ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

アイルランド


ミッドウエスト航空

●妖精の国へ●

アイリッシュ音楽が大好きなので、ずっとあこがれていた国、アイルランド。期待通りの美しい国だったが、大寒波の到来に遭うわ、珍道中になるわと、てんやわんや。寒かったりつらかったりもしたけど、楽しい旅だった。

私がダブリンへ飛んだのはロンドンからだ。乗客はほとんど全員が白人という状況。しかし、私は外国人、飛行機から降りるとパスポートをしっかりと握り締めて入管へ向かった。入り口では、係員のおじさん3人が上機嫌の高笑い。誰も彼もがその場を素通りしていた。私は一応自分のパスポートを差し出すが、おっさんは話し続けながら、「行け、行け」という手振りで私をいとも簡単に入国させた。これでいいのか、入国管理局?もし、私が悪いやつだったらどうするの?おじさん!!!その日は26日、クリスマスの翌日だ。前日の楽しいお酒が抜けてなかったのだろう。

●アイリッシュの友だち、ニーブ●

ダブリンの空港で、アイルランド人の友だちが迎えに来てくれることになっていたが、私が時間を間違えて伝えてしまい、30分ほど空港で待つことになった。彼女の名前はニーブ。彼女は数年前に日本に住んでいて、その当時の友だちだった。
久しぶりに会ったニーブは、私を見つけるとハグしてきた。なんだか痩せたみたいだ。ブロンドの髪を赤く染めていた。車を運転するニーブを見るのも初めてだった。スーパーで夕食の冷凍ピザを買い、彼女の家に向かう。ニーブはダブリン郊外のブラック・ロックという住宅街で、妹と2人の女性と4人でハウスシェアをしていた。どんな家だろう・・・と期待は膨らむ。

●アイリッシュ版ゴミ屋敷●
そして、ニーブの家にに着く。玄関を開けると、真正面に2階へ上がる階段がある。そのまま右側のリビングへ・・・そのまま絶句の私。ど、泥棒が入ったの?この家・・・というのが第一印象だった。
「ごめんね~。クリスマス・パーティーの後、後片付けしてないの」
まあ、クリスマスの次の日だ、仕方がないかもしれない。
しかし、床の上にパンくずだらけの皿、暖炉の上に並ぶ汚れたワイングラスやコップ、かなりびびった。クリスマス後だからでは決してないと思った。約9日間この国にいて、最後までこうだったから。キッチンも汚れ物の山だった。

さて、私の泊めてもらう2階へ。私が泊まっている間、ニーブの部屋を使わせてもらった。ニーブは妹の部屋に寝ていた。さて、ニーブの部屋だが、わりと片付いていた。カーペットは見ないように心がけた。明らかに掃除機をかけていない。
次にバスルームへ案内されるが、こ、これが女性だけで使っているバスルーム???絶句パート2。まずシンク。真っ白なシンクに液体ファンデーションがべったりついている。床、化粧品が一面に散らばり、洋服、下着、タオルも散在。バスタブの中、誰が使ったかわからないバスタオルが・・・。他人が、それも外国から泊まりに来るのに、誰も気にしないのだろうか。あの日本のきれいなニーブの部屋からは考えられない有様だった。

妹さんのマーリーンは一度日本で会って、お互い覚えていた。シェアメイトはリサと名前を忘れたけど金髪のかわいい女性だった。リサはお医者さんで、ゴージャスな美人。いっしょに食事に行ったりもした。こんなきれいな人たちもこのゴミ屋敷を作ったのね・・・。金髪女性の部屋、チラッと見えたが、この家一番の汚さ。ベッドに積み上げられた服は丘になっていた。

●ニーブとドライブ●

ダブリンで迎えた初めての朝、外にはうっすらと雪が積もっていた。ダブリンで雪が降ることは珍しいらしい。アイルランドは北にあるけど、海流の影響で冬も普通の寒さなんだそうだ。そういえば、日本とあまり変わらない気がした。この日は、ニーブが車でいくつかの場所に連れて行ってくれた。寒かったが晴天で、気持ちのいい日だった・

*アイリッシュ湾を臨む*
ダブリンから南へ車で2時間程度のところにあるBritts Bayへ。ニーブのお気に入りの場所なんだそうだ。砂浜は霜が降っていて、きらきらしてきれいだった。散歩をする人たちがわずかだが見られた。夏は海水浴客でにぎわうらしい。

*グレンダー・ロッホ*
ゲール語で「二つの湖」を意味するように、二つの湖がある。アイルランドの初期キリスト教の聖地として発展した。高さ33mのランドタワー、大聖堂跡地、聖ケビンズ教会、墓地が見られる。墓地には、キリスト教と土着の宗教が融合したケルト十字のお墓がいくつか見られた。
ピクニックには絶好の場所で、ニーブといっしょに家から持ってきたバケットにハムやチーズをはさんで食べていたら、変なイタリア人数人が話しかけてきた。なんだか、空腹のようで、少し分けたらとても喜んで、お礼にチョコレートをくれた。

*友だちのうち*
途中、ニーブの友だちの家に行く。海辺にあり、とても素敵なうちだった。ニーブの友だちは母親、婚約者、そして婚約者との間に生まれた2歳の娘と暮らしていた。もうすぐ結婚をするらしく、ニーブがお祝いの言葉を告げていた。カトリック教徒の多いアイルランドで、結婚前に子どもを作っているというのが意外だった。また、その娘さんがかわいくて、青い目に金髪のカーリーヘア。絵で見る天使のようだった。とてもいい人たちだったが、帰り際に、
「また日本人が来たら連れて来てね」
と言っていた。きっと、ヨーロッパ以外の外国人のお客が珍しいんだろうな。

*エンヤの住む町*
アイルランドの女性歌手といえば、日本でもおなじみのエンヤ。もちろん、私も彼女の音楽が大好きだ。エンヤはウィックロウという町の古城を買って住んでいるとニーブが言った。もちろん、そこまでは行かないにしても、この町にある庭園に行くが、暗くなり始めたのでお庭はもうおしまい。でも、素敵なお店があって、ちょっとここでショッピングをする。母へのお土産に花の種を買う。

●Welcome to Dublin!●

2日目はニーブと彼女の友だち、ネサがダブリンの町を案内してくれた。ネサがニーブ宅に訪れる。背が高くて、笑顔のきれいな女性だった。3人で駅まで歩き、だー路に乗ってダブリン市内へ行く。このダートって、私の大好きな映画、「ザ・コミットメンツ」で、バンドのメンバーが♪Destination any way~♪と、歌いながら乗っていた電車だよね・・・。おぉ、ちょっと感激。
ダブリンのタラ・ストリート駅でダートを降りるとダブリン市内中心部。私の前を歩いてたニーブとネサが振り返り、一言。
「Welcome to Dubline!」

この日だけではなく、一人でもダブリンを観光して回ったので全部まとめて・・・

*オコンネル・ストリートと中央郵便局*
ダートの駅から、市内中心部を流れるリフィ川に架かる橋を渡ると、市内の大通り、オコンネルス・ストリートがある。アイルランド独立運動の指導者、オコンネル氏の銅像が正面に立っている。
この通りをずっと歩いていくと、G.P.O.(中央郵便局)がある。ここは1916年のイースター蜂起の際に義勇軍の司令本部となり、イースター・マンデーの日に「共和国宣言」がなされた場所である。中に入ったついでに、ここから友人らにポストカードを送る。

*アイルランド銀行*
外観のみ見学。1595年に病院として建てられ、1729~1739年アイルランド自治議会として再建され、世界で初めての議会を召集した建物といわれる。アイルランド銀行が買収し、1801年に本店としてオープンした。何世紀にも渡り、いろいろな用途に使われたこの建物、興味深い。

*トリニティ・カレッジ*
1592年にエリザベス女王によって創設された。ケルト芸術の最高峰である「ケルズの書」を見ることができるが、実は、この国に来るまでそんな所があるなどとは知らなかった。この大学に約300年保管されている、アイルランドの宝のひとつだそうだ。実際見てみると、本当に美しい。独特のケルト文字と絵で構成され、書材は牛の皮でできている。
また、旧図書館の主要図書室、ロングルームを見学。65mの長さで、古い蔵書は約20万冊。まるで、イギリス映画に出てくるような図書館だった。

*フォー・コーツ*
川の向こうから外観のみ見学。1802年に完成した裁判所。1922~23年のアイルランド内戦の時には、アイルランド共和軍(IRA)の総司令部となった。砲撃を浴びて建物は破壊されたが、1932年までに再建。円形のきれいな形をした建物だった。

*税関*
外観のみ見学。現在あるものは、1991年に再建されたもの。1791年に設計されるが、1921年に独立戦争の勝利を祝って、帝国主義の象徴とされていたので、火をつけられてしまったかわいそうな建物。

*クライストチャーチ大聖堂*
アイルランド国教会アングリカン派のダブリンとグレンダー・ロッホ教区の主教会。1172年に建設された古い建物。地下室がまるで迷路みたいでおもしろい。

*聖パトリック大聖堂*
アイルランド最大の教会(プロテスタント)。1191年に木造から石像の大聖堂に変身。1320年から200年間、アイルランド最初の大学として使われていた。あの、「ガリバー旅行記」のスウィフトも18世紀に司祭長を勤めたことがあって、中には彼のお墓もあった。それも、教会内部の地べたに・・・

*ダブリン・バイキング・アドベンチャー*
約1000年前のりフィ川沿いに住むバイキングの村を訪ねるという、体験型博物館。バイキングや村人になりきったコスプレのスタッフに案内される。最初はドキドキ、あとは、え、こんなもん???

*ダブリナー*
ダブリンの中世の歴史が体験できるアトラクション。おもしろいんだけど、この国の歴史からすれば残虐かも。拷問とか貧困が多かった気がする。

*ダブリン城*
中には入れず。13世紀、イギリスのジョン王によって建てられ、以後7世紀に渡ってイギリス支配のシンボルだった。現在、石造りの塔の一部のみが修復されて残っているのみだった。

*テンプル・バー*
1540年にイギリスのヘンリー8世が修道院を解体した後に、テンプル一族が所有した。現在はダブリンの芸術村となっている。
多数のアイリッシュ・パブがあるけど、ここのは観光客が多いらしい。ニーブとネサに一軒連れて行ってもらったが、とても楽しかった。隅のほうでギターを持ったおじさんが歌っていて、みんなギネスを飲んでいた。私もギネス大好き。アイリッシュの人たちはみんなフレンドリーで、日本から来たといったら大歓迎してくれた。ニーブと私は背が同じくらい小さい。背の高いお兄さんが、ニーブと私の頭を上から何度も軽くポンポンと叩く。パブはここ一軒だけ、もっと行きたかった!

*グラフトン通り*
映画「ザ・コミットメンツ」でも見たし、噂どおりにストリート・ミュージシャンでいっぱいのこの通り。路上演奏をする人を、ストリート・バスキングというそうだ。若い人であふれかえっていた。

*モリー・マーロン像*
ワーキング・ホリデーでニュージーランドのウェリントンに住んでいたとき、「モリー・マーロンズ」というアイリッシュ・パブによく行っていた。まさか、その像をここで見かけようとは!女性の行商人の名前で、歌にもなっている。広島にも、同じ名前のアイリッシュ・パブがある。

●ゲール語と英語●

アイルランドの公用語は英語とゲール語である。だから、どの標識を見ても、上が英語でしたがゲール語と二ヶ国語表示されてある。ゲール語を話す人は少なくなっているらしいが、西海岸側ではまだ使う人も多いらしい。ニーブはゲール語が話せるという。小学校の先生だから、教えたりするのかな?
ニーブとネサの家族は名前がゲール語、アイリッシュ・ネームだ。ちょっと聞きなれない名前が多いけど、響きがとてもきれいだ。
英語ははっきり言って訛っている。ニーブは先生なので、きれいな英語を話すのでわかりやすいけど、他の人のはちょっと聞きづらい。例えば、thの濁る発音はdの発音に聞こえる。fatherなら、「ファーダー」という感じだ。ニーブがいつも、
「チカコにはゆっくりしゃべってね」
と言ってくれていた。それでも、時々わからなかった私だった。

●怒涛の3日間、コークへ小旅行●

本当はニーブといっしょにゴールウェイまで車で行くはずだったが、大寒波により、内陸部の気温は連日氷点下10度以下、雪で道路は通行止めとなっていた。ニーブにどこか小旅行することを勧められ、南のコークなら雪もないだろうと行くことに決める。
当日、ニーブがヒューストン駅まで送ってくれた。電車に乗るまで、見送ってくれた。そんなに心配しなくても・・・。電車の終点はコークなので、安心して乗っていられた。電車からの眺めは本当にきれいだった。本当、まるで阿蘇かニュージーランド・・・。そういえば、ニーブと阿蘇周辺をドライブしたとき、彼女はまるでアイルランドみたい・・・と言っていたな。

●第2の都市、コーク●

「地球の歩き方」に載ってあった、駅の近くのB&Bをニーブに電話予約してもらっていた。そこにチェックインした後、少し町を歩き回る。ダブリンから電車で約3時間、コークはアイルランド第2の都市だが、静かできれいな町だった。夏は観光客でにぎわうようだ。市内をはしるリー川の中洲に開けた都市で、川を目印にして歩き回った。少しは暖かいかなと思ったけど、めったに降らない雪がうっすら積もり、道路は凍結状態だった。

●初めてのB&B●

いろいろと旅行はしてきたが、B&Bに泊まったのは初めてだった。そこのB&Bに決めた理由は、「地球の歩き方」に伝統的なアイリッシュ・ブレックファストを頂けるということだった。食は重要!それに、ちょっとアットホームな雰囲気も味わってみたかった。
さて、扉を開くと、なんとそこはアイリッシュパブだった。カウンターに大きなおじさんがいたので、そこがB&Bであることを一応確かめた。おじさんは3階の部屋へ案内してくれた。部屋に入ると、そこは期待していたアットホームな場所というよりも、ビジネスホテルという感じだった。シングルベッド、テレビ、飲み物類、シャワールームまで完備されていた。ちょっとがっかりしたが、部屋はきれいだし、久しぶりに清潔な場所でシャワーが浴びられるのだ。階下がパブだったが、騒音もなし、ぐっすり眠れた。
さて、翌朝の朝食時間。9時にお願いしていた。食堂へ降りていくと、誰もいない。おまけに、テーブルの上は段ボールやらなんやらの積荷でいっぱいだ。呆然と食堂にひとりぼっち。食堂の向かいを見ると、呼び鈴があった。それを押すと、パジャマ姿のおじさんが出てきて、
「スマン、今準備するから。このシーズンはいつもなら泊り客なんて来ないんだ」
ああ、すみませんね、招かれざる客で。
朝食ができたら、おじさんが部屋まで呼びに来てくれた。あの、写真で見たアイリッシュ・ブレックファスト・・・とわくわくしながら食堂へ。煙とちょっとこげた臭いが充満していた。段ボールは隅に追いやられ、音楽などかけている。はい、確かに写真と同じ配置でしたよ。でも、なんなんだ、黒焦げのソーセージはいったい?まあ、こんなもんか・・・
それでも、次の日は他にも泊り客がいたようで、段ボールはすっかり片付けられ、テーブルには花など飾ってあった。

●コーク観光●

朝起きると、雪が降っていた。霧もかかっていたが、とりあえず観光に出かける。刑務所博物館への道中は坂を上るが、そこから見下ろす景色はとてもきれいだった。町並みは、どこへ行っても教会だらけ。中心部はショッピング店が立ち並んでいた。

*コーク市刑務所博物館*
1824~1923年刑務所として使用されていた。一流の建築家による建築物としても最高のものらしい。実際の牢獄、当時の囚人や看守たちの様子が蝋人形で再現されていた。貧困による盗みや売春の罪で服役している人が多かったそうだ。また、独立運動をしていた人たちは、特に扱いがひどかったらしい。小さな牢獄に、すし詰め状態で、彼らによって書かれた文字や爪あとが残されていて、生々しかった。

*シャドン教会*
外観のみ見学。霧で見えなかったが、鐘楼の先端に鮭の形をした風向き計がついていて、かわいい教会。

*コーク大学*
1849年、イギリスのビクトリア女王によって創設された。学生ではなくても、地元の人たちが気軽に散歩をしていた。構内に川が流れ、緑が多くて勉強するには最高の環境だと思った。
海外って、大学の構内が観光地になっていることが多い気がする。それだけ歴史や伝統があるからなんだろうな。

*フィッツ・ジェラルド公園*
何気に歩いていてたどり着いた公園。何があるわけでもないけど、きれいなところ。

●再びダブリンへ~チカコの大冒険●

2日目の夜は大嵐だった。雨が降り、風が吹き荒れて外を歩く人は誰もいない。B&Bの中にいても、ものすごい風の音で次の日に帰れるか心配になってきた。翌日はバスに乗って郊外へ行き、それから夕方ダブリンに帰ろうと思っていたが、朝出発することに決めた。

コークの駅から、ニーブに早めに帰ることを伝えようと彼女の携帯に電話をするが通じない。きっと、まだ寝ているのだろうと思い、ダブリンに着いてからかけなおそうと電車に乗る。ダブリンのヒューストン駅に着いて再び何度か電話をするが、彼女は出ない。留守電にメッセージを残し、カフェで遅いランチをとり、一人で帰ることにした。
駅を出ると雨はやみ、空には虹がかかっていた。どこの国だろうか、虹は不吉なことの起きる前触れだというのを聞いたことがあった。まさか、自分に降りかかろうとは・・・。ヒューストン駅からタラ・ストリート駅までは徒歩で30分程度。地図を見ながら、ダート乗り場にたどり着く。ここから再びニーブに電話をするが、まだ出ない。

ダートに1本乗り遅れ、待つこと30分次の電車に乗る。辺りはだんだん暗くなってきていた。ブラック・ロックの駅に着き、そこから電話をしようとしたら、公衆電話は故障中。駅前の電話も故障中だった。駅からニーブのうちへはそんなに遠くない。何とかたどる着けるだろうと歩き始めた。
再び雨が降り出し、激しくなっていく。しかしなかなか着かない。彼女の家のすぐそばに教会があることを思い出し、通行人に聞くとその方向を教えてくれた。途中で公衆電話を発見。コインを入れても通じない。壊れていた。この国はいったい・・・。受話器を置くと、入れた以上のコインがジャラジャラ出てきて、思わぬ小銭儲け。仕方がないので歩いていくと、その先に教会が見える。やった!着いたと思うと、なんと違う教会。あきらめて、駅まで戻って警察に行こうと決心。
坂を下っていると、小金を稼いだ公衆電話の裏側にもう1台電話があった。これで最後とニーブに電話をかける。通じた!!!!!
「Where are you????? I thoguht I lost you!!!!!」
ニーブの安心した声が聞こえた。リトル・ロックの駅まで戻ると、彼女が待っていた。
彼女はその前の晩友だちと飲んでいて、朝方家に帰ったそうだ。携帯電話をリビングに置いたままだったので、気がつかなかったらしい。私の残した留守電を聞いて、あわててヒューストンの駅まで迎えに行ったが、捜しても私はいなかった。ニーブは、自分の責任だと一生懸命謝っていた。家に帰ると、彼女の妹、シェア・メイトたちが大変だったわね、と声をかけてくれた。熱いシャワーを浴びて、それから夜10時まで泥のように眠り続けた。危険な目に遭うことがなかっただけでよかったとしよう。

●20世紀最後の夜●

迷子事件の夜、泥のように眠っているとニーブに起こされる。そういえば、大晦日はネサの家で過ごして泊まるって行ってた気がする。時計を見ると10時、え、今から?寝ぼけながら着替えて、車に乗り込む。
ネサの家は郊外の高台にあった。かなりでかい家だ。聞くと、彼女のお父さんは建築家なのだそうだ。通された部屋にはたくさんのゲスト。親戚の人や近所の人、一度会ったことのあるネサの友だちレベッカとフランス人のご主人クリストフ。浸りの赤ちゃんのマルゴも連れて来ていて、場をにぎわしていた。
フランスと日本からのゲストを向かえて、皆さん大喜びだった。クリストフは医者なので、みなんさん医学について談義を交わしていた。次のターゲットは私。
「家のテレビは日立よ」
「私の車なんかトヨタだ」
と、競って我が家の日本製品の自慢を始め、日本人は賢いと褒め称えられた。おまけに、日本の歌を歌えと促され、ご当地ソングの「荒城の月」歌う。クリストフもフランス語の歌を歌わされていた。

*踊ることは生きること*
時計が午前0時に近くなるとラジオがつけられた。21世紀へのカウントダウンが始まるらしい。みんなでいっしょにカウントダウンをすると、花火が打ち上げられた。高台のネサの家からはよく見えた。そして、ラジオからリバー・ダンスのメロディが流れ始め、みんな一斉に立ち伝統的なダンスを踊り始めた。複雑なステップでよく踊れるなと感心。特に、年配の人ほどうまいのだ。アイリッシュ・ダンスどころか踊りの苦手な私は見ていたが、レベッカが私の手をとって踊ろうと言った。私が苦手だというと、
「体を動かしていればいいの。アイルランド人にとって踊ることは生きることなのよ」
と言っていた。自国のダンスすら踊れない時代があったアイルランド。それでも踊り続けた人たち。彼らにとってのダンスは命と同じくらい大切なんだと感じたときだった。

*ネサからの贈り物*
アイルランドで、私が自分に買いたかった物がひとつあった。それは、西海岸で作られている伝統的な指輪で、王冠、ハート、手をかたどったデザインだった。それは、「ロイヤリティ、愛、友情」を意味するものらしい。恋人がいるかいないかで、指輪をはめる向きも違うのだ。以前、ニーブとネサが町を案内してくれたときに、その指輪が買いたいと言った。ゴールウェイへ行ったら買うはずだったが、結局は行けずじまいだった。
ネサは私がそれを欲しがっていることを覚えていた。そして、私にプレゼントがあると言ってその指輪を差し出したのだ。ネサはもうひとつ持っているので、私が気に入ればもらって欲しいと言ってくれた。もちろん、うれしかったし、いただくことにした。実を言うと、ちょっとサイズが大きい。中指につけてもゆるいけど、今も大事にしている。指輪をつける方向はいつも変わっているのだけど・・・

●21世紀最初の日●

ネサの家で目覚めたのは昼の2時だった。前日の迷子騒ぎと大晦日のパーティーで、ニーブも私も疲れきっていた。遅いブランチを取り、ニーブの家に戻る。車の中で、午後から彼女の両親の家でニューイヤー・ディナーをいっしょに食べることを聞かされる。まだまだ続くのか・・・。しかし、アイルランドのお正月はとても静かだ。ニュージーランドでもお正月を経験したけど、あっさりしたものだった。

ニーブの実家に着くと、ご両親が迎えてくれた。ニーブにそっくりで小柄でしっかりしたお母さんと、ちょっとゴルバチョフ元ロシア大統領に似た朗らかなお父さん。弟さん2人に妹さん3人。弟さんの名前は覚えていないが、妹さんたちはマーレーン、グローニャ、キーナと、みんなアイリッシュ・ネームだった。
母さんが料理を作っている最中、お父さんはいろいろ話してくれた。しかし、途中で話が途絶えると、部屋の中に飾ってあるものの説明をし始めた。
ニーブ父:「チカコ、これはニーブとマーレーンが卒業したときの写真だ」
私:「イエス」
ニーブ父:「これはアイルランドのスポーツ、ハーリング選手のフィギュアだ」
私:「イエス」
ニーブ父:「そしてこれがサンタクロースだ」
私:「I know・・・」
この変なやり取りを終えると、お父さんはどこかへ奥へ引っ込んだ。かわいいお父さん、ちょっと笑えてしまった。

*ニューイヤー・ディナー*
これぞアイルランドの食事?ニーブのお母さんは料理がとても上手だ。マッシュポテトの上に熱いベーコンを切って焼いたものをのせ、その隣にはグリルされた肉。全体にグレイビーゾースがかけられていた。マッシュポテトが何で味付けされていたかわからないけど、とにかくおいしかった。そしてデザートはケーキが2種類。これもお母さんの手作りだった。桃を使ったケーキと、メレンゲを焼いて、バナナとチョコレートでデコレーションしたケーキ、とにかくおいしかった。お腹がいっぱいだったので、少ししか食べられなくて残念だったけど。
食事を終えて、しばらくニーブとお母さんと歓談する。その場を去るとき、キッチンの前を通るのだけど、お父さんが一人さびしく後片付けをしていた。そして一言。
「アイルランドでは男の仕事なんだ・・・」
やっぱりかわいい、ニーブのお父さん!

●やっぱり大好き、アイルランド●
最後の晩は、ニーブとシェアメイトのリサが日本食レストランへ連れて行ってくれた。日本食を食べるのは3週間ぶりで、日本語を話す人を見たのもアイルランドでは初だった。ウェイトレスさんだったので話はしなかったが、日本語で注文をとってくれた。
アイルランドの食事は、ニーブの実家とB&Bで食べたのみだ。後はイタリアンレストランとか、冷凍ピザとかサンドイッチとか・・・。コークで食べたマクドナルドのベジタリアン・バーガーがとてもおいしかった。

次の日は、ニーブに送られて空港へ。
「あなたならいつ来ても大歓迎よ」
と言ってくれた。
こんなに珍道中だった旅行は今までにあるかないかだ。寒波で行きたいところにはいかれなかったが、またいつか絶対訪れたい国だ。次回はもっとパブとギネスと音楽を堪能したいと思う。


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