続きは、球場で。

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F41【episode 3】

F41



     episode 3

 ドアの外に『休憩中』の札を提げ、占いに使う箱庭水晶をリセットするための水槽に入れ、4℃の純水を満たす。
 三景に言わせれば占いを行なって一番疲れるのはこの箱庭水晶であり、彼女(石にも性別があるらしい)にとっては、4℃の純水による“沐浴”が最も疲労回復が早いのだそうだ。

 今日最後の相談者が来るまでにはまだ少し時間があるから、この間に急いで食事をとってしまわないといけない。
 占いの最中に腹の虫が騒いだりしたら大変だ。

 しかも占いに香りのオイルを使う都合上、ほとんど匂いのしない冷たい蕎麦かうどんしか食べられない。
 いくら食事をとったり準備や金勘定をしたりする控え室が別にあると言っても、カレーや天ぷらの匂いをこの空間に残すわけにはいかないのだ。

 同じビルの地下にあるいつもの蕎麦屋から出前をとる。
 殆ど毎日のことだから、蕎麦屋もわきまえたもので「どっちですか」としか聞いて来ない。
 今日の三景はうどんの気分のようだ。

 数分後、控え室にざるうどんが届けられた。
 この蕎麦屋には回数券があって、ざる蕎麦10枚分の値段で11枚のざるかかけ蕎麦、またはうどんが食べられる。三景はこの回数券を買って蕎麦屋に預けてあるのだが、今日の出前でなくなったと言われ、新たに回数券の代金を支払った。

 実際には、前日既になくなっていたのだが、こちらが言い忘れたのだからと今日の分の代金はとらないつもりらしい。

 同じフロアのヒンドゥー系占い師によれば、この蕎麦屋の店主はこういった「与える徳」を積んでいるから、店もつぶれず、大きな怪我や病気もせずに平穏無事な人生を歩めているんだそうだ。

 前述したように臭うものは口に出来ないから、薬味の皿はない。
 いつもどおり薬味なしのざるうどんをすすっていると、三景の携帯電話がチカチカとピンク色の光を明滅させて、メールの着信を告げた。

 先程メールした親友からの返信だった。
「ちょうどいいから新メニューの毒見させるわ」と一言だった。

 食事を終えて占いの準備にとりかかり、水槽から取り出して机の上に置いた箱庭水晶に空色の絹布をかけたところで、ちょうど次の相談者が来る予定の時刻になった。
 が、来る気配はない。

 この時間に予約を入れるということは普通に昼間働いている人なのだろう、仕事の時間なんて個人の都合で決められるもんじゃないし、とさして気にも留めない三景。

 結局、3人目の相談者が『MIKAGE』のドアをくぐったのは、予定していた時刻より1時間ほど後のことだった。
 相談者は真面目そうなサラリーマン風の男性で、約束の時間に遅れたことを平身低頭詫びようとしたが、三景は笑顔で止めた。

「大丈夫ですよ、お仕事お疲れ様でした。急いでいらして喉渇いたでしょう、冷たいお茶どうぞ」

 職業占い師には、癒しを与えるという素質もしばしば求められる。
 許しという究極の癒しの力を生来備えている三景は、占い師として天賦の才を持っていると言っていい。

 客あしらいが苦手でも、常に相談者の予約が入っているのはその辺りが「素人っぽいのになぜか癒される」とクチコミで拡がっているためだ。
 占い師にとって、「なぜか」とつく魅力を備えていることは大きな武器となる。

(ありゃ、この人今日来た人のダンナさんだ…)

 最も言ってはいけないことなので無論声に出して言いはしないが、親友スペシャルブレンドのハーブティーを飲んでリラックスする相談者が、今日最初の相談者の女性の配偶者であることに気づく。

 困ったなー、ボロ出さないかしら自分、と不安を覚える三景。
 素質はあってもそれを100%生かせるとは限らないのが人生の面白いところだ。

 相談者が選んだベルガモットの香りのオイルを入れて灯したオイルランプの灯りは、箱庭水晶の中にやはり3人の人影を浮かび上がらせた。
 照らす人物が違うから影の在り様は違うが、同一人物たちであることは間違いないようだ。

 この相談者は、自らの悩みの種である妻が昼間ここを訪れ、占いの結果を受けて地に足をつけて生きていく道を選んだことなど知るよしもない。
 ゆえに、相談者の心は厳しい選択肢を描き出している。

 すなわち、離婚か家庭内離婚状態を続けるか。

 気づかぬ振りをしているが、実は自分の妻が若いギタリストに熱を上げていることを、この相談者は知っていた。
 職場の部下の若い女性が音楽好きで、しばしばライブハウスで妻を見かけると教えてくれていたのだ。告げ口のつもりではなく、奥様若々しいですね、といった意味合いで。

 パートを始めた時は、これから高校、大学と進む予定の娘にかかる学費の足しにすると言っていたのに…
 裏切られた思いではあったが、自らの憤りに任せて離婚してしまえば娘は経済的理由で進学できなくなるかも知れないし、逆に自分が引き取ることになれば思春期に同性の親と離れることになり、何かと不安に思うだろうと、今のところ己の胸のうちに秘めて堪えている。

 しかし妻のライブ狂いは増す一方。
 学費貯金の通帳にも、しばらくの間入金された痕跡はない。

 相談者の手の中のランプによって浮かび上がった影たちは、冷たい色を帯びて揺れている。

 相談者が描き出した影の判定に迷っている振りをしながら、三景は既にこの相談者が望むように変貌した妻のことをどう伝えようか、その表現に迷っていた。

「里中さん、あなたは試練を果たしたようですよ」

 親友ならどう言うだろう、と考えに考えて、やっと思いついたのが『試練』という言葉だった。
 相談者が、何か人智を超えたものから課せられた試練をクリアしたがゆえに悩みの元が絶たれた、ということにするのがベストなのではないかと、自信はなかったが三景はそう思った。

 そして、それは正解だったようだ。
 占いのあと、ハーブティーでリラックスしている間に相談者の携帯にメールが着信し、それを読んだ相談者の顔がふっと穏やかになった。

 丸く収まったみたい、と、三景は胸を撫で下ろした。



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