ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

カナダ・卒業旅行


カナディアン航空利用

●初めての海外●

きっかけは、友だちの話だった。友だちのゼミの先生がその1年前にカナダで出産した。先生は、自分のゼミの学生をカナダに連れて行くことを計画していた。旅行が第一の目的だが、バンクーバーの老人ホーム、小学校、障害者の作業場などの見学もさせてくれるという話だった。聞けば、そのゼミの学生の友人であればいっしょに参加させてくれるという。すごく魅力的な話だけど、私は高校時代の友人とスイスに卒業旅行しようと計画を立てていたのだ。ところが、値段を聞くと、交通費、ホームステイ代全て込みで11万2千円という格安。それも直行便。私の気持ちはすぐに変わり、先生にお願いし連れて行ってもらうこととなった。2回生から4回生まで総勢約40名、にぎやかな旅となった。

行くと決まったら、次は準備だ。何もかもが初めての体験。まずはパスポートの申請。親に必要書類を送ってもらい、広島県庁で取得。ホストマザーになる人が来日していて、先生が説明会を設定してくれた。そのとき、保険会社も来ていて、海外旅行保険にも加入。欧米はカード社会なので、カードも作る。バーゲンで格安スーツケースを買ったり、何もかもが初めての体験でワクワクだった。

●初めての飛行機●

23歳にして初めて飛行機に乗る。田舎者の私は、飛行機が怖かった。国内でも、そんなに遠かろうともJR、またはバスしか信用していなかった。航空会社はカナディアン・エアライン。今はもうないのかな?機内にいた客室乗務員を見て、少し不安になった。白髪頭のおばあさんがいる・・・。乗務員は容姿端麗ではないとなれないというのは伝説か?(実際、このおばあさん乗務員さんの食事を配膳する手はちょっぴり震えていた・・・)
いよいよ離陸する。飛行機がジェットコースターのような勢いで走り始め、ふわっと宙に浮かんだ瞬間、私は気絶しそうになり、怖い!と絶叫してしまった。いや、マジ怖かった。落ち着いた頃、私の真後ろに座っていた留年ヤローMが、
「お前、恥ずかしいヤツだなー。スチュワーデスさんたち、お前見て笑ってたぞ」。と言った。このときは「ああ、ごめんね」と言ったものの、
留年ヤローはカナダにいる間中同じことを言うので、帰るまでにぶん殴ってやると思った。後日、手は出さなかったが、口喧嘩で買った!

雲の上にいるなんて、初めての経験だ。窓から眺めていると、あのわけのわからなかったソ連映画、「惑星ソラリス」を思い出していた。そして初めて目にする北米大陸。日本以外の土地。ちょっと、いや、かなり感激だった。

●ホームステイ・・・っていうより合宿?●

空港に着くと、ホストマザーの手配してくれた大型バスとガイドさん(日本人)が待っていた。バス代とダウンタウンまでのガイド代、一人20ドル。安いといえば安い。バスの中でガイドを聞きながらダウンタウンまで行く。ダウンタウンからは路線バスでホームステイ先に行くので、小銭を作りに行くことになった。おなかもすいていないし、買いたいものも何もないので、そこら辺に売ってあった安いピアスを記念に買う。

ホームステイ先があったのは、リッチモンド。ホストマザーは、中国系カナダ人男性と結婚、離婚していた日本人だった。末の息子さん(名前がなんと、マイケル・ホイ)と2人で、とてもでかい家に住んでいた。しかし、でかいとは言えども、40人収容は無理!4回生以外の男子学生は、近所の他のうちにお世話になることになった。女子部屋には広いシャワールームがあったが、毎日大人数がシャワーを浴びると大変なことになるので、2~3日に一回ということになった。ベッドはダブルベッドがひとつ、ローテーションでベッド、床に毛布を引いて寝ることになったが、冬でも部屋が暖かいのでそれは大丈夫だった。朝ご飯は当番を決めて作ることとなった。なんだか、ホームステイと言うよりも、集団合宿みたいだった。それはそれで、とても楽しかった。

●バンクーバー●

初めての海外だけれども、ツアーではないので観光は全て自分たちでアレンジしないといけなかった。みんなカナダは初めてで(90%は海外が初めてだったが・・・)、それぞれ持参のガイドブックを持ち寄り、毎晩、次はどこに行くか話していた。自分たちでバスを乗り継いで歩くのは、とても楽しかった。とりあえず、それらに載っているメインの観光地にはほとんど行ったはずだ。スタンレー・パーク、UCB、グランビル・アイランド、ガス・タウン、キャピラノ渓谷、博物館等、主な観光地にはくまなく行った。次回のバンクーバーの旅のページで語るとする。

●スティーブストン●

2週間バンクーバーに滞在して、一番お気に入りの場所はここ、スティーブストンだった。三度も訪れた。バスの終点にある海辺の小さな町で、カフェ、レストラン、雑貨屋が立ち並ぶ。
最初は先生が連れて行ってくれた。レストランでシーフードを食べたり、散策したり、のんびりできた。きっと、観光地巡りよりも気に入った場所でのんびりするのが好きという、私の旅のスタイルは、ここでできたのかもしれない・・・(大げさな!)。

二度目は仲の良かった友だちと。カフェでランチを取ったり、雑貨屋さんを回ったりした。ここで、日本食や雑貨を扱うお店を発見!日系のおじいちゃんとおばあちゃんが経営しているお店で、わたしたちが日本人とわかると話しかけてきてくれた。もちろん、日本語で!当時の私は英語はわからん。

三度目は、帰国前日に。体調を壊し、とてもダウンタウンなど回る気力がなかったので、大好きなこの町に行くことにした。3回生の女の子2人が付き合って行ってくれた。また、バンクーバーを訪れることが会ったら、是非行こうと思った・・・。2003年12月にバンクーバーに行くが、結局ここには来てません・・・残念!

●ビクトリア●

バンクーバーからフェリーで約3時間、バンクーバー島にある一番大きな町がビクトリアだ。ブリティッシュ・コロンビア州の州都だ。英国よりも英国らしい町と聞いたが、イギリスを知らなかったわたしが行ったところで何もわからなかった。定年後、多くの人がここに移り住むというのがわかるくらい、こじんまりしていてきれいな町だった。

一応、観光名所をいうところは回ったが、わたしが一番行きたかったのはロジャーズチョコレートの本店!甘いものが大好きな私は、カナダで有名だというチョコレートを是非味わってみたかった。ところが、訪れたときは店休日。残念だったが、バンクーバーでも買えると知る。何のために来た?

いっしょに行った友だちは日帰りしたが、私ともう一人の友だちはYWCAに1泊した。おかげで、他の友だちには見ることのできなかった州議事堂のライトアップをみたり、ちょっとリッチに馬車に乗って市内を散策したり、5時以降入場するとフリーの博物館を見学したり、ビクトリアを満喫できた。

●社会見学

大学の先生に連れて行っていただいたおかげで、観光兼社会見学ができたのはこの旅の大きな収穫だった。いっしょに行った学生のほとんどが社会学の専攻だったので、ほとんどの学生はこの社会見学に参加した。

*小学校見学*
まず、小学校を訪れる。案内していただいた教頭先生は日系人の女性だった。小さな子のクラスから、最上級生のクラスを見学させてもらう。バンクーバーはさすがに移民の地、廊下の掲示板には、中国語での数の数え方などを紹介するコーナーがあった。聞くと、小さなころからのバイリンガル教育が盛んなのだそうだ(リッチモンドのショッピングモールで、小学生くらいの白人の男の子に流暢な日本語で時間を聞かれたし・・・)。生徒たちの人種も様々だ。

一番小さい子のクラスに行くと、算数の勉強をしていた。みんな席についているわけではなく、それぞれ興味のある事をして、それを教師がサポートしているという感じだった。もし子の子たちが日本の学校に入れば、いすにじっと座っていられない問題児のレッテルが貼られること、間違いない。
とてもかわいい女の子が私に近寄ってきてこう言った。
「あなた、転校生?」
いえ、私、23歳なんですけど・・・。おまけにこの春から、小学校の臨時講師をするんですけど・・・。言ってもわからないだろうな(言い方もわからん)と思い、
「ちがうよ」
の一言。

中学年のクラスは、パソコンの授業をしていた。当時、日本の小学校でコンピューターを教えることなんてあっただろうか?担当の先生にうるさがられて、早々に退出。

最上級生のクラス、社会化の授業だった。世界の地理を勉強中で、グループでそれぞれ興味のある国について調べていた。元気があって、かなりにぎやかなクラス。私の先生が、
「彼女は4月から小学校の先生になるのよ」
と、子どもたちに私のことを紹介した。歓声が上がり、拍手をしてくれた。きっと、自分たちよりもちっこい女の子が先生だなんて・・・と思ったに違いない。先生が彼らの写真を取ろうとすると、担任教師まで出てきてはしゃいでいた。これを、大分弁で「つりあがり」という・・・。
こんな楽しい小学校、私の子どもも通わせたいな。

*何かの運動団体見学*
団体名は忘れたが(アルバムを見ればわかるけど、面倒だ!!!)、女性が中心となって社会を変える運動をする団体を訪れ、話を聞いた。女性障害者の社会参加を目指しているような団体だった。話は聞いたものの、通訳もなく、話の大半は理解できなかった。でも、
「私たちが変えるの」
と繰り返し言っていたのだけは忘れていない。

*老人ホーム見学*
こんなゴージャスな老人ホーム、当時の日本にあっただろうか?そこは、バーナビービ会ったシートン・ヴィラという名前の高層ビルだった。お年寄りが生活しているということを除けば、食事つきの単身者用マンションという感じだった。あるおばあちゃんのお部屋を見せていただいたが、窓からの眺めが良く、とても素敵だった。しかも、ここのシェフはなんとプロ。彼も高齢だったけど、何かの料理のコンテストで賞を取ったことがあるというような人だった。そのシェフの作った料理を、入居者の方たちと楽しくいただく。デザートのケーキも絶品だった!

ここには、ババさんという日本人男性がボランティアとして働いていた。私たち日本人学生たちが現れると、お年寄りが「ババ、ババ」と連呼しているので、何のことやらと思っていた。
ババさんはワーキング・ホリデーでカナダに来ていた。ワーキング・ホリデー、私には初めて聞く言葉だった。彼が言うには、語学学校にいても、日本人が多くて英語が身につかないから、この老人ホームで働き始めたのだそうだ。
数年後、私もワーキング・ホリデービザを取って、ニュージーランドの老人ホームでボランティアをすることになろうとは、このときは思いもしなかった。

*障害者の作業場*
なんと、訪れた日は閉まっていた。残念!後日、再び訪れるが、あまり仕事をしている姿を見なかった気がする。事務所のお兄さんの話を聞き、カナダの障害者の雇用事情などを聞く。実は、英語がわからなくて、後でいただいた冊子を読んだのだが。実際、カナダは障害者が車椅子で気軽に出歩いていると感じた。(これがいいことばかりではないという話を最近聞いたが、後日日記で書こうと思う)。

*子どもの病院*
風邪でダウン!行かれなかった・・・。実際、自分の目で見たかった。


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