ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

アメリカ一人旅・その4



月20日、アメリカ旅行21日目。最終目的地、サンフランシスコに向かった。本当ならその地で彼と会い、楽しい休暇を過ごすはずだったのに、彼の出張延期のため計画も台無し。でも、最終的にはいい出会いがあり、新しい友人もできた思い出深い場所となった。

早朝、マーティンにLAXまで送ってもらう。遠いし、学校があるのにありがたい。今回はゆっくり会えなかったけど、またいつか会えるだろう。

サンフランシスコまでのフライトは約50分と短かった。空港に着いてからただなんとなく人の波についていって、荷物の受け取り場所に。しかし、待てども待てども私の荷物は流れてこない。最後の荷物が流れてきたけど、それは私のバックパックではなかった。これはひょっとして手違いで荷物が受け取れないってやつ?そういえば、彼も海外出張のとき、手違いで荷物が受け取れずに2日間同じ服を着ていたと言っていた。嫌だ~、そんなの!

とりあえず、係員のところに行って私の荷物がないと訴える。係りの女性は
「そこの電光掲示板で自分のフライトをチェックしてごらん」
その一言だけ。でも、掲示板を見ても私の乗ってきた飛行機の便名がない。

当てもなくさまよっていると、男性が私に近寄ってきて、何か問題があるのか尋ねてきた。空港職員ではなく、自分の知り合いを待っていたただの一般の人だ。事情を説明すると、ちょっとの間いっしょに探してくれた。なんていい人だ。でも、その人も行かなければならず、そこら辺にいた空港職員に話してくれた。

私の乗った飛行機の便名を聞いた空港職員のお兄さんは言った。
「ユナイテッド航空ならあっちだよ。ここはアメリカン航空の手荷物受取所だ」
そう、私のミス。今までこんなアホな失敗はしたことない。いつもの私なら飛行機に乗っていた周りの人の顔を覚え、受取所の場所もきちんと確認していた。その日、私の頭の中はからっぽで、かなりボーっとしていたのだと思う。電光掲示板を見た時点で気づけって?

ユナイテッド航空の受取所に行くが、もうベルトコンベアは回っていない。カウンターで尋ねると、周辺にいる係員に言えば鍵を開けて荷物を出してくれるとのこと。今まで気がつかなかったけど、手荷物受取所の壁には、受け取られていない当てのない荷物が入れられている鍵付のケージが並んでいるのだ。係員は私の引換券を見ると、
「バックパックだね」
と言い、すぐに取り出してくれた。私のバックパックはケージの中にぽつんとあった。

自分のアホさを思い知らされ、そんなこんなで疲れ果ててしまった私。バート(電車)でダウンタウンへ行こうと思っていたけど、そんな気力はなくてシャトルバスに乗ったのだった。先行き不安のサンフランシスコへの第一歩だった。

●イメージ通りじゃない!●

サンフランシスコ空港からダウンタウンまでの景色は、とても美しかった。目の前に海が広がり、小高い丘にはかわいい家が並んでいる。私がイメージしていたサンフランシスコの景色のままだ。風は強いけどきれいで治安がよくて、きっと過ごしやすい町なんだろうなぁと思っていた…。

が、しかし!ダウンタウンに近づいてきた。建物も今まで旅行した場所と違って、カラフルだし、なんとなくアンティークでかわいい。たしかにかわいい、でも、通りを歩く人を見てちょっと?となってしまった。ガラがものすご~く悪そうなのだ。ダウンタウンにはユースホステルは2件。そういえば、私の泊るほうは治安の悪い地区の近くだってガイドブックに書いてあった。

まさか、この辺り?なんて思っていると、予感は的中。それでもこのブロックはまだましなほうだった。周りにはベトナム語、中国語の看板がたくさんある。よく見ると、『Welcome to Little Saigon』なんてのぼりも立っていた。ホステルはダウンタウンのベトナム人街にあった。この周りを歩く人も怪しい人はいるけれどもほとんどアジア系。ちょっと安心した。でも、通りはゴミだらけだし、窓ガラスの割られている店もあり、これが私の想像していた美しいサンフランシスコなのだろうか。

早速ホステルにチェックイン。シカゴ同様都会なのに、ここのホステルの人はフレンドリーで親切だった。これが中西部と西海岸の違いだろうか?ホステルは昔ホテルだった建物を改築しているので、きれいだし、雰囲気もいい。ドミトリーも4人部屋でこじんまりしていた。ただ、ランドリーはない。徒歩1分のところにベトナム人経営のコインランドリーがあるから、それほど困らない。

コインランドリーで洗濯を済ませ、近くの食品店で買い物をして早々とホステルに戻った。そんなに疲れてはいなかったけど、とても寒かったのだ。アルバインは涼しかったけどTシャツでも大丈夫だった。ここは風も冷たくて本当に寒いのだ。天気もころころ変わりやすいらしい。

この晩のルームメイトは、イギリス人のエイミーと韓国人のジュヨン。2人ともとてもいい人たち。ジュヨンとはサンフランシスコの滞在を通して、とても仲良くなった。このお話はまた後ほど。

Hostelling International-City Center
www.norcalhostels.org
↑Our Hostelsをクリック。そのあと、真ん中のHi City-Centerをクリック。

●コスモポリタン●

9月21日、アメリカ旅行22日目。ホステルで知り合った韓国人のジュヨンといっしょに町を歩く。まずシビック・スクエアへ行くと、たくさんのテントが並んでいる。朝市だろうか。こういうのが大好きなので、ちょっと見て回る。野菜、魚、花などの店のテントが軒を連ねて並んでいた。
2005-10-23 09:00:40

この店でリンゴを購入。銘柄はもちろんフジ!
2005-10-23 09:00:59

ツーリスト・センターへ行き、ジュヨンおすすめのシティパスを購入。シティパスにはサンフランシスコの5つのアトラクション(湾内クルーズと4つの博物館)とケーブルカー、バス、路面電車のすべてが期間内乗り放題というお得なパスだ。42ドルだけど、倍以上の価値はある。

サンフランシスコ・モダン・アート美術館へ行くが、この日水曜日は休刊日だった。残念!チャイナ・タウンへ行くことにする。

チャイナタウンの入り口。ケーブルカーが止まっていた。
2005-10-23 09:01:17

チャイナ・タウンへ一歩足を踏み入れると、もうそこはアジア、中国だ。白人、黒人よりも東洋人ばかりが歩いているし、看板もほとんど中国語。交番や銀行の名称までもが中国語表記されている。飛び交う言葉も中国語が多い。ジュヨンがテレホンカードを打っている店を探していて、歩いていたおばあさんに道を尋ねた。でも、おばあさんの英語はほとんど理解不能。おばあさんは近くにいた人に中国語で聞いてくれた。

そういえばバスに乗ったとき、車内の注意書きは英語と一緒に中国語も表記されていた。スペイン語もたくさん飛び交っていたけど、なぜかスペイン語の表記はない。

チャイナ・タウンは歩いているだけでも楽しい。買い物をするわけでもないけど、店に並ぶ色とりどりの商品に目が行ってしまう。でも、ジュヨンは興味がなさそうだった。ジュヨンがテレカを買った小さな食品店では、日本のお菓子、アイスクリーム、ペットボトルのお茶がたくさん並んでいた。うぅっ、欲しい、でも高い。1週間後には日本だと、ぐっと我慢。

チャイナタウンからダウンタウンを臨む(左)・チャイナタウンの建物(右)
2005-10-23 09:01:322005-10-23 09:01:46

今回の旅行で、サンフランシスコは今まで行った場所の中で一番いろんな人種が多く、いろんな言葉の聞かれるところだった。私はこういう多人種、多言語の集まったコスモポリタンが大好きだ。治安はちょっと…って感じだったけど、いちばん居心地がよかったと思う。

さあ、午後から何をしよう。歩き好きの私たちは、そのままフィッシャーマンズ・ワーフへ徒歩で向かったのだった。

シティパス-アメリカの主要都市、カナダのトロントで発売されています。
www.citypass.com

●フィッシャーマンズ・ワーフ●

チャイナ・タウンを去り、ジュヨンと私はフィッシャーマンズ・ワーフまで歩いていった。サンフランシスコを旅行したり、住んでる人にならわかるだろう。それはとても長い距離なのだ。下り坂が多いとはいえ、もとはシビック・スクエアから歩いてきたのだから。せっかくシティパスを買ったのだから使えって感じだ。

ジュヨンと私が目指したのはピア39(Pier39)。フィッシャーマンズ・ワーフでもいちばん賑わっているところだ。さすがサンフランシスコ一の観光地なだけあって、平日なのにすごい人。ツアー客であふれていた。

このカニくんが目印。
2005-10-23 09:02:47

このピア39から、私たちは1時間の湾内クルーズのアトラクションに参加した。シティ・パスに付いていたやつだ。コースはゴールデンゲート・ブリッジの下をクルーズし、アル・カポネも収容されていたという刑務所島のアルカトラズ島周辺を回る(上陸は料金を追加)というものだった。

こういうクルーズに参加している人は、なぜかいつも中高年のカップルが多い。私の隣にいたのも、どうやらデンマーク人のカップルだった。船に乗って気づいたが、ピア39の船着場近くには何十ものアザラシがいた。
2005-10-23 09:02:02

この日のサンフランシスコは快晴だったけど、風があって肌寒かった。おまけにジュヨンも私も薄着。しかも、ゴールデンゲート・ブリッジ周辺は霧がかかっているのだ。不思議なことに霧がかかっているのはサンフランシスコ側だけで、対岸のサウサリート側は快晴なのだ。

フェリーから同じに日、ほぼ同じ時刻に撮影したもの。
2005-10-23 09:02:172005-10-23 09:02:31

寒かったけどブリッジを下から見ることもできたし、景色もとてもきれいだった。フェリーを降りてお腹のすいた私たちは、近くのカフェでランチ。フィッシャーマンズ・ワーフ名物(?)のクラムチャウダー、そしてチキンサラダを食べる。くらむチャウダーはパンの中味をくりぬいてその中にスープが入っているのだ。ふたとなるパンは食べ切れなかったので、ホステルに持って帰って翌日の朝食となった。

これがクラムチャウダー。おいしそうでしょう?おいしいのだ!
2005-10-23 09:03:01

土産物屋の並ぶ町を歩いて、私たちはちょっとショッピング。けっこう安く買い物ができた。歩き疲れた私たちはケーブルカーで帰ることに。でも、45分待ち。待っている間の寒いことと言ったら。ケーブルカーは観光の目玉の一つでもあるから、そんなに長距離でもないのに5ドルと割高だ。シティパスのおかげで払わなくてよかったのだけど。

それにしてもよく歩いたし疲れた。晩ご飯も食べられないくらいボロボロ。ジュヨンは22歳の若者、私は30代半ばのおばさん。こんなところで差が出るんだなあ、年には勝てないと実感した1日だった。

ピア39
www.pier39.com

●サンフランシスコ近代美術館●

9月22日、アメリカ旅行23日目。やっぱり前日は歩きすぎた。とても疲れているし、全身がだるい。しかし、ジュヨンはとても元気。歩く足取りも弾んでいた。この日はいっしょにサンフランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art)へ行った。

この美術館は頭文字を取ってS.F.MOMAの通称を持ち、5階建ての建物そのものがひとつの美術作品になっている。近代美術館としては全米第2、西海岸美術界を代表している。所蔵の美術品は1万5000点を越える。

とにかく広いので、ジュヨンとは別れて見学することにした。まずは一昔前のモダンアートから見学。マチス、ピカソ、ミロ、ダリ、フリーダ・カーロなど名前の知られた芸術家作品が並んでいた。しかし、あとはいつものように理解不能。あの、点とか、線とか、一色だけをキャンバスに塗ってあるような作品のことだ。前衛的な映画も理解不能。こういう芸術家って、何を考えているのだろうか。それを芸術と評価する人たちもある意味すごい。ジュヨンもわけわからないと言っていた。

でも、展示室に設けられた椅子に座って、しばしわけのわからない芸術作品をボーっと眺めるのも悪くはないなって思った。

写真はガイドによる美術館ツアー。参加はしていない。
2005-10-23 09:03:19

さて、2時を過ぎて、お昼ご飯を食べながら午後から何をしようかとジュヨンが話し始める。しかし、美術館を歩き回った私にはそんな元気はもうなくなっていた。私はホステルに帰ってゆっくり休むことにした。ジュヨンは元気に町へ歩いていったのだった。

お昼は日本食。照り焼きチキン丼とお豆腐。すごいボリューム!
2005-10-24 15:23:51

サンフランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art)
www.sfmoma.org

●方向音痴●

9月23日、アメリカ旅行24日目。私は方向音痴だ。まず、東と西の方角を正確に認識することができない。知らない町を歩く時は、いつも地図を片手に、目は太陽を追って北と南を確認するけれども、それすら当てにならないくらいだ。その日の朝も、2日前に見かけた郵便局を探していた。1時間くらい歩き回るけど、見つからない。帰国前、そのすぐ近くにあったことを知る…。ジュヨンは私の方向音痴にあきれて、けらけら笑いながら、
「今までよく一人で旅していたね~」
と言う。ある意味感動のようだ。

ようやく他の店で切手を買い、30番のバスに乗ってエキスプロラトリウム(Exploratprium)という博物館に向かう…はずだったのに、このバスはフィッシャーマンズ・ワーフ付近が終点だったのだ。地図を見るとそんなに遠くもなさそうなので、歩くことにした。

しかし、歩けども歩けども、博物館には着かない。地図で通りを確認しながら、美しいフォートメイソン(Fort Mason)の景色を楽しんで、1時間近く歩いてようやくたどり着く。着いたら着いたで、入り口を探して回り、広い建物の周りを約1周してやっと発見。どうも、かなり遠回りをしたようだった。

さて、エキスプロラトリウム博物館はというと、1915年に造られた参加・体験型の科学博物館だ。電気、気象、光、生物など、自然の仕組みを自分で触ったり、動かしたり遊び感覚で学べるのだ。ノーベル賞に関する展示も詳しい。ただ、理系に全く興味のない私にはあまりおもしろくないところだった。

この博物館は、ロマネスク様式のパレス・オブ・ファイン・アーツ(Palace of Fine Arts)の中にあり、その建物は美しい。
2005-10-25 10:28:25

2005-10-25 10:28:51とてもでかいです。

帰りはバスで帰るぞ~と、バス停を探すけれども見つからない。結局フィッシャーマンズ・ワーフまで歩き、ケーブルカーで帰ることにした。1時間以上待ちだったが…。

ケーブルカーは手動で回転させる。
2005-10-25 10:31:52

ケーブルカーの最後尾からの景色。
2005-10-25 10:32:59

終点のパウエル・ストリートに着くと、私の泊まっていたホステルの通りが目の前にあった。ここを通ればいつも歩く道より早く帰れるはずと、その通りを上り始めた。方向音痴の私でも、これくらいならわかる。こんなにダウンタウンから近いのに、なぜジュヨンは今まで遠回りをしていたのだろうと思っていると、その場で理由がわかったのだ…。

治安がめちゃめちゃ悪い!!!

ホームレスやガラの悪い人たちが、1~2メートルおきに立っているのだ。怖いのをぐっと我慢し、私に近づくんじゃね~ってオーラを出し、ものすごい早足でホステルへ帰る。アジア系の多いリトル・サイゴンに入った瞬間、ホッとした。ジュヨンにこのことを話すと、彼女も初日にこの通りを通って怖かったから遠回りをしていたのだそうだ。早く言ってよ~。

エキスプロラトリウム(Exploratorium)
www.exploratorium.edu

●日本の友だち●

9月24日、アメリカ旅行25日目。この朝、ジュヨンはホステルを去ることになっていた。なんでも、前日彼女がショッピング中に知り合った、サンフランシスコ在住の韓国人女性の家に泊ることになったのだ。同じ韓国人でも初対面の人だ。大丈夫だろうかと心配になる。彼女も心配だったみたいだ。

ジュヨンと朝食をとっていると、彼女が友だちになった沖縄出身のゴウさんという人に出会う。スケートボーダーで、もう1ヶ月ここにいたらしい。何でも、サンフランシスコはスケートボードのメッカだそうで…。知らなかった。飄々としていてとてもいい人だ。

朝食後、韓国人女性がジュヨンを迎えに来る。ゴウさんと荷物を運ぶのを手伝い、やっぱり気になるからその女性と少し話してみた。第一印象はいい人って感じだったけど、やっぱり心配。

さて、私はこの日はバークレーの近くに住む日本人の友人、トモコちゃんと会うことになっていた。同じ地域の出身だ。まだ21歳で、語学留学であっちに住んでいる。12時ごろ、彼氏の台湾系アメリカ人のライアンといっしょに迎えに来てくれた。トモコちゃんとライアンは留学先の北京で知り合ったのだ。2人が会話する時は英語、日本語、中国語がごっちゃになっていて、何を言っているのかわからない。

まず、ホステルの近くにあるジャパンタウンへ行き、昼食と買い物。トモコちゃんは日本食が恋しかったのだそうだ。買い物は日本のスーパーで。私の大好きな和菓子もあった。そこにあるなんちゃって五重塔は、ライアンのお父さんの設計なのだオスだ。ライアンのお父さんはピア7を始め、台北の地下鉄や有名な建物の設計をしてるのだそうだ。ジャパンタウンのお話はまた後ほど。

それから、ゴールデンゲート・パーク(Golden Gate Park)に向かう。ここには日本庭園をはじめ、いくつかの見所がある大きな公園だ。土曜日だったのでたくさんの人でにぎわっていた。私はゆっくり散歩をしたかったが、トモコちゃんは細すぎて疲れやすいのか、歩くのが苦手、ライアンも130キロの大巨体なものだから、ちょっと歩くと汗だくになり、ゼーハーいっていた。ほんの15分歩いて終了。もっとゆっくり歩きたかったわ。

次にオーシャン・ビーチ(Ocean Beach)に向かう。サンフランシスコの海は海水が冷たすぎて夏でも泳げないのだそうだ。それでもたくさんの人でにぎわっていた。ピクニックをする人、たこあげをする子ども、サーフィンを楽しむ人、やっぱり海はいいなあ。

2005-10-25 22:12:17

しかし、ここでも二人は歩き疲れた模様。30分もここにいなかったと思う。天気がいいのに、残念!この日は風もなく暑かった。ライアンがホステルまで車で送ってくれるが、彼の運転は恐ろしい。トモコちゃんは車酔いしていた。でも、忙しい中、私のために時間を割いてくれた二人には感謝、感謝だ。

ホステルに帰り、ジュヨンが気になった私は彼女に電話をかけてみた。韓国人女性はいい人だし、大丈夫だって返事があったのでホッとした。

●リンカーン・パークとゴールデンゲート・ブリッジ●

9月25日、アメリカ旅行26日目。とてもいい天気!9:30にホステルを出て、38番のバスに乗ってリンカーン・パークに向かった。2日前、エクスプロラトリウムの帰りにゴールデンゲート・ブリッジへ行こうと思ったが、歩きすぎで挫折。この日は早めに出てリンカーン・パーク~ゴールデンゲート・ブリッジをバスを乗り継いで行くことにした。バス路線もしっかり予習済み…

のはずが、いきなり降りる場所を誤ってしまった。先日行ったオーシャン・ビーチに着き、歩いて引き返す。そして小高い丘を登って、リンカーン・パークにあるカリフォルニア・リージョン・オブ・オーナー美術館(California Palace of the Legion of Hornor)へ到着。全米でも指折りのヨーロピアンアートの殿堂だというから楽しみだ。建物もとても美しい。
2005-10-26 11:19:26

紀元前のヨーロッパの宗教芸術、パリのドゥシール・ホテルの18世紀のインテリアが充実している。また、ロダンの彫刻も多数。私の好きな『The Kiss』も展示されていた。印象派の作品も少々。外からの日差しが入り、居心地のよい美術館だった。

さて、ここから逆方向に歩いて坂を下り、バスを拾ってゴールデンゲート・ブリッジへ行くことにした。ホステルで作ってきたサンドウィッチとリンゴをかじりながら坂を下る。途中、咸臨丸着港の記念碑なんかがあった。坂を下ると高級住宅街が並ぶ。花もたくさんでとてもきれいだった。

さて、バス停発見。しかし、待てども待てどもバスは来ない。次のバス停まで歩くのだが、それでも来ない。まあいいかと、歩いていくことにしたのだが、これが笑うくらい遠いのだ。しかも上り坂がほとんど。引き返そうかと思ったりもしたけど、迫り来るブリッジを見るたびに、あともうちょっとと頑張った。それに、美しい海岸線を見ながらの散歩は楽しい。1時間かかったけど…。

そしてこんなもの発見!
2005-10-26 11:27:58

コヨーテが通るから運転に注意しろってサインだけど、その前に歩く人が噛まれたらどうするんだ?なんて思ってしまった。

そしてやっとゴールデンゲート・ブリッジに到着。日曜日だったので多くの人でにぎわっていた。橋を渡りきるには時間がかかるので、真ん中の手前くらいまで歩いた。
2005-10-26 11:30:12

帰りは歩く気力はない。バスを拾って25thアベニューに帰って…と思っていたら、そのバスはフォートメイソンへ。そこからバスを乗り継ぎ、フィッシャーマンズ・ワーフを経由してダウンタウンに戻った。

たくさん歩いて疲れた1日、ホステルの部屋でホッとするまもなく、3人の女性がどやどやと入ってきた。空きベッド2つになのに。その中の2人がこの部屋に泊まるのだけど、話声がうるさくて眠れなかった。この晩から連夜、ルームメイトたちに悩まされ、眠れない日が続くのだった。

カリフォルニア・リージョン・オブ・オーナー美術館
(California Palace of the Legion of Honor)
www.legionofhonor.org

●ジャパン・タウン●

9月26日、アメリカ旅行27日目。サンフランシスコに来てからずっと同室だったエイミーとこの朝お別れ。いっしょに出かけたりはしなかったものの、部屋やラウンジでいろんな話をした。かわいくて、とてもいい子だった。

この日は前回ゆっくりと回れなかったゴールデンゲート・パークへ行こうと思っていた。しかし、前の日に歩き回って疲れていたし、夜は夜で2人のドイツ人がうるさく話していてよく眠れなかったのだ。早朝から目が覚めるし、最悪。

ラウンジで沖縄のゴウさんとしばし話し、昼からジャパンタウン付近を散策する。ホステルから歩いて15分くらいのところだ。こじんまりと下町の中に、近鉄のショッピングセンターがある。中には日本食レストランをはじめ、紀伊国屋、CDショップ、土産物屋、太鼓グループの事務所なんかがある。ある寿司屋の前にはキアヌ・リーブス、ロビン・ウィリアムス、オノ・ヨーコなんかのサインも!

こういう商品を見つけた。こっちの日系人は餅をつくのか?
2005-10-26 15:48:48

お腹がすいたので、おにぎりでも買って食べようとスーパーへ行く。広告の品の野菜コロッケと、2個で1ドル99セントの豆大福を買う。3日後には日本なんだけど、安いし、あんこが食べたかった。外の五重塔付近で食べた。

しばらく紀伊国屋で立ち読みをした。日本からの輸入本なので、買うには高すぎるし荷物にもなるので購入は無し。店に設置されてあったテレビではNHKの「スタジオパークからこんにちは」なんかやっていて、ゲストは朝ドラのヒロイン、本仮屋ユイカさん。「ファイト!」、どうなってんだろうなぁと思いながら、しばらくテレビを見ていた。

ライアンパパ設計の五重塔(左)・近鉄モールの向かい側(右)
2005-10-26 16:00:502005-10-26 16:01:12

通りの表記も日本語で。
2005-10-26 16:24:30

2時過ぎにホステルに戻り、のんびりとする。夜になっても新しいルームメイトは来ない。今夜は一人かなぁなんて思い床に着くが、夜中の1時にテロリストども(本物じゃございません)にたたき起こされるのだった…。

●最後の日●

9月27日、アメリカ旅行28日目。アメリカで過ごす最後の日がやって来た。寝覚めは最悪。というのも、夜中の1時過ぎに2人の白人女性がチェックインしてきたのはいいのだが、電気をつけ、物音も立てまくり、話までしていた。ホステルなのになんて非常識な!以前も夜中にチェックインしてきたオーストラリア人女性がいたけど、静かだったし、明かりもバスルームのものを使って、誰も気がつかなかったのに。このお話はまたじっくりと。

11時にジュヨンとアジア美術館(Asian Art Museum)の前で待ち合わせ、そこを見学した。ここは全米でも最大規模のアジア美術館で、アジアの各地域からの美術品、工芸品が約1万4000点ある。世界的に有名な中国最古のブッダも展示されている。元は図書館だった建物がリニューアルされていて、とても美しい。
2005-10-27 10:28:24

展示品を見ているとジュヨンが
「ここにある芸術品は、その国に行って見るべきものだ」
と言った。確かに、それぞれの国を旅行して見るほうがいいに決まっている。しかし、美術品の保存技術に知識が乏しい地域、戦争で価値のあるものがいとも簡単に壊されているというのも事実だ。ここにあるからこそ大事に扱われ、たくさんの人の目に触れることができるのだとも思った。

中国からこんな愉快な作品も…
2005-10-27 10:28:05

フードコートでベトナム料理を食べ、午後はお土産ショッピングに行った。サンフランシスコに来て初めて、ユニオンスクエアを歩いた。ここにはいろんなブランドの店が並んでいるけれども、お金のない私やジュヨンは用はない。ドラッグストアとOLD NAVYでお土産を買った。私のショッピングに付き合ってくれたジュヨン、退屈そう。お礼を言ったら、
「次は私に付き合うのよ!」
え…?

彼女は夜に映画のイベントに行く予定で、そのチケットを事前にシアターで買いたかったのだそうだ。シアターはダウンタウンにあるのかと思いきや、バスでミッション・ストリートを30分ほど走った場所にあった。結局そのシアターは、時間前にならないと開かないことがわかり引き返したが、ジュヨンは夜出かけるのをやめた。その地区は治安があまりよくなかったのだ。

ホステルに戻り、途中のベトナム食材店で買ったドリンクとお菓子を食べながらしばらく話をした。私は眠くてたまらなかったけど、ジュヨンと過ごせる最後の日、たくさんの話をしたのだった。

アジア美術館(Asian Art Museum)
www.asianart.org

●大好きなジュヨン●

旅日記がサンフランシスコ編になり、何度も登場する韓国人のジュヨン。彼女と出会ったのはホステルのラウンジにて。しばらく日本語を話していなくて、ちょっとストレスのたまっていた私はラウンジで彼女を見かけた。日本人かもしれないと思って近づいてみたが、彼女はハングル語の本を読んでいた。その時はお互い、「Hi」と挨拶をしただけだった。

その後、部屋にいるとジュヨンが部屋に入ってきた。その時、韓国語で話し掛けられて、意味のわからない私が首をかしげると、英語で話し掛けてきた。お互い自己紹介をし、同じアジア人っていうことで話も弾み、信じられないくらい早く打ち解けることができた。それもこれも、彼女がフレンドリーでいい子だったから。

彼女は2ヶ月間アメリカを旅行していた。ワシントンDC、ボストン、ニューヨークを旅し、サンフランシスコへやって来た。10月始めにはハワイに1ヶ月滞在すると言っていた。初めての海外旅行で、それも一人旅。アメリカが好きかって聞くと、
「大っ嫌い!だからこの国を選んだの」
という答え。わかるような気がする。

日記にも書いてきたように、彼女とはよくいっしょに行動したし、ご飯も食べた。韓国人の彼女は、一人でご飯を食べることが嫌いだった。誰かといっしょに食べ、食べ物をお互い分け合うのが韓国人の習慣なのだそうだ。この習慣、であった欧米人には嫌がられたそうで、私にも馴染みがない。それでも、朝ごはんのパン、シリアル、フルーツなんかを分け合って食べるのは楽しかった。

ジュヨンは高校で日本語を学んだことがあった。だからひらがなは全部読み書きでき、簡単な会話ならわかった。彼女がよく使っていた言葉は、「怖い」と「キモい」(旅先であった日本人に習ったそうだ)。町で怖そうな人や、変な人を見かけるとこの言葉よく使っていた。

ある日、バスの中に大きなラジカセを持ち込み、大音量で音楽を流していた男性がいた。その時ジュヨンは小声で私に聞いた。
「crazyって、日本語でなんって言うの?」
私が『狂ってる』と教えたら、その男性を見て「狂ってる、狂ってる」と連呼をしていた。おもしろかったけど、ちょっとドキドキした。

彼女はまだ22歳、でも自分の意見をしっかりもっていて、自分が何をすべきかわかっている子だった。将来はマスコミかジャーナリズムの世界で働きたいそうで、写真の撮りかたも独特だ。え?こんなところを?みたいな場所でもカメラを向けるのだ。生き方も自然で、韓国で横行している整形手術にも批判的。ナチュラルな彼女はずっと年上の私から見ても素敵でかっこよかった。

さて、彼女の私に対する評価をひとつ。彼女が言うには、私は日本人っぽくないそうだ。まず、普通に英語を話す日本人旅行者を見なかったことで、彼女の中では日本人は英語が話せないというイメージがあったそうだ。ちなみに、彼女は高校時代に学んだ英語だけで会話していた。ここで韓国と日本の教育の差を感じた(これはまた後日)。だから、
「あなたは日本人なのに英語が上手ね」
って言われたのだ。

彼女は私のことを韓国人みたいと言った。そんなこと言われたは初めてだ。理由を聞くと、
「あなたは私の友達に似てるから。だから韓国人みたい」
よくわかるような、わからないような…。アメリカ人っぽいとも言われた。アメリカ人っていろいろいるから定義はわからないのだけど…。

別れの時、ジュヨンが私に行った言葉。
「絶対日本に行くからね!それから、年をとっちゃダメよ!」
思わず笑ってしまった。彼女は最初私を25歳くらいだと思っていたからだ。
「大丈夫、60になっても私は変わらないから」
と返すと彼女も笑った。

帰国して彼女のメールを送ると即効で返事が来た。ハワイからだった。来日を計画中だと書いてあった。大好きなジュヨンとの再会も遠くはないような気がする。彼女に会えて、本当によかった。

●ホステルでのマナー●

私は一人で旅行する時はホステルに滞在することが好きだ。友だちと一緒のときはホテルや、ホステルでもツインルームに泊るけど、一人でいるとどうしても人恋しくなる。そんな時はホステルのルームメイトと話をしたり、時にはいっしょに食事をしたりすることはとても楽しい。それに、お互いの国のことが学べる。今回のこの旅でも、素敵な出会いがたくさんあった。

ホステルを使う際に自分が守っていること。早朝、夜には物音を立てるのを控える。部屋だけでなく、施設をきれいに使う、挨拶をきちんとする(小学生か?)、人に迷惑をかけないの4点だ。自分の中ではこれは常識だ。だからといって、この常識が他の人に通用するわけではない。

今回ホステルで悩まされたことを少し。まず、シカゴでは夜朝日から帰ってきた2人の女性たちがハイヒールでカツカツと部屋を歩き、入り口付近の電気をつけずっと話していた。これにはドイツ人女性が怒って注意したが、翌日も同じことをやっていたのだ。私はそういう迷惑な人は、どんなに昼間はいい人でもあまり話をしたくない。でも、そのうちの一人、バングラデッシュの女の子につぶらな瞳で話し掛けられ、あまりにもかわいいのでニコニコしてしまった。

シカゴでの件はまだいいほうだった。サンフランシスコの最後の3晩はほとんど寝られなかった。まず25日の晩。チェックインしてきた2人のドイツ人女性たち。11時を過ぎても電気をつけっぱなしでうるさく話していた。私は日本語で「うるさい!」と一言。ぴたっと静かになり、まもなく電気を消した。これはまだまだましだった。

翌晩(26日)はホステルの部屋に一人だった。前の晩によく眠れなかったので早めに床に着き、気持ちよく安眠。ところが、夜中に2人の白人女性が部屋に入り、電気をつけた。時計を見ると夜中の1時過ぎ。なんて非常識な!なかなか電気を消さないし、話までしていた。荷物を開け始め、物音も立てまくり。前に夜中にチェックインした人は、たいてい気を遣ってバスルームで着替え、静かにベッドに入っていた。これが普通でしょ?

またもや私は日本語で「うるさい!」と言うと、電気を消し、2人は部屋を出て行った。またうとうとし始めると、一人が部屋に帰ってきて、バッグから水を取り出してごくんごくん音を立てて飲み、部屋を出て行った。これでまた目の覚めた私は眠れなくなってしまった。彼女たちが部屋に帰ってきたのは3時半過ぎ。それから歯を磨いたり、顔を洗ったり、本当にうるさかった。翌日、彼女たちに会ってもツンツンしていた私。


そして最後の晩(27日)、その日のルームメイトはその白人女性2人に加え、私のベッドの下に黒人女性が入っていた。彼女のベッドを見た瞬間出た言葉は「汚い…」。もう、ベッドの上に自分の物を散らかしていたのだ。タオル、化粧品、脱ぎ捨てた服だからならまだいいが、脱ぎ捨てたパンツまで。彼女は髪を無数の小さなみつあみをしていたが、そのうちの1本を切り、床に放置してあった。

彼女だけじゃない、白人女性たち(特に下のベッドの人)も同様。生理用品までベッドの上に置きっぱなしなのだ。いくら女性の部屋でも、それはないんじゃない?この3人の荷物が床に散乱し、バスルームに行くまでの通路が何とか確保されていた程度。そういえば、エイミーも荷物を広げ放題だった。なぜ片付けない!欧米人女性!

私はこの後食堂へ行き、ゴウさんと東京の大学生のケイタロウくんとしばらく話をしたが、彼女たちの部屋の使い方の汚さを話すとびっくり。女性を見るときは、外見に惑わされずに部屋を見ろと説教をしてしまった。

最後の晩は早く寝たかった。ルームメイトたちに、11時になったら明かりを消すからと断言しておいた。黒人女性はベッドに伏してお祈りを始めた。1日の懺悔をしていたようだ。その前にベッドをきれいにしてからすればいいのに。11時になったので電気を消そうとしたら、ちょっと5分待ってと言った。そしてバスルームへ行き、鏡の前でブツブツとお祈りを続ける。やっと明かりが消えたのはそれから15分後だった。

そんなこんなで、この3晩はぐっすり眠れずじまい。翌朝、私はこの3人にささやかなリベンジをするのであった…。フフフ…

●ささやかな復讐、そして帰国●

9月28日、アメリカ旅行29日目。約1ヶ月に渡った私のアメリカ旅行も、ようやく帰国の日を迎えた。長かったようであっというまの1ヶ月間だった。前日に空港行きのシャトルバスを予約してあり、8時15分にホステルでピックアップしてくれることになっていた。

7時に起きればいいかと思っていたけど、6時過ぎには目が覚めた。荷造りはもう完璧にできていた。着ていたパジャマ、洗面で使うタオルは捨てていくのでもうバックパックに入れる必要もない。ベッドに寝転んでいても退屈だったので、6時半には起きて始動開始。ルームメイトの3人はぐっすりお休み中。いつもの私なら、気を遣ってなるべく物音を立てないように静かに行動する。しかし、この3人は人が寝ていようがなんだろうが、気を遣うなんて言葉を知らない人たち。「目には目を」と思い、こちらも遠慮なく。

さて、洗面を済ませ、ふとバスタブを見ると汚い。自分が使った後はタオルをきちんとかけたり、髪の毛を拾ったりしないのだろうか。時間もたっぷりあったので、ドアを閉め、バスルームをきれいに掃除していった。どうせ、朝になって彼女たちが使えばたちまち汚くなるのだろうけど。トイレットペーパーできれいに髪の毛を拾い上げ、タオルをたたみ…。洗面台もきれいにトイレットペーパーで拭き…。

気がつくと、トイレットペーパーがもうほとんどない。というか、最初からペーパー自体が余り残っていなかった。物を無駄に使うことが嫌いな私。それにいつもなら、あとに使う人のことを考えて、こんな時は自分はポケットティッシュを使ったりしていた。でもこの日は鬼になっていた。一人分くらいのトイレットペーパーを残し、遠慮なくペーパーを使わせてもらう。フフフ、起きてから慌てるといい…。日本人はなぁ、いつもは大人しいけど怒ると怖いんだぞ!それに仕返しは陰湿なんだぞ!

ささやかな復讐を成し遂げ、チェックアウト。時間はまだたっぷりあったが、ロビーに下りてシャトルバスを待つ。遅れること5分でシャトルバス到着。他のホテルでも乗客をピックアップし、一路サンフランシスコ国際空港へ。思ったより規模の小さな空港だった。

帰りの飛行機はなんとガラガラ。私は真ん中のシートの通路側だったけど、たった一人。前のシートなんて、全部空いていた。こんなに空いた飛行機に乗るのは二度目だ(一度目は関西発アムステルダム行きのオランダ航空)。

こうして29日には無事に帰国し、30日には我が家に着いた。日本に帰ってきたときは、この1ヶ月間がまるで夢のように感じられた。そして帰るや否や次はどこへ行こうかと、世界地図を広げて空想旅行している自分がいたのだった。


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