NO 9 チャンス到来中国との架け橋に


記者名:未来コバちゃん

昔々の中国旅行に行っチャイナ NO.9

十数年前の中国視察旅行のエピソードを
少しずつ時間をかけてお話しましょう
広州中国料理理事と歓迎会で
チャンス到来 カラオケハウスとの出会いが中国との架け橋に

私にステップアップのチャンスが訪れたのは、1988年の秋でした。
静岡クラリオンの次長が宴会場にテレビ画面のカラオケをテストで一週間置いてくれないかと言って来た時からです。テレビ画面に歌詞だけが出る初期のものでしたがなんとなくヒラメキ、尋ねてみました。「防音になった部屋で思いきり歌えたら良いのにね」返事は数秒もかからず返ってきました「あるよ姫路に」これが私とカラオケハウスとの出逢いでした。

現地視察そして

すぐに思い立ちカラオケハウス発祥の地岡山に近い姫路に家内と2人現地視察に飛び立ったのは数日後の事でした。(姫路で営業している店舗の殆どはクラリオンの所長が売込み営業している所でノウハウに詳しい為でした。)
静岡クラリオンの社員と姫路駅で待合わせる予定になっていたのですが、
姫路城を見たいと思い予定より早い新幹線で出発しました。姫路駅に降り立つた時、道路は広くその先に姫路城は天高くそびえ風景は清水とは比べ物になりませんでした。
初めての印象は、100万人都市だからカラオケハウスも商売になるのだと思いました。その後待合わせ時間になり姫路クラリオンの所長の迎えで車に乗込み案内してもらいました。幼稚園の園長が経営する店舗、喫茶店の横の駐車場に5室置いただけの営業、最近開業したのに、なかなかわからず探しまわった田んぼの中のカラオケハウス、その後何店舗かを視察、市場調査そして昼間から歌っている主婦達の姿を見て考えが変わりました。
こんなにわかりずらい人家の無い場所でも昼間から、唄っている人達がいる、清水でもうけるかもしれないと直感しました。最後に姫路市のクラリオンのカラオケハウスを造っている業者を紹介してもらいました。敷地3000坪に100コンテナーぐらい並ばせて暗くなるまで工事している製造現場を見せて頂き姫路駅まで送ってもらいました。

よく考え即決断

帰りの新幹線の中でカラオケハウス営業をやる事を決めて静岡クラリオンの次長にすぐ見積りを出すようお願いし夜遅く静岡に着きました。その夜、きょう会ったばかりのカラオケハウス製造業者から明日の朝早く着く汽車でお伺いしたいとの電話があり次の日の早朝、夜行列車で姫路からわざわざ清水にカラオケハウスの販売交渉に訪れました。「現在クラリオンは新しい自社ハウスを造ろうとしており今提供している私のところとは縁を切る積りらしい、だから安くするので買ってくれませんか」と言ってきました。当時は一戸建てのカラオケハウスがCDカラオケ付きで450万円でした。
カラオケハウスを安くすると言うのです当時の定価値段280万円だったと思います。静岡クラリオンに話すと「今度、当社のカラオケハウスを自社で製造し販売するので、値段も安くなりますから一度製造現場の栃木クラリオンへハウスを見に行きませんか」との話でした。
数日後栃木クラリオンへ見に行った所姫路のハウスの方がセンス良く見えました。正直、センスがないと思いましたが将来カラオケビジネスの為には、クラリオンと協力していくのがベストだと思いハウス5棟を注文しました。

  上 富士宮 外神店
  下 右側 清水本店
  下 左側 清水秋葉店


静岡県、県下初カラオケハウスのオープン

オープンは姫路に視察に行ってから2週間後の1988年12月20日
コンテナ型カラオケハウス5棟でのスタートで、これが静岡県、県下初カラオケハウスのオープンでした。

当初レストラン中国の駐車場に5棟置いての営業でしたが「何でコンテナがこんな所にあるの、邪魔ね」など中国料理店にきたお客様にさんざん言われました。当時は1曲100円でコインを入れて歌うシスティムでしたが、当店に来た宴会のお客様に無料でカラオケを歌って頂いたり近所の人に使ってもらったり、早朝から夜12時まで自分で1日中受付にしがみつき接客から掃除まで寝る間も惜しみノウハウをつかもうとした事、これから先カラオケハウスはブームになるのかどうかと、頭を悩まし過ごした日々は今でも決して忘れません。3ヶ月過ぎた頃からお客様がボツボツ入り始めました。

その後、カラオケボックスのブームになり有限会社 中国(営業の為の会社)と中国販売株式会社(音響機器、カラオケハウス販売の会社)と2つの会社を設立し、カラオケハウスの防音を研究し製作から販売へと同時に手がけ、カラオケハウスの営業ノウハウの指導をおこないました。

県内外に店舗を開業 防衛庁自衛隊駐屯地内にも
山形神町自衛隊駐屯地カラオケ開業
県内外に営業指導してチェーン店舗展開させました。数年間盛況が続き弊社でも県内外に直営店6店舗をオープンさせました。横浜店をオープンさせた頃、カラオケハウスを全国の陸上自衛隊にオープンさせたいと、知合いを通じ防衛庁に許可申請を出しました。許可申請中に北海道から順に各駐屯地を訪れ現地調査をしました。
一年後(1992年)許可がおりPKOの養成訓練をしている防衛庁自衛隊山形県神町駐屯地内にカラオケハウスをオープンさせました。自衛隊新聞全国版に「自衛隊内で全国初第1号のカラオケボックスがオープンしました」と大きく載りました。
(その後、自衛隊は人集めの為に自由外泊、週休2日制を導入した為に隊員は午後5時の終了時間が来ると男社会の隊を飛出し駐屯地外の女性のいる店で飲み、午後10時の閉門後は仲間で借りたマンションで外泊し翌8時の開門とともに戻るようになった為、結局ここ一店舗だけの出店で終りました)


つづく


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