いつまでも空を見上げていたい

いつまでも空を見上げていたい

夢を抱いて東京へ


夢を抱いて東京へ



三者面談の「進学は無理」という言葉にも耳を貸すことなく

ひたすら自分の夢を抱いて机に向かって勉強した3年生

私は最終期末試験・進学試験・そして准看護師の試験を受けた

滑り止めの就職試験も他県での准看護試験も一切受けず

自分の力を信じて合格通知を待った

無謀だと言われたけれど

どんな結果が出ても悔いはなかった

肝試しに一番早い地元の看護学校を受験した

結果は5人中一人合格で 私は残りの4人で不合格だった

私の第一志望は東京のH看護学校

次々に同級生の進学が決まる中

私は不安と孤独と戦いながら毎日を過ごしたことはいうまでもないが

この悔しさが一層勉強に身を入れたのも事実

東京には生まれてから一度も行ったことがなかったが

学校も受験の前日に泊まる宿も全て自分で探した

その当時 パソコンもなければインターネットも知らなかった

手探りの連続だったが 人間やる気になればなんでもできるということを

このときに学んだと思う

埼玉県のとある看護学校を受けたあと

第一志望の東京のH学校を受験した

一次試験の翌日 合格者が試験会場に張り出されて

そのまま2次試験となるスタイルだった

2校とも私の期待を裏切ることなく2次試験へと迎えてくれた

そして奇跡は起こった

数週間後 学校から帰ると自宅に2つの

『合格通知』

が速達でそれぞれ届けられた

この合格通知を握り締めて片道1時間半はかかる学校へ 再び舞い戻った

恩師に報告するために

喜びをかみ締めて一人ガッツポーズしてから 天国にいる祖父にお礼を言った

その晩 私は大声で泣いていた


全ての試験を終えて成績表が手渡された

今度は片手で足りる

前から数えて・・・(笑)

本当は成績表なんてどうでも良かった

自分が何番だろうが頑張った結果なら そんなことどうでも良かった

でも 良く頑張りましたって他人が認めてくれるには

成績表が一番わかりやすいんだろうな

先生泣いてた

合格・卒業おめでとうって 問題児の私を気持ちよく送り出してくれた

それから新幹線並みのスピードで

地元の仲良しの友達と別れを惜しむ間もなく

東京へと一人旅立った

看護師になる夢を抱いて



18歳の春




東京で初めてサクラを見た

2部屋3人で共同生活が始まった

自炊をするようになり コインランドリーがありがたかった

納豆を初めて食した

貧乏学生時代はハングリー精神を鍛えるために 適しているかもしれない

こうして 大人への階段を徐々に上り始めた




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