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山国川のほとりの競秀峰のすそに掘られた青の洞門。
今は車が通るトンネルになっているが、
昔の素掘りのトンネルも一部残っている。
山の下の方にトンネルが見えますか
このマップはここら辺のマップでアップにできます
まず青の洞門に行く前に近くのお店で鯉のエサを見つけたので購入したのですが、鯉はいなかったので旦那はカモに餌をあげてました
すごく人懐っこいカモが餌くれ~~って寄ってきてますよ![]()
1番手前のカモなんか餌食べ過ぎて胃がパンパンになってな~い
いっぱいカモと戯れた後に青の洞門へ
大分県指定史跡。
全長は約342mで、そのうちトンネル部分は144m。1750年(寛延3年)に第1期工事が完成し、最終的に開通したのは1763年(宝暦13年)でした。
ここは車が通れても道幅が狭いので片側交互通行になってます
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけて掘り抜いたといわれている。
この逸話を元にして書かれたのが、1919年(大正8年)に発表された
菊池寛の『恩讐の彼方に』である。
ただし、この小説では、隧道は「樋田の刳貫」と呼ばれ、
「青の洞門」という名称は用いられていない。
また、主人公の僧の名は了海とされている。
1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、
牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は
日本最古の有料道路ともいわれている。
1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。
こちらは禅海和尚がノミと槌だけでトンネルを掘ってる姿です。
このトンネルが有料になったとは言え禅海和尚さんがトンネルを
掘ってくれたから、命を落す人たちはいなくなったそうです。
堅苦しい話しはここらへんにして、ここら一帯は紅葉の季節になれば、
一面紅葉し、すごく綺麗なところで、観光客が押し寄せます
来年は紅葉の時期に行きたいですね
今週も最後まで読んで頂きましてありがとうございます![]()
また来週もよろしくお願いします。
皆さんも良い週末をお過ごしくださいね
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