ガフの部屋

HR礼拝原稿


これは、HR礼拝の奨励当番の時に、私がみんなの前で発表した奨励です。これを読んだとき、担任のH先生は「一皮剥けたね」と泣いてくれました。今の自分の集大成ってカンジかな。偉そうなことも言ってますが、あしからず。



皆さんは早いことに、高校生になって約8ヶ月、つまりもう既に高等部生活における約2/9もの時間を過ごしたことになりますが、その中学を卒業してからのこの8ヶ月間で、なにか自分に成長したと思える点が挙げられるようになっているでしょうか。この問いは、言い換えれば入学してからこれまで、充実した時間を送って来られたかという質問にもなり得ると思います。しかし、そのようなあらためてしっかりと「これだ」と実感できるような人間としての成長は、実際あまり挙げられないものです。それは私たちが生活し、過ごしているこの毎日を「何でもないごく普通の日々」と感じられてしまうようになってしまっているからです。朝登校し、授業を受け、放課後家に帰る。一見極々普通のことです。ですが一方で、大多数の人がこなせているその「普通のこと」さえもできない人たちがいます。ご存知の方も多いことでしょうが、私は今17歳、あと約1ヶ月で18歳になります。中学を出、普通に進学していれば私は皆さんの2つ上級生、高校3年生に当たります。学校に通いたくても通えないもどかしい日々、そんな弱い自分に対する激しい嫌悪、順調にコマを進めていく元同級生たちに、どうしてもしてしまう激しい嫉妬、感じてしまう焦り。こうしてやっとこさっとこですが通学できるようになった今思い出してみても、当時の苦しみは強烈な痛みを伴って蘇ります。

苦しみのさなか、私はある真実に真っ向から向き合うことになりました。それは、人の人生は何でもない普通の日々の積み重ねであるということです。「何でもない普通」を何でもなく普通にできるということは、本当に幸せなことです。そう痛切に感じた日々でした。

ここに、もうひとつ苦しみのさなか見い出した真実を挙げておきたいと思います。それは、「願えばその願いは必ず叶う」ということです。どんなに微かにでも望む願いを叶えるため、望む環境に生きるため、人はどんな時もはっきり意識せずとも努力しているはずです。悔いが残ると不快だと感じること、心に生じた痛みを癒そうとすること、全て結局はそういうことなのだと思います。必要なことはいつの間にか必然と行っている。それはただの「運」じゃない。それが本気で生きているということなのです。そこで改めて読んで頂きたいのが、今回の聖書の箇所です。「あなたがたを襲った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを人間として耐えられないような試練に遭わせることはなさいません。試練と共に、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださいます。」私たちが生活しているこの毎日の中で生まれる困難では、私たちに解決できないことなんて、よっぽどのことがない限りありません。全ては私たちの苦しみと、それを克服せんとする努力の結果によって乗り越えられるものなのです。どんなに辛くても、それを乗り切る術を、道を、神様は用意して下さっているのです。すなわち、私たちはもう、そのような試練を切り抜ける技を知っているのです。

さて。あなた方は今、まさに自分というものの確立を目指しているそのさなかに在ります。他者との違いに自己を見つけ、形作っていくのです。それゆえ、学校やHRという一見極めて統合されたように見える小さなまとまりは、実際には個々の自我形成のスピード、発達に大きな差が生まれることが有り、ともすれば非常に残酷な組織となってしまう可能性をも秘めているのだと思います。私たちティーンエイジャーの1年間、2年間は、とても大きなものです。同い年の子同士の間ですらそのような成長の差が顕著に感じられるのですから、少々生意気かもしれませんが、私はあなた方にどうしても幼さを感じざるを得ません。残念ながら時々、「このクソガキが」とでも言いたくなるような場面にも出くわすこともあります。とても貴重な、人間としての地盤の固まりきる前の今の時期、是非あなた方にもう一度よく考えてほしいことがあります。そして、より大きな人間へと歩んでいけるようにと、私は願って止みません。

辛くて辛くて、この世には自分一人しか生きていないのではないかと思えてしまう時。誰にも本当の自分を理解してもらえなくて、孤独にさいなまれる時。大丈夫です。あなたの痛み、悲しみ、苦しみを分かち合ってくれる人が絶対にいます。だから、手首に傷を残した私も、今こうして皆さんの前でお話をすることができるのです。





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