ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

アメリカ一人旅・その3



9月13日、アメリカ旅行14日目。前の晩からマンディの妹のマユ宅に宿泊。マユはコンドを自分で買っているのだ。こんな高い買い物がポンとできるアメリカ人の若い子って、すごい。部屋に入ると広いリビングとキッチンがあり、バルコニーもある。そして2ベッドルームにバスルーム、奥のほうにはマユのベッドルームとバスルームがあるのだ。ひと部屋はメキシコからの留学生(男性)に貸しているので、私はもうひとつの空いたベッドルームに泊らせてもらった。私がいる間、マンディもマユのところに一緒に泊ってくれた。

さて、バスルームはメキシコ人留学生のルームメイトと私の泊っていた部屋の向かい側にあった。ここは普段その留学生が使っている。マユがこの彼は帰ってくるのが遅いし、時々友だちの家に泊るけど、家にいるときは朝早くシャワーを浴びるから時間に気をつけてと私に伝えていた。

さて、朝4時にトイレに行きたくて目が覚める。トイレに行くが、ドアが固く閉まっていて開かない。きっと、夜遅く帰ってきたルームメイトが入っているのだと思い、いったん部屋に帰ってベッドに寝転ぶ。10分ほどしてまたトイレに行くのだけれども空かない。朝4時からシャワーのはずはない。音もしていないし。長いトイレだなと思い、5時まで待ってまた行ってみるが、それでも開かない。きっと、これは私にトイレを使わせまいと、ルームメイトが意地悪して鍵をかけたんだと妄想する。マユが起きるまで我慢しようと決めた。

しかし、5時半になって私の膀胱は破裂寸前かってくらいになってしまった。もう我慢はできない。トイレへ行ってドアのノブを回しながらおもいっきり押すとドアが開いたのだ。そう、ただドアの扉が重くて開きにくかっただけだったのだ。なんてバカな私だろう。一度は恨んでしまった顔も知らないルームメイト、ごめんなさい。早朝、マンディと出かけるときにそのルームメイトの顔を見たが、とても優しそうな人。カトちゃん似のメキシコ人だった。その晩、話もしたけど、本当にいい人だった。

このトイレ話をマンディとマユにしたら2人は大笑い。マユは彼に、バスルームのドアは使わないときはいつも開けていてと言っているのだけど、いつも忘れているのだそうだ。日本同様、メキシコもきちんとドアを閉めるのだな。それにしても、本当にあせってしまった朝だった。

●日本からの訪問者●

マンディは小学校の教師だ。この8月に面接試験にパスしたばかりの新米教師。アメリカにはあの難しい教員採用試験がない。だから、頭のよさはもちろんだけど、人間性や指導力を重視して採用される。この日は私を彼女の勤務する小学校へ連れて行ってくれた。

アメリカの教師の朝は早い。生徒が教室に入るのは8時20分、でも教師たちは7時前後には学校へ来て準備を始めるのだ。私たちも7時前には小学校へ着いた。その名もOYAMA Elementary School(オオヤマ小学校)。創設者は日本人なのだそうだ。学校へ着いてまずオフィスへ行き、その日のプリント類を全て用意していた。それもそのはず、ランチタイム以外は教師はずっと教室にいるのだ。職員室がないので、教室の隅に教師のデスクとロッカー、パソコンまでもが置かれている。

8時10分、生徒は担任教師とともに並んで教室へ入ってくる。マンディはブイサインを高く掲げていたが、これは『静かにしなさい』というサインらしい。教室に見慣れない私がいるので、子どもたちの視線が私に集中する。カバンを置いて静かに席に着き、簡単なクイズのような問題を解かせて起立する。映画で見るようなシーンが始まった。マンディと子どもたちはアメリカ国旗に向かい、手を胸に当てて忠誠を誓う文を述べ始めた。本当にやるんだなぁ。

マンディに促されて私は教室の前に立つ。簡単に自己紹介をし、子どもたちの質問にいくつか答えた。子どもたちの9割がたはメキシコからの移民で、3人ほどまだ英語の話せない子どももいた。保護者も英語が話せるのは5,6人程度だというのだ。だから、PTAなんかの時は通訳が来るらしい。子どもたちは私自身、そして日本のことにとても興味を持ってくれた。
「日本語であなたの名前はどう書くの?」
「日本はハロウィンを祝うの?どんなホリデーがあるの?」
「何か日本語を話してみて」
「どんな食べ物を食べるの?どんな家に住んでいるの?」
こんな質問がたくさんだった。事前に知っていれば日本の写真を持ってきたのに。
2005-10-15 12:45:05立っているのが私。

午前中は普通の授業が行われた。国語だ。作文の書き方などを指導して、実際に短い作文を書かせていた。午後は算数だ。グラフの書き方を教えていた。この学校は基礎学力をつけることを重点にしており、芸術系の授業はないのだそうだ。週に一度だけ体育があると言っていた。宿題もしっかりある。作文、グラフ作成の合間には、マンディが一人ずつ呼んでフォニックスの小テストを行っていた。
2005-10-15 12:44:30

午後の算数の後、1時間ほど私と日本の活動をいくつかした。また子どもたちの質問にいくつか答え、次に日本の昔話を読み聞かせをする。マンディが図書室で見つけた英語の絵本だ。マンディが「桃太郎」を読み、私が「いなばの白うさぎ」を読む。子どもたちは両方の話を真剣に聞いてくれた。
2005-10-15 12:44:48

その後、聞いた物語の好きなほうの絵を想像して描かせ、感想も書かせた。その間に一人ずつカタカナで名前を書いてあげる。子どもたちは大喜び。中には家族の名前も書いてって言ってくる子どももいた。マンディが、普段おとなしい子もニコニコ楽しそうにしてるって話し、普段はノートなんて取らない子でも、私がボードに書いた日本語をみんな一生懸命写していたのだそうだ。日本に興味を持ってくれて嬉しいし、みんなとてもかわいい。

女の子2人は私に手紙をくれた。
「今度はいつ来るの?明日も来る?」
こんなふうに聞いてくる子もいた。この学校に来る子どもたちは貧しい地区の子どもが多く、学力も低いとマンディは言うけれど、みんなとても笑顔がきれいな子どもだちだった。それに、みんなマンディ先生が大好きみたいだ。見ていてよくわかる。

2時10分に学校は終るけれど、学校を去ったのは6時過ぎ。翌日がオープンスクール(日本のPTAみたいなもの)なので、準備に追われていた。窓に外から中の様子が見えないようにブラインドを取り付けていたマンディ。理由を聞くと、先月銃を持った男が校庭に現われたのだそうだ。何の被害もなかったらしいけど、こんなことが現実にあるのは恐ろしいと思った。

●風のような人●

9月14日、アメリカ旅行15日目。旅も後半に入った。その日はマンディとマユのお母さんのスーザンと、おばあちゃんのジューンが私の相手をしてくれた。スーザンはアリゾナに関する小さな本をプレゼントしてくれた。離婚後、再婚をし、今はトゥーソンから車で1時間半くらいの田舎に夫と義娘と3人で暮らしているのだそうだ。さわやかで、一緒にいて居心地のよい、まるで風のような人だという印象だった。

2人が私を連れて行ってくれたのは、ネイティブ・アメリカン居住区にあるMissoin San Xavier del Bacというミッション。アメリカ先住民のためのカソリック教会だ。ここに行く途中の道がスーザンは好きなのだそうだ。スピリチュアルを感じると言っていた。砂漠の真ん中にぽつんと立つ白亜の建物が美しい。ただ、正面から左半分が補修工事のため姿を見ることができなかった。スーザンが
「工事中のミッションなんてめったに見られないから、あなたはラッキーね」
と言った。う~ん、どうかしら。でも、前向きでいい。
2005-10-15 12:46:04

教会内部はミサ以外のときは見学できる。観光客も意外に多かった。中は思ったよりも広々としていて、天井が高い。装飾品も豪華絢爛だ。キノ神父を奉っている祭壇もあった。本堂を出ると博物館もあり、このミッションができるまでの経過や写真、展示品などを見ることができた。
2005-10-15 12:46:362005-10-15 12:46:52

外に出ると素敵な中庭がある。まるでスペインみたいだ。
2005-10-17 11:31:02

この母子はとても対照的だった。ジューンは裏表がものすごくはっきりしている。私のトラベラーズチェックを現金に替えに行ったとき、その銀行では私のチェックを取り扱えなかった。ジューンがそこの顧客だったので無事に替えられたけど、手続きが面倒で、怒ったジューンは
「もう私の口座を解約するわ!」
と銀行員に言い放っていた。

また、昼食の席では注文したタコスがまずかったらしく、店の人に中味のパテがおいしくないと言っていた。清算へ行くスーザンに、
「チップはそんなに払わなくてもいいからね」
と言い、帰って来たスーザンに何ドル払ったか聞いた。スーザンは
「14セント」
と答える。もちろん冗談だで言っている。ジューンも笑うしかない。

反対にスーザンはさっぱりしていて、小さなことは気にしない、どうでもいいやって思うタイプ。この日も町で見つけたおもしろいことを見つけてはいろいろ話してくれる。年齢をちっとも感じさせない。たった1日しか一緒にいなかったけど、私は彼女が大好きになった。この対照的な母子と過ごした1日は楽しかった。それでも年上の人たちと過ごすことで気疲れをしていたのか、私は眠くてしょうがなかった。

ジューンとスーザン
2005-10-15 12:47:10

Mission San Xavier del Bac
www.sanxaviermissoin.org
↑ミッションに関する素敵なサイトです。

●美人姉妹のケンカ●

マンディとマユの姉妹は本当に仲がいい。何をするのもいっしょだし、プライベートなこともよく話している。というか、この姉妹の家族はみんな仲がよくて、一緒に暮らしていなくてもお互いのことをよく知っているのだ。マンディに、
「マユと本当に仲がいいね」
って言うと、ケンカもよくするのだそうだ。信じられなかった、この目で見るまでは。

私の滞在中、マユはバイトを解雇された。日本食レストランで働いていたけど、週末にバイトを休んで(ちゃんと連絡をしていた)グランドキャニオンへ行ったのが日本人女性のマネージャーの逆鱗に触れたらしい。同じバイトの男の子も仕事を突然キャンセルしたのだけど、彼はクビにならなかったそうだ。マネージャーは、マユが男の子に人気があるのを妬んでいたようだ。それもそのはず、彼女はとてもかわいいから。その後には新しいバイトが決まったけど、そんなこんなでストレスがたまっていたようだ。

マンディは、この日は勤め先の小学校のオープンスクールで前日から準備に追われていた。ほとんど寝ていないと言っていたし、おまけに保護者面談は夕方になってからだ。彼女は学校から帰ってきたとき、ものすごく疲れていた。私も疲れていて、ジューンとスーザンが帰ったあと、ずっと眠っていたのだ。そんな私たちにマユは晩ご飯を作ってくれた。ここまではよかったのだ…。

私たちは前の晩から飲みに行こうと話していた。毎週彼女たちは、マユのバイト仲間の日本人男性と飲みに出かけているのだそうだ。しかし、ソファーでうたた寝を始めたマンディは起きなかった。マユは早く行かないと友だちを待たせているから悪いと言うが、マンディは仕事で疲れていると言う。おまけにジェームスから何度もマンディの携帯に電話がかかってくる。それをいつも受けていたマユはもううんざり。
「何よ、マンディ、マンディって!彼ってキモイ!」
険悪な空気が流れた。美人姉妹の言い争いが始まる。

私はただ黙って寝たふりをするしかない。私も疲れていたけど、出かけるつもりだった。でも、ジェームスからの電話で、彼が来るなら行くまいと決めていた。マユには本当に悪いのだけど。でも、彼女たちのケンカで、その話もお流れ。友だちに断りの電話を入れたマユ、マンディに向かって一言。
「あなたって恥ずかしい人」
そう言い放って、マンディに毛布と枕を持ってきた。いつもいっしょの部屋に寝ていたのに、この日はリビングで寝ろってことだな。でも、毛布を持ってきてあげるってだけでも、マユは優しいって思った。その後、ジェームスからまた電話がかかり、マンディが彼に一言。
「マユがあなたのことキモイって言ってたわよ」
普通言わんよ、アサミちゃん(マンディの日本名)!

マユがジューンと日本に来たときはとても大人しかった。無口で、いつも不機嫌そうで、とっつきにくい子だと思っていた。でも、今回思ったのは、マユのほうが大人だ。マンディは誰に対してもいい人なのだけど、感情がストレートで顔に出やすい。私とよく似ている。マユはものすごく気を遣う子だ。

どうでもいいけど、翌日は3人でメキシコへ遊びに行く日だ。このまま険悪なムードのまま行くことになるか、ちょっと憂鬱だなぁなんて思いながら再び眠りにつくのだった。

●国境を越えて●

9月15日、アメリカ旅行16日目。前晩、マンディとマユはケンカをしたので、朝は2人とも少し無口だった。この日は国境を越えてメキシコのノガレス(Nogales)へ3人で行くことになっていたのに、私はちょっと心配になる。しかし、車を走らせているうちに、2人はいつも通りに楽しくおしゃべりを始めたので安心。

ノガレスまではトゥーソンから車で1時間ちょっとだ。とても近い。ノガレスにはアメリカ側のノガレスとメキシコ側のノガレスとあり、アメリカ側に車を停めて歩いて国境を越える。飛行機以外での国境越えは2年前ぶりだ(前回はカナダ→アメリカ)。国境には鉄格子が張り巡らされていて、ちょっと緊張もしてきた。警察官や警備員がたくさんいる。

私の緊張感とは裏腹に、入国はとても簡単だった。門をくぐるだけ。係員も誰もいないのだ。パスポートは見せなくてもいいのかとマンディに聞くと、アメリカに戻る時に見せるのだそうだ。ちょっぴり拍子抜けした。国境付近の人は、ちょっと買い物感覚でお互いの国を行き来しているのだろう。

しかし、一歩メキシコに入国するとそこはもう異国。アメリカ側と雰囲気ががらりと変わるのだ。建物はどれもカラフルで、行き交う言葉は全てスペイン語だ。土産物屋がずらりと並び、客引き攻撃。『ミス』、『セニョリータ』と至るところで声を掛けられる。中にはアジア人の私を見て、『モシモシ、アリガト、コンニチハ』なんて言う人もいた。

2005-10-15 12:47:43

ここでマンディとマユからの注意点。客引きについて行かないこと、しつこかったら英語がわからない振りをすること(最初から英語で話さない)、定価で買い物をしないこと、お金を見せないことだ。確かに表示価格はアメリカと比べたら安いけど、値切れば値切るほど安くなるのだそうだ。20ドルのものが5ドルになったりすることもあるらしい。気に入った店(店員がしつこくないところ)で少しお土産を買うが、値切りも成功。マユもきれいなグラスを何個か買っていた。

買い物を済ませ、アメリカに再入国。マンディとマユはパスポートはいらない。IDを見せるだけでいいのだ。メキシコへの入国よりも緊張したけど、やっぱり簡単だった。係員がパスポートを見て、メキシコで何を買ったか質問するだけ。まあ、どう見ても私は凶悪犯には見えないだろう。帰りの途中の道路では検問所があり、外国人の私だけパスポートを見せなければならなかった。不法入国なんかの取締りをしているんだな。

こうして、トゥーソンに戻る。この日は私のアリゾナ最後の夜なので、アリゾナ州立大(マンディの母校、マユが現在通っている)周辺へ外食へ行くことに。ジェームスも呼ぼうかって話を2人がしていたけど、私が嫌そうな顔をしたので3人だけで行った。あぁ、よかった。学生街なのでいろんなレストランやカフェが並んでいてにぎやかだ。ただ、お昼にノガレスでおなかいっぱいメキシコ料理を食べてしまったので、食欲がなかった。中華料理の店に入り、ワンタンだけで軽く済ませた。

暑かったり、虫に刺されたり、咳が止まらなかったり、ジェームスによる偏頭痛にも悩まされたけど、マンディとマユ、彼女たちの家族と楽しく過ごせたアリゾナ州の滞在だった。

●3日連続メキシコ料理●

トゥーソンはメキシコに近い。ということで、メキシコ料理店が多い。トゥーソンへ行く前は、メキシコ料理をとても楽しみにしていたけど、3日連続はちょっと自分でもあんまりだと思った。それぞれ、おいしかったのだけど、3回目を食べたあとはもうメキシコ料理を見たくなかった。次に行ったカリフォルニアにもメキシコ料理店が多いが、見向きもしなかったくらい満喫した。

まずは、Guadalajara Grill(トゥーソン)というマンディおすすめの店。コーンチップスとサルサはどこの店でもフリーで付いてくる。この店ではお姉さんが各テーブルにやってきて、その場でサルサを作ってくれるのだ。私が注文したのはベジタリアン・ブリトス。私はベジタリアンではないが、肉が体にあまり合わない。旅行中は気を使って、野菜を多く取るように心がけている。そう思ったのだけど、このブリトス、とてもでかいのだ…。
2005-10-17 11:31:23

これで9ドルだ。見た瞬間、なんじゃこりゃ~って言ってしまった。ブリトスの中に、メキシカンビーンズ、メキシカンライス、ワカモレ、いろんな料理がぎっしり詰まっている。確かにおいしいのだけど、食べきれない、無理!その後デザートを頼むマンディとマユ。食べれなかったけど、一切れいただいたメキシコのスイートは甘かった。他のテーブルではマリアッチたちが音楽の演奏をしていて、雰囲気のあるいい店だった。

翌日はジューンとスーザンと行ったミッション近くのKarichimacaというメキシコ料理店。ここではチキン・エンチラーダスを注文する。6ドルくらい。量もちょうどいいし、おいしかった。スーザンの頼んだものもおいしそうだったけど、タコスはジューンの口に合わなかったみたいだ。この店のコーンチップスはとてもおいしかった。
エンチラーダス

3日目はメキシコのノガレスにて。Cafe Ajijicという店。メキシコで食べる本当のメキシコ料理だ。私が注文したのはコンビネーション。8ドルくらいだ。
2005-10-15 12:47:27

左が野菜、カッテージチーズたっぷりのトスターダ、真ん中がエンチラーダス、右がトウモロコシの粉を練って皮に包んで蒸したタマリ。タマリを食べたのは初めて。あっさりしていておいしかった。

こんなにいろんな種類を食べたのだけど、タコスは一度も食べていない。忘れていた!今はなんだかメキシコ料理が食べたいかな。近々、市内のおいしい店に食べに行こう。

●カリフォルニアへ●

9月16日、アメリカ旅行17日目。朝7時にマンディがトゥーソン国際空港まで送ってくれた。フライトは10時だったけど、彼女には仕事があるので仕方がない。航空会社はサウスウエスト航空。これがなかなか愉快な飛行機で、オープンシートなのだ。つまり、全部自由席。おまけに、飛行機が着陸してからがすごい。客室乗務員のアナウンスの終了後、替え歌を歌い始めたのだ。乗客からは拍手大喝采。到着ゲートに着くまで時間がかかったので、彼女は小話を2つ、そしてもう1曲替え歌を披露。こんな飛行機、初めて。

到着したのはロサンゼルス国際空港(LAX)。2年ぶりのLAXだ。飛行機を降りると大好きなダイド(Dido)の「White Flag」が流れていた。2年前、このLAでよく流れていた曲だ。なんだか嬉しくなった。到着口に出ると、友だちのマーティンのお母さん、イーディスが待っていてくれた。

マーティンが休みだろうと週末の訪問にしたのに、彼は大学院の調査である島に行って化石発掘作業をしなければならなかったのだ。残念だけど、仕方がない。それに、マーティンの両親、お姉さんには日本でも会ったことがあるからちょっと安心だ。

LAXからイーディスの家のあるアルバイン(Irvine)まで45分。そこはもうLAではなくて、オレンジ・カウンティ(Orange County)という地域だ。家に着くと、イーディスがランチを用意してくれた。ピザとサラダとデザートのアイスクリーム。ここでもまた太らされそうな予感。その後、イーディスの友だちの友人の在米48年という日本人女性の家に花を取りに行き、スーパーで夕食の買い物を済ませる。

帰って部屋で一休み。私の寝る部屋には2匹の蛇が飼われていた。もちろん、ふたつきのガラスケースに住んでいるから安心だ。マーティンのペットなのだ。夕方になるとマーティンのお姉さん、ターニャがやって来た。マーティンのいない間はターニャがずっと私の相手をしてくれた。

さて、夜になるとマーティンのお父さん、ビャーネと2組のデンマーク人カップルが帰宅。マーティン一家はデンマークからの移民だ。今、ご両親の友人カップルが2組彼らを訪問中なのだ。女性2人は英語が話せるのだけど、男性2人はほとんど話せない。外のテラスでバーベキューの食事をしたが、デンマーク語が飛び交っていて私の頭の中は???。「It's greek to me!」っていう英語の慣用句を思い出してしまった。イーディスが時々英語で説明してはくれたのだけど…。日本人ばかりの職場にいるALTの友人たちの気持ちがわかったような気がした。

その日は蛇のいる部屋で早めに床に着いた。

●ガールズ・デイ●

9月17日、アメリカ旅行18日目。とある理由で目が恐ろしいほど腫れていた。イーディスたちには寝すぎだと言ったら納得、なんせ、10時間近く眠っていたのだ。イーディスはエッグマフンサンドを朝食に作ってくれた。

この日はイーディス、2人のデンマーク人女性とROBSON'S MAYというショッピングモールに買い物に出かけた。後からターニャも来た。週末セールなので、ほとんどの商品が30%~70%オフという大バーゲンだった。アメリカの服はかわいいし、サイズも豊富にある。荷物を増やしたくないので、買いたいのをぐっとこらえていたのだけれど、誘惑に負けてニットジャケット(50%オフ)と、夏物のワゴンセールでスカート(70%オフ)を購入。イーディスがさらに15%オフになる券をくれたので、税込みで31ドルのお買い物。いい買い物をした。

フレンチカフェでの食事後、ショッピングを続け帰宅。イーディス、ビャーネ、デンマーク人カップルたちは外食で、ターニャは私を寿司レストランへ連れて行ってくれた。ターニャのルームメイトと友だちが来るというからちょっと緊張。ターニャのルームメイトが来てから出かけることになる。

現われたターニャのルームメイト、デイナはミッキーマウスのぬいぐるみを抱えてやって来た。私へのプレゼントだった。デイナはディズニーランドで働いている。仕事帰りなので、黒のスーツをビシッと着ていた。明るくてにぎやかな人で、車の中でもずっとおしゃべりをしていた。

WAFUという店に到着。寿司を握っているのは日本人だ。店内ではターニャの友だちのダイアナ、ダリーという女性たちと合流。2人とももうビールを飲み、刺身をつついていた。私たちもビール、刺身、寿司を注文した。私を含め、5人の女性はよく食べる、食べる。ダリーだけ40代(そうは見えないくらい若い!)であとはみんな30代なので、私もリラックスできたし、話も弾んだ。ターニャ以外は私の実年齢を聞いてびっくりしていたけど、この反応にももう慣れた。もちろん、寿司もおいしかったし、大満足の1日だった。

●のんびり日曜日●

9月18日、アメリカ旅行19日目。8時過ぎにイーディス、ビャーネ、デンマーク人カップルたちは1週間のトリップに出かけた。出かける前にイーディスは私にハグし、
「あまり一緒に過ごせなくてごめんね、また来てね」
と言ってくれた。とんでもない、忙しい時期に訪れた私を迎えてくれてありがたいのに。

その後、ターニャとデイナの住むニューポート(New Port)のアパートへ行く。デイナと2匹のかわいい猫たちが出迎えてくれた。フィンリーとウォレスだ。フィンリーはデイナの彼氏の猫だったそうだ。彼氏は肺がんで亡くなり、デイナがフィンリーを引き取ったと言う。気難しい猫だった。ウォレスはまだ若く、人懐っこい。靴が大好きで、いつも靴に顔を突っ込んでいた。

フィンリーとウォレス(私の靴の隣)
2005-10-20 14:35:102005-10-20 14:35:35

それから3人でビーチに出かける。ターニャは私にきれいな景色を見せるために遠回りして運転してくれた。少し曇っていたのが残念だ。まずはCrystal Cove Beachにあるスターバックスで朝ごはん。スターバックスの向かいにある他のカフェで、デイナがキッシュやパン、チーズパイを買ってきてくれたが、これがとてもおいしいのだ。しばらくここでおしゃべりをするが、犬を連れた人がとても多い。ちょっと怖かったのだけど…。

Corona Der Mar Beachへ移動し、海岸を散歩する。ターニャはいつもここで泳ぐのだそうだ。マーティンもこの海岸でダイビングをすると言っていた。霧も晴れて青空が広がり、きれいだった。
2005-10-20 14:36:042005-10-20 14:36:24
散歩するターニャと、明るいデイナ

いったん2人のアパートへ帰って一休みし、スポーツバー、Coner Office Sport Grillへ行ってNFL観戦。店内の巨大スクリーンにはいろんなチームの試合が映し出されていた。テーブルにもインターネットTVで好きなチームの試合を見ることができる。この日はたまたま、ターニャの応援するウィスコンシンのチームとデイナの応援するオハイオ、クリーブランドの対戦だった。私はどっちを応援すればいいのやら、困ってしまった。

ナチョス、バッファロー・チキンウィング、餃子のようなものと、昼間からビールを飲みながら観戦。ターニャがルールを説明してくれるけれども、ちんぷんかんぷん。他のテーブルからは拍手が起きたり、奇声が上がったりと、アメリカ人でフットボールが大好きなんだなぁと思った。結局はデイナの応援するクリーブランドの勝利だった。

デイナが私に、
「あなたがいたから、私たちはケンカをせずに済んだのよ」
とウィンクしながら微笑んだ。

●テイスト・オブ・ニューポート●

スポーツバーでアメフト観戦後、いったんターニャとデイナのアパートに戻る。夕方からはティスト・オブ・ニューポート(The 17th Annual Taste of New Port)というイベントに行くことになっていた。ニューポートのいろんなレストランが屋台を出し、安い値段で試食をしてもらってお店にお客さんに来てもらおうというイベントだ。デイナは用事があって行かなかった。正直、私もお腹がいっぱいで、フード・ティスティングなどする余裕は私の胃袋にはなかった。でも、まあこんなイベントに行く機会もないので、行くことにした。

アパートまでダリーが迎えに来てくれ、会場でダイアナ、彼女の友人たちに出会った。人数が多いと無口になるのが私の悪い癖、その時もついつい大人しくなってしまった。でも、みんないい人ばかり。入場には20ドルを払わなければならないが、ターニャが私の分も出してくれた。会場では10ドル、15ドル、20ドルの食べ物を購入するカードが売られていた。お腹はすいていなかったけど、とりあえず10ドルのカードを購入した。

会場はものすごい人だ。もしはぐれた場合の待ち合わせ場所などを決めて、いろいろな屋台を歩き回る。私は10ドルも払ったからカードを使わにゃ損と、タイレストランの屋台でパッタイを買ってみる。おいしかったんだけど、ほんのちょっとで3ドル。高い!

その屋台の前。ターニャ(黒)、ダイアナ(緑)、ダリー(ピンク)の後姿。
2005-10-20 14:37:08

お客を呼ぼうと、こんなパフォーマンスをするお姉さんたちも。
2005-10-20 14:37:28
左のピンクの服はダリー。彼女はここでステーキを買った。

ダリーにアメリカへ来たならクラブ・ケーキを食べなければと言われ、その気になって買う。小さいのだけど、脂っこくて私の胃袋はもう限界。

会場ではずっとコンサートが行われていた。6時からはThe Hootie And The Blowfishが演奏するということで、ものすごい人。実は、私はこのバンドのことを何も知らなかった。セミプロくらいにしか思っていなかったのだけど、有名らしい。グラミー賞とかも受賞したと聞いた。日本じゃあまりメジャーじゃないんだろうか?帰国して友だちのピーターとサムに知っているか聞いたら、ピーターが
「彼らはもう落ちぶれている」
と言ったのだけど、コンサートの様子からはそんなふうに思えない。

ダリーとダイアナに手を引かれ、ターニャに背中を押されて観客の間をする抜けて前のほう、前のほうへと行く。しかし、私の前には190cmあるだろうでかい男性がいて、何も見えない。しかもその男性、ガールフレンドとずっといちゃいちゃいていて、目の前で濃厚なチュウなんて見せられて、もう勘弁してよって感じだった。もちろん、音楽はよかったのだけど。

写真、ブレブレだけど、本物のThe Hootie And The Blowfish。
2005-10-20 14:37:46

コンサートが終って、ターニャに知っている曲があったか聞かれたけど、何も知らなかった。今度CDを買って聞いてみよう。コンサート後、ダリーとダイアナはティラミスを買いに行き、なぜか私も便乗して買ってしまう。ああ、日本食レストランのもちアイスにしとけばよかった。カードの残高は戻ってくるので、何も無理して食べることはなかったなぁ。おかげで胃がもたれて眠れなかった。でも、おいしい食べ物と素敵な音楽を堪能できた夜だった。

ネットで見つけたThe Hootie And The Blowfishのサイト
www.hootie.com/

●やっと再会●

9月19日、アメリカ旅行20日目。ターニャが仕事に出かけたあと、午前中はマーティン宅でのんびり過ごす。テレビを見たり、新聞を読んだり、ちょっとソファーでうたた寝をしたりなんかしていた。11時を過ぎてマーティンが2泊3日の調査実習から帰って来た。全然変わってない。そりゃそうだろう、1ヵ月半ぶりの再会だから。でも、少しやせたような気がした。

何がしたいか聞かれるが、思い浮かばない。LAへは2年前も行ったし、その時に見たいものは見てしまったような気がする。マーティンがターニャに帰ってきたと電話をした。ターニャはデイナが彼女の働くディズニーランドに私を招待したがっていると言ったようだ。そこで、本家本元カリフォルニア・ディズニーランドへ行くことに決定!

IN-N-OUTというハンバーガーショップ(カリフォルニアで有名らしい。ポテトは冷凍ではなく、フレッシュ!)で昼食を取り、ディズニーランドへ向かう。アルバインからとても近い。マーティンはほとんど寝ていなくて、ちょっと疲れ気味だったけど、車の中では相変わらずのトーク。冗談を言ったり、悪態をつき合ったり、日本にいたときと全く同じで嬉しかった。

さて、駐車場に到着。そこからトロリーに乗ってディズニーランドに到着。ゲートの前でデイナと待ち合わせ、彼女のおかげでアトラクション付のチケットを無料でゲット。早速いろんなアトラクションへ。平日だったので、待ち時間もそんなに長くないし、日本よりも数多くアトラクションが楽しめた気がする。私が一番好きなのは「カリブの海賊」と「ホーンテッドマンション」、でも、ハロウィンの準備のため、「ホーンテッドマンション」は開いていなかった。残念!それでも、10近くのアトラクションを満喫した。

日が暮れ始めてディズニーランドを去るが、空に虹を発見!それもトロリーに乗って駐車場に近づくに連れて大きくなるのだ。見とれてしまった。
2005-10-20 14:38:02

ターニャが帰ってきて、3人でチーズケーキファクトリーへ夕食へ行く。夜も遅いので、軽くオムレツなんて頼んだらまた大きいのなんの。マーティンは2階席から駐車場へ車のリモコンキーを向け、自分の車の鍵を音を鳴らして開けたり、ハザードをつけたり、駐車場を歩く人を脅かしては喜んでいた。バカというか、ガキというか。これで26歳なのですから。それでもターニャも私も大笑い。

アルバインの滞在は短かったけれども一番楽しかった。1日だったけど大事な友だちのマーティンに会えたし、ターニャ、デイナと過ごして彼女たちが大好きになった。マーティンは自分が忙しかったことに(というか、自分の教授に)腹を立てていた。本当は大リークを見に行くなど計画を立てていてくれたみたいだ。でも、また必ず会いに行くから、その時はよろしくね!


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