愛し愛されて生きるのさ。

愛し愛されて生きるのさ。

その1

○ちあきなおみ『喝采』(1972 作詞・吉田旺/作曲・中村泰士)

 この曲を初めて聴いたのはまだ幼い頃。しかし、曲の出だしのインパクトの強さに、子供心に「すごい曲だ」と思ったのを覚えている。死んでしまった人を悼みながらも歌うしかない女性の切ない心情が歌われている。ちあきなおみ自身も偶然ながらこの歌の内容に近い経験をしているらしい。この歌から感じる「痛さ」はそんなところから由来しているのかもしれない。

○尾崎紀世彦『また逢う日まで』(1971 作詞・阿久悠/作曲・筒美京平)

 私にとって、この曲の最大の魅力は阿久悠先生の歌詞である。「また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは話したくない」コレである。別れのそのわけは話したくないんだそうだ。多くを語る歌詞よりも「話したくない」と突き放してしまう歌詞のほうがグッときてしまったりする。しかし、現実を考えてみても、別れる理由なんてはっきりしてないことの方が多いであろう。「なぜかむなしいだけ」うむうむそうであろう。

○江利チエミ『テネシー・ワルツ』(1951 日本語詞・和田寿三/作曲・PW キング&R スチュワート)
 往年の名曲である。タイトルを聞いてピンとこなくても、きっと誰でも一度は聴いたことがあるだろう。もともとはアメリカでパティ・ペイジという歌手が歌っていたらしいが、残念ながらこれは聴いたことがない。やはり我々が耳にしてきたのは江利チエミ版の『テネシー・ワルツ』である。

 日本でも長きに渡って愛され続けているが、その理由はやはりシンプルでありながら美しいメロディーだろう。最近の音楽はメロディーもリズムも複雑であるが、飽きずに聴き続けられる曲というものはなかなか無い。しかしこの『テネシー・ワルツ』はシンプルであるから故かどうかはわからないが、聞き飽きることが無い。どこか郷愁的で物悲しいメロディーは、平成を生きる私でもどこか懐かしいと思わせる。

 映画『ホタル』で高倉健がハーモニカで演奏する曲もこの曲である。高倉健は一時江利チエミと結婚していたという過去があるだけに、少々驚いた。江利チエミは高倉健と離婚したのちに、若くして不審な死を遂げているのだ。そんな過去を踏まえた上で、健さんの『テネシー・ワルツ』を聴くとちょっと切ないものがある。

○ザ・フォーク・クルセダーズ『悲しくてやりきれない』(1968 作詞・サトウハチロー/作曲・加藤和彦)

 聴いてて本当にやりきれない気分になる曲だ。しかし誰しもが経験する、「なんかわからないけどモヤモヤする気持ち」を叙情的に歌った名曲である。その後、曲は独り歩きし様々な歌手にカバーされる。救いがなく絶望に近い曲ではあるけれど、メロディが綺麗な美しい曲である。

○ペドロ&カプリシャス『五番街のマリーへ』(1973 作詞・阿久悠/作曲・都倉俊一)

 作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一のゴールデンコンビが手がけたヒット曲。

 ちゃんと詞を読んで知ったことだが、この曲は『ジョニィへの伝言』に対するアンサーソングであるらしい。『ジョニィ~』はマリーが主人公の歌で、いつまで経っても現われない恋人に対して別れの言葉を伝言してくれ、という歌。そしてこの『五番街~』はジョニィが「いまマリーは幸せなのか」と想う、追憶の歌である。

 私は歌謡曲の「別れのシチュエーション」に弱い。『また逢う日まで』『喝采』など、別れの場面は実にドラマティックである。安直に「別れた」という言葉を使わずにシチュエーションやドラマが描かれているので、思い切り感情移入してしまう。

 『ジョニィ~』にしろ『五番街~』にしろ、面白いところは想いを直接相手に伝えるのではなく、人を介して想いを伝えようとしているところである。『ジョニィ~』は「ジョニィが来たなら伝えてね わたしはわたしの道を行く」という内容で、『五番街~』は「五番街へ行ったならばマリーの家へ行き どんな暮らししているのか見て来てほしい」という内容である。
「想いを直接伝えることができず、人に託す」という設定がもどかしくて切ない。

 この歌で「いいなぁ」と思ったところは「五番街でうわさをきいて もしも嫁に行って 今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい」というところ。「フッた女の幸せを邪魔したくない」という建て前と「まだちょっと未練があるので幸せでいてほしくない」という勝手な本音が同居している歌詞である。我儘な男の愚かさがなんとなくいとおしくもなる。

 このように、これらの曲は詞の世界がしっかり構築されているのでいろいろと想像できる。そこが歌謡曲の楽しいところではないかと私は勝手に思っている。

○小坂明子『あなた』(1973 作詞/作曲・小坂明子)

 この、160万枚を売り上げた曲を作った当時、小坂明子は16歳だったというから驚きである。こんなに構成がしっかりしている曲を高校の授業中に書いたらしい。天才かもしれない。私は特に、後半の「わたしの横には わたしーのよこーにはー」と盛り上がるところが大好きである。徐々にテンションが上がり最後は大団円、ちゃんとツボを押さえている。

 それに対し、詞はやっぱり16歳である。最初に何となく聴いた時は、「いとしいあなたは今どこに」という詞で、別れてしまった恋人を想う曲なのかと勝手に思っていた。しかしちゃんと詞を読むと、これは全部少女の妄想であることに気づく。妄想というか戯言に近い。しかもまだ知らぬ「あなた」を思う詞というよりも、「ああ、結婚したらこんな生活がしたいわ~」という詞である気がする。

 小坂明子はこの曲がヒットし過ぎてしまったためか、その後あまりパッとしなかった。私もこの曲以外は知らない。しかし今でも音楽業界の裏方としてプロデュース活動をしているらしい。

 妄想炸裂のこの歌は、曲自体の完成度はとても高いと思う。今聴いても色褪せない魅力がある。

○園まり『逢いたくて逢いたくて』(1966 作詞・岩谷時子/作曲・宮川泰)

 以前、この曲のサビをCMで誰かが歌っていた。鶴田真由だった気がするが定かではない。何しろ10年近く前だろうから。それ以来、なんとなく耳から離れなくなったこの曲。

 ちゃんと聴いてみると、メロディも歌詞もかなり甘ったるい歌である。でもその甘ったるさが妙にクセになる。口語体の歌詞がその甘ったるさの原因であるような気がする。「せつなくて 涙が出てきちゃう」とか。

 締めの歌詞が「淋しくて 死にたくなっちゃうわ」とは今の人はなかなか書けない。なんだか直球な歌詞なだけに共感せざるを得ない。淋しいと死にたくなっちゃうよね~、ウンウン。

○太田裕美『木綿のハンカチーフ』(1976 作詞・松本隆/作曲・筒美京平)

 上京した男(就職か進学か)と田舎に残された女との往復書簡というスタイルをとった名曲である。太田裕美は振り付きで愛らしくハキハキと歌っていたが、じっくり詞を読んでみるとかなり切ない曲であることに気づかされる。

 この曲は1番から4番まであり、それぞれ前半が男性の心情が、後半では女性の心情が歌われている。女は男のことを心配するのだが、男はというと都会に馴染んでしまい、最後には待ち続ける女に「ぼくは帰れない」という残酷な言葉を投げつけるのである。そしてその言葉を聞いて、女が最後のお願いとして「涙拭く木綿のハンカチーフください」とねだるのである。

 このシチュエーションが1976年当時、リアルなものであったのかはわからない。いま現在では上京というものはここまで大きな意味を持たない。しかしこの曲のシチュエーションは、のどかな風景と共に歌われていることもあって実に切ない。

○朱里エイコ『北国行きで』(1972 作詞・山上路夫/作曲・鈴木邦彦)

 朱里エイコという人はアメリカのショー・ビジネスの世界で鍛えられた、本格派R&Bシンガーだった。その美脚と力強い歌声で日本の聴衆をノックアウトしたらしい。

 そんな朱里エイコを一躍有名にしたのがこの『北国行きで』である。歌詞の内容はあくまで歌謡曲テイストであるが、メロディラインやボリューム感のある歌声が、普通の歌謡曲とは一線を画している。

 この曲のサビの高揚感は今聴いてもグッとくる。シンプルな構成ながらもメリハリの効いた曲調がしっかりツボを押さえてくる。

 詞の世界も歌謡曲にありがちな「別れ」のシチュエーションである。私は前にも書いたように、歌謡曲の別れのシチュエーションに弱い。細かいモチーフを練りこむことで、奥行きのあるストーリーが展開される世界観がたまらないのである。

 この曲の歌詞もなかなかニクい。

 「にくみ合わないその前に 私は消えていくの」
 「いつも別れましょうと言ったけれど そうよ今度だけは本当のことなの」
 「電話かけてもベルだけが 空き部屋に響くだけ」
 「明日私のいないこと そのときに気づくでしょう」

 二人の関係が醜いものになるまえに、自分から身を引くという、別れ際の女の美学である。こういう詞は今の音楽にはなかなか無い。あったとしてもあまり説得力が伴わない。そこはやはり歌謡曲が持つパワーである。

○山口百恵『さよならの向こう側』(1980 作詞・阿木耀子/作曲・宇崎竜童)

 山口百恵が引退する際に、最後に歌ったラストソングである。

 私は山口百恵という人をリアルタイムでは知らない。しかし過去の映像を見て、その陰のある佇まいにカリスマ性を感じた。デビューしたての彼女はアイドルらしい笑顔を振りまいているが、徐々に大人になり落ち着いた雰囲気を醸し出すようになってからは、まるで菩薩のような表情である。山口百恵という人がただならぬ人であったことは、彼女の表情を見れば伝わってくる。

 山口百恵は引退コンサートでこの曲を歌った後、劇場の客に深々と頭を下げ、マイクを舞台の中央に置いてゴンドラで去っていった。あまり潔く、あまりに神々しい最後である。

○西田佐知子『アカシアの雨がやむとき』(1960 作詞・水木かおる/作曲・藤原秀行)

 かなり「死」が色濃く描かれている曲である。あくまで妄想の段階に留まっているが、かなりギリギリの精神状態に追い詰められた女性の歌である。

 「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」
 「朝の光のその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとは 涙を流して くれるでしょうか」

 フラれたショックで自殺を考える、ちょっとヤバめの歌である。「死」をもって相手の心に暗い影を落とそうとしている。今も昔も、思い込みの激しい女はいたのである。

 パッと聴いただけでは叙情的に歌われているのだが、歌詞は今聴いてもちょっとヤバい。しかし「アカシアの雨」というのが絵画的でこの楽曲に彩りを与えている。

 ちなみに歌っている西田佐知子は関口宏の奥方である。

○ザ・キング・トーンズ『グッドナイト・ベイビー』(1968 作詞・ひろまなみ/作曲・むつひろし)

 ザ・キング・トーンズは日本におけるドゥーワップの先駆者である。昭和35年に男性4人組として結成され、米軍キャンプやナイトクラブ等で活動していたが、この『グッドナイト・ベイビー』の大ヒットで一躍脚光を浴びる。

 リード・テナーの内田正人の伸びやかなハイトーンボイスと耳当たりのいいメロディがとても優しい印象を与える。一日の締めに聴きたい名曲である。よくビジー・フォーが歌っていた記憶が。

○北原ミレイ『ざんげの値打ちもない』(1970 作詞・阿久悠/作曲・村井邦彦)

 北原ミレイという人は、銀座のクラブで歌っていたところをスカウトされて、この『ざんげの値打ちもない』でデビューした人である。もう30年以上歌い続けているベテランである。

 捨てられた女の孤独を歌った、いわゆる「怨み節」である。藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』に近いものがある。しかし藤圭子に比べるとまだ軽めのテイストで聴きやすい。

 そしてこの後、『棄てるものがあるうちはいい』『何も死ぬことはないだろうに』とヒット曲を飛ばす。しかしなんて素晴らしいタイトルなんだ。世を憂う心情がそのままタイトルになっている。『何も死ぬことはないだろうに』どんな曲なんだ一体。




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