これ以上は何もないようだ

これ以上は何もないようだ

ながちゃんJr.1号(♀)誕生秘話



ながちゃんJr.1号は改造人間である…ではなくって、真面目に…。

1998年9月12日(土)朝からいい天気で、残暑が厳しく、長い1日の始まりでした。

ながちゃんは、朝早くから周南地区の工場対抗弓道大会に出場する予定で、前日も職場ののみで帰りが遅くなるということから、身重の奥様は実家に帰っていました。

奥様はこの年の1月、まだ転勤先の東京で妊娠が発覚し、その後ながちゃんが東京からまた元の職場に配転になったことから、実家に近いところの借り上げの社宅を選んで2人で住んでいました。

予定日は10月4日、臨月に入ってそろそろ予定日も近づいてきたな~と思いつつ、もう初めての出産の準備はすっかりできていて、まったく油断していたところでした。

昼過ぎに弓道大会が終わって仲間たちと談笑している時に、急にながちゃんの携帯が鳴りました。

お昼ご飯のことかな?と思いつつ電話に出ると、奥様の妹さんの声。

朝、破水して産婦人科に入院することになったとのこと。

大慌てで産婦人科に行って病室に行くと、奥様は破水の処置をされて病室のベッドでくつろいでおりました。

どうも、昨晩から妹さんも実家に子連れで帰ってて、調子に乗って甥を抱っこしまくっていた様子で、それが原因で破水したらしいのです。

でも、子宮孔が開いてないので、生まれるのはいつになるかわからないと産婦人科の先生の診断。

な~んだ、まあ、予定日までは3週間くらいあるしね~。

と思いつつ、もう既に準備万端の入院用品を病院に持ってきて、長期戦の構え。

ところが、夕方になると、飲んだひまし油を吐いて、その後、陣痛が始り、ながちゃんは奥様の腰をさすっていました。

陣痛の間隔からしてまだまだということで、19時ごろ、ながちゃんは晩御飯のために、一旦奥様のお母さんにバトンタッチ。

晩御飯を終えて帰ってくると、義母さんはすっかり疲れた様子…。

力の弱い義母の擦り方には満足できなかったらしく、早々にながちゃんにバトンタッチ。

ながちゃん妻の紹介にも書き込んでいますが、奥様のご家族、友達関係には奥様は、「すぐ弱音を吐く」で通っており、さっきのことからもあきれてて、痛がる奥様を見て「はいはい、まだまだ、大丈夫よ~。」って感じでした。

時間も経ち、陣痛の間隔か短くなっても、まだぜんぜん看護婦さんは余裕な感じでした。

まったく気がつかなかったんですが、いつのまにか心音計(?赤ちゃんの鼓動を聞く機械)がつけられており、部屋にはどっくんどっくんと、赤ちゃんの心臓の音が響いてました。

もちろん看護婦さんは歴戦の勇者なので最初っからそんな感じでしたが…。

23時過ぎ、そんなやり取りを継続しながら、奥様の陣痛はもう極限(ほかの人には伝わらない)だったようで、「生まれる~!」と叫ぶも、看護婦さん・義母・ながちゃんにとりあってもらえず…。

その後の看護婦さんの見回りで、看護婦さんが慌てて退室…。

(なになに?どうした?)

続いて婦長登場!

(なんかやばいんか?)

聞いてみると「胎児の心音が小さくなっている。」とのこと。

(え?どゆこと?)

んで、先生登場。(これがまた、ヨボヨボのおじいちゃん先生なんだな…。)

で、心音計と奥様のおなかに聴診器をあてて、ながちゃんに「このままでは、母子ともに危ないから帝王切開にしましょう、いいですか?」と。

あまりに急な展開で事態を飲み込めずにいるながちゃんに「切りますよ、いいですね?!」

今思えば、ヨボヨボな割に迫力あったな…。

大丈夫かよ?と思いつつも、ほんとに危ないならしょうがないので、「お願いします!」と、任せることに。

その後、破水の処理してるのを取り除いたり準備があるから、というのでながちゃんと義母は部屋を出され、廊下で待つことに。

数分もしないうちに奥様が両脇を看護婦さんに支えられ、歩いて分娩室に。

(え?切るんじゃないの?)

と、思っていると婦長さんが「赤ちゃんの頭が見えているからすぐ出ますよ。」

(は?)

どうも、赤ちゃんが既に出かかっていたらしいんです。

普通、分娩室に入ったら長期戦だよな~と思って、その用意をするためにそれまで我慢していたオシッコに行ったんです。

は~すっきり、と、トイレから出てきたところに義母さんが「生まれたよ~」と。

(こっちも出ましたか!)

結局日にちは変わって、9月13日午前0時10分に生まれました。

後日談ですが、どうも23時過ぎに奥様が「生まれる~。」と言った時点で、イキんじゃったみたいで、生まれそうだったみたいです。(すんなり生まれていれば12日が誕生日だったのにね。)

それで、胎児の位置が下がって心音が聞こえなく(小さく)なっていたそうな。

で、破水処理でつめていた綿(?)を取り出す際に赤ん坊の頭が見えていた、と言うよりも産道まで来ていたらしいです。

取り上げられた直後の娘の写真がありますが、産道で締め付けられていたせいか、頭が紫で、ウルトラマンの青いやつ(ガイア?ティガ?)のようでした。

そのせいか生まれた直後に産声は上がらず、お父さんがトイレから出てくるのを待って産声をあげてくれました。

そのあと、紫の娘とご対面になりました。

2250gの小さな娘を抱いて声をかけると、目を開けてこっちを見ようとします。

(おお~そんな恨めしい目で見ないでおくれ~。)

母親学級で見たVTRのとおり、毎日奥様のお腹に呼びかけていた成果みたいです、ちょっと感動。

奥様は1週間で無事退院しましたが、娘は体重が2500gを超えるまで退院できないということで、結局その1週間後に見事2500gを超えて退院しました。

それまでは、毎日奥様は母乳を搾って持って行っていました。ご苦労様。

ま~勝手にイキんでしまった奥様も奥様ですが、「生まれる~」を信用してもらえない日頃の行いの悪さ…。

反省しなさい、と言う前に、生まれた瞬間にトイレにいた、ながちゃんの事の方が語り継がれているのは言うまでもありません。


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