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←(1979~1989短篇集3) 
←『レキシントンの幽霊』は全集では1990~2000年のものに入っている。
私、地下鉄サリン事件からは読んでないので、「トニー滝谷」はもっと古い短編だと思ってた(「トニー滝谷のストーリーは読んだ記憶があるので。)けど、映画の案内を見ると『レキシントンの幽霊』という本に収録されているとのこと。今は手元にないので確かめようがないが、ロングバージョンとショートバージョンがあるのかも。(*1

ついでに書評というか。こういうのなんて言うんでしたっけ?まあ、どうでもいいんですが。




←DVD

映画 公式ホームページ には村上春樹のメッセージがあります。、、、と思ったけど、今ざっと見たら見つからなかった。どこかで見たので後で調べます。(*2この小説を書こうと思ったきっかけは”どこかでTシャツを買ったらそこにTony Takitaniと書いてあったこと”だということでした。

(*1(*2 村上春樹中毒者のためのインターネット情報源 に正解がありました。
(*1について。
この作品には初出の「文藝春秋」に掲載のショートバージョン、「全作品」に収録のロングバージョン、「レキシントンの幽霊」に収録のロングバージョン(リライト版)の3種類が存在します。
(*2について。
この短編はハワイ州議会の議員を務めたTony Takitani氏の選挙キャンペーン用Tシャツがきっかけで書かれたんそうです。マウイ島でたまたまその黄色いTシャツを手にした春樹さんは、それが選挙キャンペーン用のTシャツだとは知らずに胸に書かれた「Tony Takitani」の文字からインスパイアされて短編を書き上げたんだとか。
とのことです。
追加、以上。

【感想】
村上春樹の小説はあんなに高く評価されているにもかかわらず、映画で成功したためしがないという伝説がありました。
村上春樹の小説はたぶん、建物でいえば、柱だけがあるのです。
だから、読む人それぞれの風景が出来上がる。
だから、そのイメージにぴったりする映画の方法が日本になかった。
だけど、最近は、”空気感だけを出す映画”、というのが出来てきた。(最近、日本映画不調をどうにかしようと立ち上げられたグループが1980年代後半ごろに作った映画を何本か見たので気がついた。昔はたぶん、村上春樹の世界を表現できる映画の手法はなかったのかもと。)

この映画は、登場人物の後ろからとか手元とかの映像がほとんどなく、(去っていく性の後姿をぼんやりとか、ゆっくりと、現実離れして描くもののみ。お母さんのときと、妻のときだけ。)語り手は、常に物語の中に入るのだが、カプセルの中に入っているような感じをよく表現されていたと思う。
だから、村上春樹の作品を読んだときに読者の頭や心の中に自分だけのその世界をつくりあげることが、同じように出来る映画に仕上がっていたと思います。
小説を読むということは、文字や文章はただの刺激、きっかけに過ぎず、大事なことは、
読者それぞれの心の中に物語の風景を読者自身が構築すること。と、私は村上春樹にその作品を読むそのつど言われているような気がするのです。

音楽が悲しすぎて、虚無感を出しすぎくらいに出しているが、ちょうどいいのだろう。
なんというか、淡々と、透明な。うちにはものすごく熱い感情があるのだけど、でも、語り手(と読者)はカプセルに入っているので、登場人物と同化して、または、後ろに回りこんでそれを見ることが出来ない。
どうしようもなく排除された感じ、というのが上手く表現されていた。

主人公は、大学生のところまでは表情やせりふがないのだから、緒方でごり押しする必要はもしかしたらなかったのかも。老けすぎているし、どんな年代も演じる、個性が立ちすぎた俳優だから、黙って変装していたら、逆に、彼の演技を見すぎた観客には別の作品のイメージがかぶさってしまうから。

絵に、スプレーをかけるところが、昔はマスクなんかやらなかったのが、年がたつにつれてマスクをしていることで、時代を表現しているところが、上手くていいなと思った。最後には細かいところを見るためのめがね(専門職の人がつけるようなもの)をしていた。

妻役が宮沢りえというのが、とてもよかった。
「画用紙みたいに、まっすぐなおなか」を持つ女性が、村上春樹の初期の短編のお話の中に出てくる私のイメージでもあるから。(上の意味の表現はたしか、作品の中に出てくる。だから私はおなかの私の理想像がそれだ。)

バイトの面接に来た女の子は、前髪をぱっつんに切った宮沢りえじゃなくて、もっと他の人が良かった。なんというか、あの役には、透明感とか、生活感のなさよりも、”同じ体型”で雰囲気が似ているだけで、むしろ生活観があったほうが良かったし、像が重なりやすい一人二役よりも違うほうが良かったかな。監督はその女の子に生活観を出すように、でも、かなり抑えて、大家さんとの会話にも、手袋、というアイテムを使っていたし、”生きている感じ””生活観”も、ロッカールームや、結婚式の親族控え室”というふうに、すごく考えて考えて作ったということがわかるし、うるさい村上春樹読者の私も、いちおう、「よし。(優良可の)可。」と。ぽっ(生意気ですが。)主人公は、妻とその女の子を、同じに重ねようとしてそれに抵抗感を感じたように。でも、主人公が最後には少し重ねてしまうのだが。でも、結局作者はそこまで書き込んでないし、映画の監督は、縁がなかったことにする。私もあそこで縁があるのは嫌だ。

絶対の孤独感。

わかるなあ。


人間は皆孤独、とかいうのとは違う孤独感。




ま、それはいいとして。関係ないけど、ちょっと気づいたこと。
村上春樹も坂本龍一も一人っ子で、それぞれ、小さい頃から自分だけの世界を持っている。
宮沢りえも一人っ子だが、母親がいつもそばにいたからちょっと違う。
読書も、ピアノも、自分ひとりで自分に向き合うものだと思う。





ま、またまたそれはいいとして。
最後の一言(たぶん、村上春樹の書いた原作の最後の一文だろう。)は音で聞くと、
日本純文学そのもの!
という感じがした。












見終わって、すごーく、痛い感じがした。
体の中心に、透明で硬い冷たい氷がいつまでも解けない。
という感覚がいつまでもいつまでも残った。


服を買い続けることをやめられない透明で冷たい孤独も、また、わかるような気がした。
というか、村上春樹の作品はあたまでわかるというより、体に直接しみこんでくる感じがするんだけど、このこともそうで、服を買うのをやめようとして、やめると、少し体温が戻ってきた感じがして、でも、(服を買い続けているときはきっと彼女の手は冷たいだろう、という気がするのは、私がどこかで読んだせいなのだろうか、それとも私自身が思っているのかそれすらよくわからないんだけれど。)彼女にはその体温は暖かすぎて、事故を起こしてしまった。
という感じがした。





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Last updated  2007年09月25日 08時58分05秒
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春樹  
kimion20002000 さん
TBありがとう。
そうですね。村上作品は「風の歌を聴け!」ぐらいかな。でも、この映画の脚本をめぐっては、かなり、春樹さんもノリノリで意見を出していたようですね。 (2007年10月05日 00時00分26秒)

Re:春樹(08/28)  
cherrybeeroom  さん
kimion20002000さん
>TBありがとう。
いいえ、こちらこそ。充実した記事を読ませていただけてありがたかったです、本当に。
ちなみに私はTBはやりっぱなしにする主義(と言うほど徹底してないんですが、)なので、コメント残さず失礼しました。

>この映画の脚本をめぐっては、かなり、春樹さんもノリノリで意見を出していたようですね。
そうなんですね。情報ありがとうございました。
村上春樹の、映画に対する態度みたいなのがみえて、そのネタは、新鮮でした。 (2007年10月05日 09時30分45秒)

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