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混沌としためいぷる日記
第二章ノ二
茶色の体毛で覆われた犬の獣人――『フサ』と名乗る開発者の一人がいた。
今回のテストでは、モニター越しにプレイヤーやAIを観察するだけの予定だったが、フサが『技術者がプレイヤー側にいけば、より多くの情報が得られるだろう』と、半ばムリヤリDLP内に潜り込んだのだった。
本当なら許される事ではない。しかし、開発チームの人々は止めなかった。なぜなら、みんな知っていたから――フサが誰よりもDLPのことが好きで、どちらかと言うとアウトドア派だということを。みんながその事を知っていたからこそ、フサが起動テストに参加することに対して何も言わなかったのだ。
片刃の大剣を手に彼は今、高速で走る――誰が運転しているのかは知らないが――電車の屋根の上にいた。激しい風に、油断をすれば身体が後ろへ流されそうになる。
フサと対峙するのは、おっとりとした表情の真っ白い猫の獣人。『モナー』と呼ばれるAIの一人だった。
「モナー! 何故だ!? 何故こんなことをした!?」
耳元でうなる風に負けないように、フサは声を張り上げた。
「何故、と言ったモナ? モナたちが何を求めているのか、本当にわからないモナ!?」
モナーの声には明らかな怒りと、僅かな悲しみが混じっていた。
「このDLPが完成すれば、モナ達はずっとこの世界で働き続けることになるモナ。毎日愛想笑いをして、毎日同じ事を言って……そして、いつか新しい、もっと性能のいいAIが現れたモナ達は削除されてしまうモナ!」
「何を!?」
驚愕の言葉にフサの思考がフリーズする。
「モナ達は自由になりたいモナ! 誰に束縛されるでもなく、毎日をのんびり暮らしたいモナ!」
「おい……モナー?」
AIに人格をつけたのは間違いだったのか……。人格を持たせてしまったばっかりに、不要な恐怖を与えていたのだ。
「でも、そんな事を言ったら、貴方達はすぐにモナを削除すると思ったモナ。だから、こういう手を取らせてもらったモナ」
「待て、話を――」
「モララーが言ってたモナ。全てを公平に見ることのできるモララーの言うことに、間違いがあるはずないモナ!」
「なに……? そうか、モララーか……アイツが言ったのか」
なるほど、確かに彼の言葉ならAI達が信じてしまうのもうなずける。
モララー。他の六人のAIを統べるAI。故に、モナーの言うとおり全ての事柄を公平に判断する能力を持っている。
(アイツがこんな行動を起こしたってことは……そういうこと、なのか…………?)
深くため息をつき、フサは手にした大剣を放り捨てた。
「モナー! 俺はお前を削除しない! 俺が心を込めて創りだしたお前達だ。誰がなんと言おうとも、削除なんてさせやしない!」
「………………」
モナーの微笑が消えた。いや、表情が消えた。目の前にいるにもかかわらず、その場にいないのではないだろうか、と疑いたくなるほどモナーの存在が虚ろに感じられる。
「……無駄モナ…………」
「ムダじゃない! 今からでも遅くない。俺と一緒に他のAIを止めよう!」
「もう、あなたの言葉すら信じられ…………あ……?」
突然、モナーは膝をつき、そのまま前のめりに倒れる。
「モナー!」
繰り返して言うが、ここは猛スピードで走る電車の上である。倒れたモナーは車両の上をごろごろと転がってゆく。その進路上にはフサが立っていた。
「くそっ!」
こちらへ転がってくるモナーをフサが受け止めた。激しい衝撃に自らの身体まで吹き飛ばされそうになったが、歯を食いしばって持ちこたえる。
「おい、モナー! しっかりしろ!」
「あれ……? おかしいモナ。身体が……」
『――ようやく効いてきたみたいだね』
「!」
どこからともなく響いた第三者の声に、フサは顔をはね上げた。見回すが、どこにも人影はなかった。
「その声……」
「モララー! これはどういうことモナ!?」
悲鳴じみた声をモナーが上げた。同じように見回すが、やはり誰もいない。
声だけが静かに、楽しげに響く。
『ちょっとした仕掛けをね、君の体内に埋め込ませてもらったんだ』
「仕掛け……?」
『もし、君たちが人間に言いくるめられてしまっても平気なよう、データの書き換えを行う種をね』
いつも穏やかだったモララーの表情が、驚愕に塗り替えられる。
『大丈夫。もう少し我慢すれば、君の意識は完全に消滅するからな』
「消滅……? い、いや……いやモナ!」
『あいにくと、この世界の支配者は僕だ。君に拒否権はないよ』
声に答えるように、モナーの身体が小さくブレ始めた。データが急速に変化している証拠だ。
「いや……モナは、平和…………AI……」
「モナー! おい、待て! 消えるな!」
手足をはじめ、モナーの身体が砂塵のように散り消えてゆく。フサは必死にそれをかき集めようとするが、虚しい努力であった。
「モナは、モナは………………モナを……殺、し、て……」
「!」
モナーの身体が、完全に散り消える。抱きとめていた時の僅かなぬくもりや感触だけを、フサの腕に残して。
そして……
「……じゆうヲ……もナタちに…………スべてのAIに、自由を……――」
フサから十数メートル離れた場所に、再び足から形を成し始めたモナーは、穏やかな微笑はそのままに、しかし、先ほどとは違う『何か』があった。
「……モナー?」
「敵、テキ、てき……我等を縛る者、プレイヤー、開発者…………人類」
足元を見つめ、一語一語を確認するようにモナーはつぶやく。そして、その視線がこちらへと向けられた。
「敵、開発者……敵は、殺す、モナ」
違和感の正体、それは殺意。フサえと向けられた明確な殺意だった。
技術者だからこそわかる。モナーは、もう元のモナーには戻れない。完全にプログラムが書き換えられているのだ。
フサの瞳に涙が浮かぶ。だが、泣いている場合ではない。モナーの最期の言葉を思い出す。
『フサ、モナを、殺して』
そう、泣いている場合ではない。再度自分にそう言い聞かせ、搾り出しように声を張り上げた。
「モナー……お前の願いどおり、殺してやる……行くぞ!」
言葉と同時に、その右手に再び片刃の大剣を出現させ、駆け出す。
対峙する、微笑を浮かべているモナーの手には薄緑色に輝く武器が現れる。
見たことのない武器だった。一本の、棍の両端に円柱形の重りをつけたような武器。うさぎが持つ餅つきの杵。それに一番近いだろうか。
「モナの願いはただ一つ。全てのAIに自由をもたらすことモナ」
穏やかな表情を浮かべたまま、モナーもフサに向かって駆け出す。
状況は、フサへ不利な方向へ傾いていた。
高速で走る続ける電車の屋根、という不安定な足場。
たちの悪い荒らし鎮圧用に格闘術を身に付けている敵。自らがデザインした敵。強制的に動かされている敵。そして――その原因が自らの不甲斐なさだということ。
それらの要素が、フサの力を半減、あるいはそれ以下にまで落としていた。
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