ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

アメリカ一人旅・その2



9月8日、アメリカ旅行9日目。シカゴを去る朝、雨がしとしと降っていた。あんなに暑かったのに肌寒い。ダニエルに空港まで送ってもらってお別れ。短い間だけど久しぶりに会えて嬉しかった。またすぐに会いたいなぁ。

9:55発の飛行機に乗り、午後11時半頃にアリゾナ州の州都、フェニックスに到着。アリゾナ州はサマータイムを導入していないので、シカゴとの時差は2時間だ。空港からダウンタウンまではそう遠くないので、料金も安いだろうとタクシーに乗ってみることにする。ドライバーは英語が下手だ。メキシコ人らしい。乗車して行き先を書いた紙を見せると、
「近いじゃないか!何でバスに乗らないんだ、こんなに近いのに」
と文句をたれ始めた。料金が安いとその分チップも少なくなるからだろう。こっちだってあんな大荷物を持ってなきゃバスに乗ったっつーの!それでもホステルの場所を一生懸命探してくれたり、重い荷物を持ってくれたりしたので、チップをはずんだわよ。

さて、この日の宿はフェニックス・メトカーフ・ホステル(Phoenix Metcalf Hostel)。日本からはEメールで予約をしておいた。古いこじんまりとした建物だけど、清潔にしてあるし、居間やキッチンが素敵だ。そしてスタッフ夫婦の親切なこと。暑いから使いなさいと、帽子まで貸してくれた。ただ、インターネットがないのがちょっと不便だった。

インターネット・カフェを探しにダウンタウンへ行こうとすると、ルームメイトのスイス人のジョアンナがダウンタウンにはないと教えてくれた。その代わり、ホステルから30分くらいのところに無料で使えるカフェがあるという。彼女の友だちのネイティブ・アメリカンの男性が地図を描いてくれた。親切な2人に感謝。ジョアンナはネイティブ・アメリカンについて研究、本を書いていてアメリカ、カナダに長期滞在をしているのだそうだ。フェニックスもう長いようだ。

無事にカフェに着いたものの、フェニックスの暑いことといったら…。楽に40度を越える暑さだったと思う。おまけに湿気がないもんだから、汗が出ない。ペットボトル2本の水も歩いている間に飲み干してしまった。このままだと熱中症になると思い、水を買いに行こうとするとホステルの奥さんが教えてくれた。ホステルのすぐ近くに水の自動販売機があるのだそうだ。ただし、容器持参で行かなければならないという。1ガロン(約3.8リットル)が25セントという安さだ。
それがこれ。
水販売機

ただ、私は1ガロンが何リットルなのか知らなかったので、ペットボトル2本では水が多すぎた。砂漠の中にあるアメリカ大6の都市フェニックスでは、水道水は飲めないのだ。

夕方洗濯をするが、ジョアンナに乾燥機は使わなくてもすぐ乾くと聞いた。そりゃそうだろうよ。洗濯物を干している時の夕陽の美しさといったら。
アリゾナの夕陽

その晩はシカゴのスーパーで買った缶詰のラビオリを食べ、翌日会う友だちのマンディに電話をして早々と眠ったのだった。

フェニックス・メトカーフ・ホステル Phoenix Metcalf Hostel
phxhostel.com

●旅行中の健康管理●

9月9日、アメリカ旅行10日目。朝方、雷がゴロゴロ鳴る音で目が覚めた。朝からいい天気なのになぁ…なんて思っていると、突然雨が降り始めた。うん、朝から夕立かしらなんて思っていると、前の夕方洗濯物を干していたことを思い出す。慌ててスリッパを履いて外に飛び出し、洗濯物を取り入れる。雨なんてめったに降らないって聞いていたのに、これはある意味ラッキー?洗濯物は一晩干していただけなのに、カラリと乾いていた。アリゾナ名物の稲光は見ることはなかった。

さて、アリゾナに着いてから身体的な問題が勃発してしまった。まず、シカゴで風邪を引いたが、これを帰国直前まで引きずることになる。空気がえらく乾燥して、喉もすぐに乾くので咳が出始めたら止まらなくなるのだ。カリフォルニアに行くといくらか収まったが、アリゾナ滞在中の1週間はずっと咳をしていた。その上にこの時期は花粉の飛んでいるシーズンだそうで、咳の上にくしゃみも連発だった。

続いてお肌のトラブル。自分で言うものなんだけど、私の肌はとてもきれいだ。朝晩、洗顔の後に化粧水をつけるだけ、しかも朝の洗顔はクリームなんかを使わずに冷たい水で洗うだけのシンプルなもの。日に焼けて肌は小麦色だけど、化粧をしなくても外を出歩ける。

しかし、この乾燥したアリゾナの空気は容赦なかった。まず、手足の肌が荒れた。日本で冬に乾燥してもこんなにひどくはならないってくらい、粉を吹いたように真っ白になっているのだ。これはまずいと顔、肌用のモイスチャーローションをゲットし、シャワーの後には顔と手足、起きた時に手足につけるようにして何とか解消された。

そして最大のトラブルは…。私の大敵の虫である。私は蚊には強い。刺されてもかゆみ止めをつけて放っておけばすぐに治るのだ。しかし、ダニやその他の寄生虫にはとても弱いのだ。1999年にはニュージーランドの北部でダニにやられてひどいことになった。そして2002年にも再びニュージーランドのロトルアでダニか何かにやられ、帰国後は病院送り。他の人はどうにもならないのに、たぶんその類の虫に対するアレルギーでもあるのだろう。

今回もやられた。夜中にかゆくて、腕をぼりぼり掻いていた。朝起きてみると、右の二の腕に3箇所、左の二の腕に2箇所、左のあごに1箇所虫に刺されたあとがあり、それが腫れてものすごいことになってしまったのだ。翌日は左の二の腕がパンパンに腫れてしまったくらいで、本気で病院へ行こうと考えたくらいだ。日本から持ってきたかゆみ止めを塗り、腫れたところにサロンパスを貼って腫れは収まったけど、しばらくかゆかった。一体何に対するアレルギーがあるのか、一度病院で検査を受けてみようと思う。次回から海外へ行く時の参考にもなるだろう。

大きなトラブルはなかったものの、健康面でいくつかの問題があった。長期旅行するときは、その対策も考えなきゃだなって真剣に考えてしまったのだった。もう若くもないしね。

●フェニックス美術館●

フェニックスは朝から暑い。旅行中は早起きはしても朝はゆっくり過ごして10時ごろから出かけていた。しかし、そんな時間に出かければ熱くてきっと歩けなくなるだろうと思い、9時ごろホステルを出る。25セントの水をゲットして、フェニックス美術館(Phoenix Art Museum)へ行くことにした。

フェニックス美術館は主にアリゾナエリアを題材にしたアートが多い。アメリカ先住民、開拓、グランドキャニオンをテーマにした絵が並んでいた。また、スペイン植民地時代のアートや装飾品、ルネッサンス期のイタリア美術も充実している。アジアの美術、工芸品のコーナーもあり、中国のものがメインだったけど、日本の浮世絵、日本刀、かぶとなどが展示されていた。

ちょうどこの期間はモダン・アートの展覧会が行われていた。その展示数も多く、中にはダリ、フリーダ・カーロ、ミロ、マチスの作品なんかも展示されていた。お客のほとんどはこの展覧会を見に来ていたようだ。モダン・アートでもキャンパスを真っ白に塗ったり、真っ黒に塗ったり、直線だけっていうのは理解不能。どこが芸術なんだか、勉強不足の私にはさ~っぱりわからない。

ところで、この美術館に入ったとき、受付のお姉さんの一人がにっこりとほほえんで
「あなたは今日一番目の来館者よ」
と言った。開館時間は10時、私が着いたのは10時5分くらい、まあ平日だったらそんなもんだろう。
入館料をクレジットカードで払ったのだけど、このお姉さん、カードの私のサインを見て
「わぁ~、なんてキュートなの?何語なの?」
と大興奮。日本語だって答えると、
「本当にキュート、ねえ、見て見て!」
と、隣のお姉さんにも、近くにいた係員にも見せまくっているのだ。そして私がレシートにサインすると再び、
「キュートだわ~。これ、アジアのコーナーに展示したいくらいだわ」
いえ、何の価値もありませんから。

そういえば、フェニックスに来てアジア系の人を見ていない。黒人も少ないのだ。見かけるのはメキシコ人やヒスパニックが多い。ダウンタウンから少し離れたところだったし、外国人も少ないのだろう。

フェニックス美術館のちょっと先には、全米でも5本指に入るアメリカ先住民のアートや歴史を展示するハード美術館(The Heard Museum)がある。そんなに遠くないはずなので歩いて探したけれども、思ったより距離がある。フェニックス美術館を出たのは12時半を回っており、外はもう灼熱地獄だ。この気候に慣れていないのに、こんな中を歩き回ると死ぬ…と思い、やむなく引き返す。また次回訪れた時ってことで…。もし今度フェニックスに行く時は冬がいい。

フェニックス美術館(Phoenix Art Museum)
www.phxart.org

●待たされて●

さて、早々とホステルに帰ったところですることはない。その晩は宿泊はしないけれども夕方まで部屋を使わせてもらおうと宿泊料を払っているので、昼寝をすることにした。目覚めると、黒人のメチャメチャ背の高い、超ナイスボディの美人なお姉さんが入室してくる。ビヨンセかと思った(←嘘。言い過ぎ…)。彼女の名前はディー(Dee)。ニューヨークからやって来た。すごく明るくて、お話好き。フェニックスの某有名ホテルで働くためにやってきたのだ。そこには大リーガーも泊るんだと大興奮していた。

さて、前の旅行記で、フェニックスでは黒人が少ないし、アジア系を一人も見ていないことを書いた。ディーも同じことを言っていた。
「何でこの町にはブラックがいないの~?」
って。だから、アジア人の私が部屋にいた時はすごく嬉しかったのだそうだ。私がもうその日の夕方に去ることを告げたら、ものすごく残念がっていた。

この日の夕方は、友だちのマンディとその友人のジェニーが私をピックアップして、フラッグスタッフに泊ることになっていた。翌日、グランドキャニオンへ行くためだ。約束の時間は6時、荷物をまとめて、ホステルのスタッフ、ディー、ジョアンナ、ネイティブアメリカンの男性にお別れを言い、ホステルの前でマンディたちを待つ。しかし、ホステルの主人がマンディが遅れると電話をかけてきたと言うので、ホステルのリビングで待つことになる。

しかし、待てども待てども来ない。買い物から帰ってきたディーが、
「かわいそうなハニー。あなたって我慢強いのね。私だったらもうブチギレてるわ」
と慰めてくれる。我慢強いのが私のとりえと言えばとりえなのだけど。

8時を過ぎて、やっとマンディ登場。トゥーソンはその日大雨で(珍しいらしい)、しかも渋滞にかかって来るのが遅れたと謝った。マンディの妹、マユも来ていた。マユは日本へ来たことがあるので、その時に会っているから再会だ。そして、マンディの友だちのジェニー…と思いきや、ジェームズ、男性だった。電話で聞き間違えたおバカな私。日本にいた頃、顔がまん丸で、ぽっちゃりしていたマンディはものすごく痩せていた。

フラッグスタッフへ向かうのかと思いきや、テンピまで行って夕食、しかもフラッグスタッフではなく、セドナに泊まるというのだ。テンピからセドナに向かうまでのほんの数時間、まあいろんなことがあるのだった…。はぁ。もう、おばちゃん疲れたって感じ。

ホステルにいたにゃんこ、ルーシー(12歳)
ルーシー

●わがままマンディ●

マンディたちが私をピックアップしたあと、フェニックスからテンピに向かった。テンピはフェニックス大学があり、学生の町だ。私の空手仲間の一人も語学留学でテンピに10ヶ月住んだと言う。そして、私の彼も時々出張で行く町なので、見られてよかったって思った。金曜の夜だったので通りはにぎやか、歩く人のほとんどは20代の若者ばかりだった。おしゃれな店やレストランがたくさん並んでいた。

女の子は買い物好き。マンディとマユはかわいい洋服の店を見つけ入っていく。お~い、わたしゃ腹ペこなんだよ~。そこでマンディのもう一人の友人にも会うが、彼はすぐに帰った。この日米ハーフの美人姉妹(父、日本人、母、アメリカ人)と1週間過ごして思ったが、彼女たちには男友達しかいないのだ。まあ、それはいいとして、2件目で私はバーゲンのTシャツを買ってしまった。かわいくてつい…。ジェームスはなぜかスケボーを買っていた。それも、日本のロリータアニメのイラスト入り。

夕食はギリシャ料理だった。初めて食べた。店の名前はMy Big Fat Greek Restaurant…。どこかで聞いたことのあるような。映画のタイトルをもじってつけたのだろう。ラム肉と野菜をピタで包んだものとカッテージチーズのたくさんかかったサラダのセットを食べた。おいしいんだけどやっぱり量がやたらと多いし、肉が塩辛い。それに、サラダのドレッシングも味が濃すぎた。

夕食後も少し町を歩く。さて、セドナに出発って思ったら、マンディはその前にアイスクリームを食べたいと言い始めた。ジェームスがアイスクリームならどこでも売っていると言うと、さっき専門店で見たクッキーサンドジャなきゃ嫌だとマンディ。時間はもう10時を回っていた。ジェームスは、セドナまで3時間かかるし、ガソリンも入れたいし、出発しなければとマンディに訴える。

機嫌が急に悪くなったマンディ、怒って車に乗り込む。ジェームスはおろおろ。マンディには日本で知り合った、同じくアリゾナ出身のアダムという彼氏がいる。しかし、このジェームスはマンディにベタ惚れなのだ。ジェームスは彼女が欲しいんならアイスクリームショップへ行こうと言うが、マンディのご機嫌は斜め一直線。ガソリンスタンドの場所をジェームスが聞きに車を離れたとき、
「彼ってイライラする」
とまで言っていた。

こんなマンディ、日本じゃ見たことない。日本に住んでいた頃のマンディは大人しくて、誰にでも優しくて、周りに合わせるとても素直ないい子だった。見かけは日本人にも見える彼女、中味はしっかりアメリカ人だ。マユは外見はほとんど白人、そんな彼女のほうが気をよく遣う子で、ジェームスが運転中はずっと話につきあっていたのだ。マンディのわがまま炸裂は、まだまだ出てくる。でも、私に対しては日本にいた頃と同じ、優しいマンディだった。

こうしてセドナに着いたのは夜中の1時過ぎ。とても長くて疲れてしまった1日だった。

●グランドキャニオンへの道●

9月10日、アメリカ旅行11日目。虫さされのかゆさ倍増!かゆくて目が覚める。3人ともまだ眠っていたのでベッドでゴロゴロと過ごす。ホテルにチェックインしたのは夜中の1時を過ぎており、もうフロントは閉まっていた。電話をかけてみると、部屋の鍵は入り口の前の植木鉢の下にあると言うので驚きだ。ここはアメリカのはず…。満天の星を見ながらのドライブもよかったけど、セドナの昼間の風景の美しいこと!むきだしになった岩肌が赤いのだ。もう、西部劇の風景。

フリーの朝食をとり、グランドキャニオンを目指す。運転手はジェームス、助手席にはマユ、後部座席にはマンディと私が座った。最初はカーブの多い山道を走るが、景色が本当にきれい。高い絶壁、谷間には小川が流れている。この山道を通り過ぎると大平原が広がっているのだ。もう、映画の世界、映画よ!

平原の中のを走ると、時々ポツン、ポツンと家が建っていて、まるで「大草原の小さな家」のようだ。草原には紫色したきれいな花が咲き誇っている。ジェームスが写真を撮りたいだろうって停まってくれた。紫の草原を過ぎると、今度は黄色い花が一面に咲き誇り、その景色がしばらく続くのだ。もう、見とれてしまった。人間、死んだあとにはこんな場所に行けたらいいなって思ったくらいだ。
大平原

黄色の絨毯を通り過ぎると、今度は草原が一面に真っ白なのだ。草の色がそんな色なのか、季節の変わり目で色が変わってしまったのかわからないけど、とにかく美しい。こんな美しい景色を見ながら、ジェームスは便意をもよおしたようで(もちろん小)、用のたせそうな場所を探す。私も下りて景色の写真を撮っていると、マンディとマユが
「彼がおしっこしている写真を撮って!」
などと車の中から言う。絶対嫌だ、撮っていませんから。

そしていよいよグランドキャニオン国立公園の入り口へ。ファミリーカーは20ドルの入場料が必要だ。マンディが2年前に祖父母と来た時は入場料が要らなかったというので、ジェームスは係員に他の道はないかと聞くけど、係員はそんな道はない、グランドキャニオンに車で入るには金が要ると答えた。

このジェームスはケチというか、お金に小さく、ゲートを通り抜けた後ずっとグズグズ文句をたれていた。その挙句には政府に対する不満になり、
「チカコ、僕はね、この国の大統領の頭を銃で撃ってやりたい」
とわからんちんなことまで言っていた。私が
「どうぞ」
って日本語で言うと、マンディとマユは大笑い。そしてジェームスは
「みんな、あとで5ドルずつちょうだいね」
わかっとるわ。

そしてようやく私たちははグランドキャニオンへ着いたのだった。

●言葉はいらない●

グランドキャニオン国立公園のゲートをくぐって、運転すれどもまだ姿は見えない。どこじゃって思っていると、マンディが
「チカコ、右側を見てみて」
と言った。その目の前には、でっかい赤い谷間、グランドキャニオンが!
「おぅ~!!!!」
と奇声に近い声を上げてしまった私。車から見てもすごいのだ、これが。

車を降り、展望台へ。言葉にならない景色だ。「すげ~」としか出てこない。下の写真なんて、グランドキャニオンの全てじゃないのだ。いや、もう、本当、ここに書く言葉が思い浮かばないくらいだ。
グランドキャニオン

赤い谷の下には川が流れ、ちらほら緑も見える。その辺りはキャンプもできるんだそうだ。どうやって行くのか聞いたら、もちろんハイキング。しかも6時間かかるとジェームスが言った。そんな元気ないわ。平日なのに観光客もたくさん。日本人のツアー客もいた。それはそうだろう。リスがその辺をちょろちょろと歩き回り、多少近づいても逃げもしない。慣れているんだな。私たちはしばらく岩に座って景色を楽しんだ。
2005-10-13 16:13:02左からマンディ、ジェームス、マユ

車を停めた場所からツーリストセンターまでの道のりは遠い。人に聞くと歩いて40分くらいかかるのだそうだ。車で移動することに。駐車場に着くと、ジェームスはトランクからスケボーを取り出し、人の行き交う中をスケボーで走り始めた。いいのだろうか?グランドキャニオンでスケボーなんてする人、いないだろう。ちょっぴり勘弁して欲しかった。

アイスクリームなんかを食べながら、また谷を眺める。鳥が気持ちよさそうに谷の真上をすいすいと飛んでいた。こんなきれいなところに連れてきてくれた3人には感謝だ。でも、ジェームスの運転は乱暴で、かなり怖かった。マンディも何度も注意をしていた。私はどんなにいい人でも、運転の乱暴な人は苦手なのだ。ははは…。美しい景色を堪能し満足したあとは、ジェームスの恐ろしい運転でセドナに帰ったのだった。

●美しいセドナ●

グランドキャニオンからセドナに戻った。もうすぐ日没の時間で、セドナはとてもきれいだった。翌日はオーク・クリーク(Oak Creek)に泳ぎに行くことにしていたようだけど、入場料が5ドルかかるらしい。たった5ドルを払いたくないドケチ男、ジェームスは、崖を下って降りようとある場所へ下見に行った。高いところが苦手な人なら、ひょえ~だ。女性3人にロック・クライミングをさせたいのか、この男は?まあ、人が上り下りしている形跡があったので、大丈夫なのだろう。

それはともかく、その場所の景色の美しいことと言ったら。夕陽が照り返していて、まるで絵葉書のような美しさだった。セドナにはこういった奇妙な形をした赤い岩場がたくさんあるのだ。
セドナ

ホテルに帰って、3人はプールで泳ぐことに。私は水着を持っていっていなかったし、虫刺されがひどかったのでどっちみち泳げない。ジェームスは
「きみは旅行するのに、普通水着を持っていかないのか?」
だって。大きなお世話だ。お前に言われたくないと、むっとしてしまった。3人が泳いでいる間、私はのんびり。

さて、私たちが泊まったホテルはSedona Real INN & SUITESというリゾートホテルだ。しかも、300ドルを超える一番高い部屋にタダで泊ったのだ。それも2晩も。私にはよくわからないけど、ジェームスがタイム・シェアっていう特典を利用していたらしい。なんだ、それは?日本にもあるのだろうか、そんな特典が。そんな美しくて立派な部屋を、やつらアメリカ人3人は汚すは、散らかすは、汚いのなんの。使ったタオルはそこらじゅうに放り投げているし、ベッドのシーツもメチャメチャ。翌日、部屋の掃除に来た人は嫌だっただろうなぁ。

3人が帰ってきてシャワーを浴びたあと、私たちは食事へ出かけた。リゾート地の上に土曜の夜なのに、もう閉まっていた店のほうが多かった。ジェームスがハンバーガーを食べたいってことで、Red Planet Dinerというレストランに行く。店内の明かりはなぜか赤い。レストランを宇宙人の星に見立てており、そこらじゅうにエイリアンの人形やそんなのが置かれていた。ドラマ「ロズウェル」で主人公のリズが働いていたような感じのレストランだ。肉や脂は食べたくなかったので、ベジタリアン・バーガーを注文。それでもやっぱり量は多いのだ。

ホテルへいったん帰り、3人はバーへ出かけようと言った。しかし、私は疲れていたし、虫にやられた左の二の腕が腫れあがってしまっていた。マンディがトゥーソンへ戻ったら病院へ行こうって言ったくらいひどかった。その晩は早々に寝たのだった。マンディが部屋に戻ると、私はものすごい寝相だったらしい。ごめんね~!

セドナ観光案内所
Sedona-Oak Creek Canyon Chamber of Commerce Administrative Office
www.visitsedona.com

Sedona Real INN & SUITES(ホテル)
www.sedonareal.com

●欧米人は日焼けがお好き?●

9月11日、アメリカ旅行12日目。ホテルをチェックアウトした後、オーク・クリーク(Oak Creek)へ泳ぎに行く。前の日に下見をした、まるで登山道のような岩場を下って川へとたどり着く。最初はマジかいな?なんて思ってちょっぴりびびったけれども、よく考えりゃ私は山育ちで山登りも好きだ。スイスイと崖、岩場を降りていく。

川へ降りてみれば、その岩場を通って泳ぎに来た人がわんさかいるし、そのあとも小さな子どもから犬まで続々とやってくる。マンディ、マユ、ジェームスは早速川に漬かろうとするが、水は冷たい。赤い岩の上でしばらく日光浴を楽しむ。

マンディとマユは半分日本人なので、肌が小麦色。でも、ジェームスの色の真っ白なこと。私はもうすでに日に焼けて真っ黒だったけど、それでも一応日焼け止めは塗るし、これ以上顔が焼けないように気をつけていた。でも、川の周りにいる人たちはみんな寝そべって焼いているのだ。女性はみんなビキニだ。日本人の女性はなるべく日焼けはすまいと、夏でも長袖を着たり、運転中には長い手袋なんかをしているのに、白人女性は焼き放題だ。そういえば、このあとサンフランシスコで会ったイギリス人の女の子が、小麦色の肌に憧れると言っていたなぁ。日本人と正反対だ。

ところで、私はこの場で徹底的にジェームスが苦手になってしまった。まず、彼はフレンドリーで誰にでも話し掛ける。異常なくらい話し掛ける。欧米人って、初対面の人ともよく話すしすぐに打ち解ける。日本人の私にはちょっと苦手なところだ。このときも彼は通りすがる人たちと話をしていたけど、だいたい最初の会話は
「Where are you from?」
で始まる。これを聞かれたとき、ジェームスは
「僕らはトゥーソンからやってきた。仕事は不動産で、彼女(マンディ)は教師で彼女(マユ)は大学院生で…」
どうでもいいけど、全ての会話で私を除外している。別にコイツに知ったかぶって私を語って欲しくもない。見かねたマユが
「彼女は日本から来たのよ」
と言うものの、ジェームスは気がつかない。自分中心に地球の回っている人なのだ。

そして本当にコイツ嫌だって思ったのが、きれいな川の中にたんをペッって吐き出した時。たくさんの人が川下で泳いでいるんだぞ?気がつけば、コイツは道端にもたんをペッペ、ペッペ吐いている。私は運転が乱暴な人と。たんを吐きまわる人があまり好きじゃないのだ。おまけに、マンディに気があるものだから、異常にベタベタしていてキモイ。ビキニのブラのひもをわざと解いたり、それをニヤニヤしながら結んでいて、もう鳥肌ゾ~ってきた。帰りに岩場を登っているとき、蹴ってやろうかって思ったくらいだ。

まあ、そんなこんなで2時ごろセドナを去り、3人の住む町トゥーソンへ向かった。車の中ではマンディによるサボテンの講義が行われたのだった。

オーク・クリーク
小川

●サボテンの町●

セドナを離れ4時間後、私たちはアリゾナ州第2の都市、トゥーソン(Tucson)に着いた。ジェームスにお礼とお別れを言い(まさか翌日も会うことになるとは…)、マユをうちにいったん送り、マンディとお父さんの住む家に向かった。

セドナからフェニックスに近づくにつれて、いたるところでサボテンが生えている。それも半端な大きさではなく、とてもでかいのだ。西部劇なんかで出てくるような形のが、そこらじゅうに生えまくっている。トゥーソンに着くと町をぐるりと囲んでいくつか山があるのだけれど、その山に近づくと気色悪いほどサボテンが生えまくっているのだ。背の高いサボテンの名前はSaguaroというのだそうだ。私にはその発音が「サワラ」と聞こえた。

マンディのうちでシャワーを浴びて一休み、8時15分に近所の寿司屋でマユと2人のお父さんと待ち合わせる。お父さんの名前はトヨカズさん。みんなトヨと呼んでいるそうだ。新潟県の苗場生まれで、2歳の時にアメリカ人の家庭に養子として引き取られた。だから、日本語は挨拶程度しかできない。実のご両親とも連絡を取り続け、日本へも何度も来たことがあるそうだ。奥さん(マンディとマユのお母さん)とは離婚したけれども、奥さんの家族とは今でも仲良くしているようだ。

このお寿司屋さんでたくさんご馳走になった。にぎっている人はみんな日本人のよう。久しぶりに日本語を話すことができ、おいしいお寿司もたくさんいただいて幸せな夜だった。アメリカの寿司はスタンダードなにぎりもあるけど、巻き寿司系はファンシーでカラフル。日本の寿司とはかけ離れているけど、作っているのは日本人なのでとてもおいしかった。

この夜の宿泊先はマンディの祖父母宅。おばあちゃんのジューンは、去年の夏にマユと日本に遊びに来たので面識がある。おしゃれで話好きの元気なおばあちゃんだ。日本へ来たときは2人を阿蘇山や他のところに観光案内をした。トゥーソンで再会した時、ジューンはとても喜んでくれて抱きしめてくれた。

おじいちゃんのバドゥとは初対面。大きくて優しそう。翌日、とてもおもしろいおじいちゃんだということを知る。この日はアメリカの祖父母の日。日本でいう敬老の日だろうか、でも祝日ではない。マユがおじいちゃんの大好物のピーナツバターの入ったアイスクリームのクッキーサンドを持ってくる。それを5人で食べた。シカゴで痩せたのに、アリゾナで一気に太ってしまいそうだ、いや、実際太った。

咳をする私にのどあめをくれたり、虫さされによく効く薬を出してくれたり(これがよく効いた)、至れり尽せりの夜だった。

ところでトゥーソンを紹介しているガイドブックは日本にはない(と思う)。素敵な町なのでぜひ訪れて欲しい。
Metropolitan Tucson Convention & Visitor Bueau
www.visittucson.org

●ジューンとバド●

9月12日、アメリカ旅行13日目。マンディの祖父母、ジューンとバド宅に泊ったが、夜中にクーラーが切れてしまい、暑くて2,3時間に目が覚めてしまった。咳も少しひどくなっている。7時半に起きて2人と朝食を食べる。

朝食後はジューンが家の周りを案内してくれた。裏庭にはプールがあり、いろいろな果実の木が植えられていた。オレンジ、レモン、グレープフルーツ、タンジェリン、ざくろなどなど、どの果実も青い実をつけていた。大きなサボテンも2本立っている。とても広い敷地だ。

その後、ジューンは夕食用のラザニアソースを作り、私はバドと一緒にテレビを見て過ごす。見た番組は「Cold Case Files」という残酷な殺人事件の手口、捜査を再現した番組だ。2年前にカナダでこの番組を見たことがあった。私はこの手の番組が大好きなので、夢中で見てしまった。

テレビを見ている間も咳が止まらない。見かねたジューンがハチミツをスプーン1杯くれようとしたけど、バドがそんなもんで効くかと言う。バドはイソジンのような薬を取り出してきて、それを水で薄めてうがいをしろと言った。それを口に含み、喉まで持っていくと焼けるように熱い。うがいをして吐き出すと、消毒した後のような泡も一緒に出てきた。殺菌効果があるのだな。おかげで、昼食を食べるまでに1回しか咳をしていない。バドはそんな私を見てジューンに誇らしげに言った。
「ほら、効果あっただろ?彼女は1回しか咳をしていない」
ジューンは「はい、はい」と相槌を打つ。

昼食の前には、マンディの従姉のバレリーが娘の2歳のナタリーを連れて泳ぎにきた。最初は人見知りのナタリーも慣れてくると、ポップコーンをつかんで私に持ってきてくれた。この子がもうかわいいのなんの!何で写真を撮らなかったのだろう。5人でお昼ご飯を一緒に食べる。ジューンの作ったホッとチーズサンドイッチだけど、とてもおいしいのだ。ただジューンは、私がお腹いっぱいになったと言っても、そんなはずはないともっと食べさせようとする。バレリーがそれを止めてくれたのでホッとした。

午後はジューンと出かけたが、帰ってきたらまた咳が出始めた。するとジューンがスプーン1杯のハチミツを持ってきて、それをゆっくり喉に流し込むように言った。うん、これも効果があったようだ。
「これが私の治療法よ」
とジューンが言うと、
「そんなの一時的だ」
とバド。困った私はどちらの治療法もよく効いたと言うしかなかった。

この夫婦はずっとこんな調子でおもしろい。ジューンはマシンガンのようにしゃべり、バドが辛口の突込みを入れるのだ。例えば、ジューンが2人が結婚したきっかけを話してくれたとき。2人は幼馴染だったけど、ハイスクールは別で3年間あっていない、その後に再会して結婚したと言った。その会ってない期間、ジューンは監獄にいたんだとバド。

それから、私の咳の原因は花粉アレルギーもあるんじゃないかとジューンが言った。彼女もそんなアレルギーがあるのだそうだ。
「私はずっと住んでいるから、もう体が慣れているのよ」
とジューンが言うと、
「100年以上な」
とバド。いつも冗談を言い合って楽しいカップルだ。ちなみに2人は77歳!

2人と過ごした時間は1日だけだったけど(ジューンにはまた会ったが)、とても楽しかった。いつかまた遊びに行きたいし、日本にも来てほしい。

●トゥーソンを愛した画家●

ジューンとバドのリビングの壁にかかってあった1枚の絵が気になった。小さな風景画に、馬に乗った人の姿がぽつんと見える。この絵を描いたのはEttore 'Ted' DeGrazia(1909-1982)というイタリア人画家だ。ネイティブ・アメリカンのスピリチュアルな世界に魅せられ、トゥーソンに定住し、ネイティブ・アメリカンの女性、マリオンと結婚し、肺がんで亡くなるまで美しい自然の中で創作活動を続けたそうだ。イタリア語と英語のほかに、スペイン語、その先住民の言葉も流暢に話したと言う。

ジューンはこのDeGraziaが大好きで、最初から私をこのギャラリーに連れて行こうと思っていたと言う。もちろん、私は喜んで行った。

DeGraziaのギャラリーの隣には彼の作った小さな教会がある。小さいけど、とても素敵な教会だ。
2005-10-15 12:43:13

雨の少ないトゥーソン、天井はなく、内部はDeGrazia自身に描かれた壁画と、小さな祭壇がある。ジューンの娘の一人はここで結婚式を挙げたのだそうだ。
2005-10-15 12:43:302005-10-15 12:43:48

続いて隣にあるギャラリーへ。ネイティブ・アメリカンの生活や信仰、トゥーソンの自然のほかにも、その昔、トゥーソンのネィティブ・アメリカンにキリスト教を伝道したイタリア人神父キノ(Father Kino)をモチーフに描かれた宗教画も多くある。このキノ神父はトゥーソンのシンボル的な存在で、通りの名前にもなっているし、その通りには彼の銅像が建っている。DeGraziaはキノ神父の教えに共感、尊敬していたのだそうだ。

DeGraziaの画風は独特だ。人物の描き方は少しイラストレーションっぽい。目と口のみ描き、鼻を描いた絵が少ない。子どもの絵なんかはとてもかわいいのだ。また、筆を使わずにペインティングナイフをふんだんに使って描いている。ジューンがギャラリーの売店で、12星座を描いたポストカード集を買ってくれた。とても美しい絵ばかりだ。

ここに来なかったらDeGraziaという画家のことは一生知らなかったと思う。連れて行ってくれて感謝だ。

ここを去ったと、丘の上のほうにドライブ。そこからはトゥーソンの美しい景色とともに、たくさんの自生のサボテンを見ることができるのだ。高台にあるので高級住宅地が並ぶ。そこには『車を停めるな、ここで一休みするな』云々と書かれた看板が並んでいる。ジューンが
「お金持ちの人ってわがままだわ!」
とブリブリ怒っていた。

そう、こんな景色がトゥーソンの至るところで見られるのだ。
2005-10-15 12:44:09

ショッピングセンターを少し歩いて帰宅。夜はマンディ、バレリー一家も来てジューンお手製のラザニアだ。

The DeGrazia Foundation & The Gallery in The Sun
www.degrazia.org
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●独壇・ジェームス劇場●

その夜はジューン手作りのラザニアとサラダでのホームディナーだった。朝から張り切ってラザニアソースを作っていたので、おいしいこと間違いない。マユはベビーシッターのバイトで来られなかったけれど、マンディ、昼間に来たバレリーと夫のトミー、ナタリーが来ることになっていた。マンディから電話があり、なんとジェームスを連れてくるとのこと。それを聞いて、ちょっぴり頭痛がし始めた私。

さて、まず最初にバレリー一家がやって来た。旦那様のトミーは大人しそうでとてもいい人だ。続いてマンディがやって来て、その後にジェームス。私の存在には気がついていない。かなりむかつく。ジェームスは大好きなマンディの祖父母なのでナイスにふるまうのかと思いきや、私は目が点になってしまった。何か飲み物はとジューンが尋ねると、勝手に冷蔵庫を開け、ビールを取り出し、このビールは嫌いだと言い放つ。親しい友だちならともかく、友達の祖父母の家でいい大人がやることか?

食事の用意ができるまで、裏庭のテラスでくつろぐ。そして夕食。ジューンがラザニアをつぎ分け、それぞれサラダとパンを取り、ワインで乾杯。朝から煮込んだラザニアはとてもおいしかった。アメリカで食べた食事の中でも1,2を争うくらい。やっぱり家庭料理はいいもんだ。お腹いっぱいになった私にまだまだ食べさせようとするジューン、でもここでもバレリーが止めてくれた。

食事はおいしかったものの、私は無口だった。疲れていたから?いや、そうじゃない。ついでにマンディも、バレリーも、トミーも無口だった。しゃべっていたのは8割がたジェームスなのだ。トミーの仕事の話になるとそれに乗ってきて自分の話にすりかわり、バレリーが南米で働いていた話になると自分のスペイン語の能力の話に持っていき、話題が私のことになると知ったかぶって私のことを話す(お前に語られたくない!)。ナタリーがごね始めてみなの関心が彼女にいけば、ナタリーをあやし始める。ずっとこの状態だ。マンディ祖父母、彼以外はほとんど誰も口を開いていない。

ジューンとバドの家は築50年経っていて、ドアが開きにくくなったり、排水が悪くなったりしている。その話になると、自分には修理屋をやっている友だちがあるから連絡しろと名刺をバドに渡した。この一家のホームディナーは、ジェームス劇場と化してしまったのだ。私のウェルカム・ディナーのはずだったのに、ジェームスがぶち壊し。もう、私の頭痛は止まらないし。ダイニングにあった絵が気に入ってそのことをジューンに話していると、その絵の話まで持っていかれるし、最悪。

こうして、ジェームスは私の得意技、回し蹴りを食らわしてやるリストの堂々1位に輝いたのだ。この日はマユ宅に泊るので、私は重い荷物をマンディの車に運ばなければならなかった。マンディはジェームスがやるからと言ったので、ジェームスが私のバックパックを運ぼうとした。そこで私はとっさに言った。
「私は旅行の間一人でこの荷物を運ばなければならない。だから、自分でやる。私を甘やかさないで」
と。本当はお前が私のものに触るなって言いたかったのだけど。それを聞いて、ジューンは笑っていた。

そう、ジューンは初対面のジェームスが大嫌いだったのだ。翌日マンディに電話をかけてきたのだそうだ。冷蔵庫を開け、ビールの銘柄にケチをつけ、全ての会話を持っていき、挙句の果てには名刺まで置いていくあつかましさにびっくりしたそうなのだ。それはそうだろう。

マンディにどうしてジェームスと友だちなのか聞いたら、彼のことは時々好きだけど、時々むかつくって言っていた。5~6年の付き合いだけど、変な人って思い始めたのは最近なんだそうだ。先日マンディから来たメールで、彼女はボーイフレンドのアダムと別れたらしい。今、ジェームスが猛アタック開始をしているそうだ。絶対嫌だ~!自分の友だちがあいつと付き合うだなんて、耐えられない。変態でもアダムのほうがましだ~。早くやめておけってメールをしなければ!彼女の自由なんだけどね。


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