球団が関与する中学野球チームのコーチ就任を打診しているのだ。

 勿論、一時はプロ野球選手にまでなったぐらいだから、野球を愛する気持ちは強い。
 しかしながら、再び野球に関わることになれば、後援会の者たちが何を言ってくるか知れたものではない。

 三景の見たところ、可愛さ余って憎さ百倍、どころか千倍にも万倍にもなっている。
 その憎しみによって、後援会の構成員たちの影は人の形を失い、憎悪の牙をむき出しにした異形の獣[けだもの]の姿をとっている。

 二本に伸びた道は、片方は少しずつ狭まり、無彩色になっていく。
 もう片方は虹の架け橋に通じている。しかしその途中には猛獣がいる…

「根田さん。今こそ勇気を振り絞って闘う時です」

 三景は、手元の引き出しの中からこの相談者に一番必要なパワーストーンを手探りで探しながら言った。

「あなたが歩むべき道の途中には、恐ろしい猛獣が7頭、あなたを噛み殺そうと待ち構えています。でも、怯んではいけません。猛獣たちをいなして、道の先へ進むことが出来た時、あなたは望むものを全て手に入れることが出来るのです」

 説明しながら、漸く剣の形のヘマタイトを探り当てた三景は、思わず「あった!」と言いそうになるのを堪えて部屋の灯りを点け、相談者からランプを受け取った。

「7頭の猛獣たちを、いなす…僕に出来るでしょうか?」
 どうやら“猛獣”という喩えが何を示すのかわかっているようだ。

「大丈夫。あなたは最初からそのつもりだった筈です。ただ、大切な人を守れなかった罪悪感と自己嫌悪に苛まれて最初の一歩が踏み出せずにいるだけ…」

 今度は香りの蒸気に当てるのではなく、ガラスの箱の中に敷いた絹布の真ん中に剣を載せ、四隅にセージのオイルを垂らして蓋を閉める。
 ハーブティーを一杯飲む間に、ふたつの力がひとつになる筈だ。

「先程拝見した貴方の心の影からは、一筋の糸が伸びていました。そして、貴方の大切な人…いえ、もうはっきり申し上げてしまいましょう、愛する女性とお子さんは、貴方がその糸で自分たちを再び手繰り寄せてくれることを心の奥底で願っているのです」

 そろそろ守り石に力が宿る頃合だ。
 三景はガラスの箱の蓋を開け、絹布ごとパワーストーンを持っていくよう促した。

「御武運を」

 後援会の構成員たちの激しすぎる独占欲、嫉妬心、劣等感の裏返しの恫喝等数々のマイナスの波動を、相談者が自らの心の輝きによって跳ね返すシーンを強く強く念じながら、三景はその逞しい背中を見送った。



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