confuoco Dalnara

miscellenia5


Korean Cinema Weekがはじまった。
今日観た『裸足のキボン』のシン・ヒョンジュンの役作りは
『オアシス』 のムン・ソリと対照的で興味深かった。


Hairspray &...
Korean Cinema Week今年のテーマは家族の絆。
今日観たのは『優雅な世界』と『眩しい日に』。

Hairspray も家族の絆、そして友情が描かれている。
娯楽作品だけれど人種差別問題も扱っていて...
ミュージカル作品 は人種差別をテーマにしている比率が映画よりも高い気がした。

ミュージカルではないけれど Mrs. Henderson Presents も欧州の民族差別が見え隠れする。

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歌を交わすOnce
まるで小鳥のように
歌が言葉のように
歌を交わして友情を深める
彼(Glen Hansard)と彼女(Marketa Irglova)。

ふたりの役には名前がなかった!
(街の風景を切り取ったミュージカルのようでもあるし...
無名故の普遍性を獲得しているようでもある)

彼女は街で花を売ったり
Big Issue を売っている。
彼は掃除機の修理をし、作曲し、
夜は街で歌っている。

アイルランドの映画も いろいろ ...。

『ONCE ダブリンの街角で』を観て。


茅瑛-Angela Mao
久しぶりの カンフー映画
ブルース・リー李小龍の妹分アンジェラ・マオの『足台拳震九州(テコンドーが炸裂する時)』を観る。

正義感と情熱を、中国人らしい合理的判断で抑える
アンジェラの役はなかなか魅力的。
ジャッキー・チェンの映画などでよく観ていたはずなのに
サモ・ハン・キンポーがわからなかった(^^;)黄仁植共演。

中国語の聞き取りはまだまだだけれど...
「韓国人」は中国語で韓国人と言っていて、
映画に登場する日本人が「朝鮮人」と言う時は中国語で高麗人と言っているようだった。
カンフーとテコンドー両方楽しめるし
韓国らしく 聖堂 が登場するのも興味深かった。
韓国ロケをしたという『鐵掌旋風腿』も観てみたかった、外国人の目に映る70年代の風景を。

ゴールデン・ハーベスト社は1970年代に韓国を題材にしたカンフー映画を撮っていた、
という背景が興味深い。清対漢民族、日本対中国と同じ構図の日本対韓国&中国なのだろう、ハリウッドの映画のいくつかが旧ソ連対米国、中東対米国と仮想敵国を設定しているように...

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MARIA-200 Pounds Beauty 美女はつらいの
『カンナさん大成功です!』(原題『美女はつらいの』)を観に行く。
たくさん笑いながらも切ない恋心に共感し涙する。
カンナさんはカン・ハンナという役名になっている(早口で言うとカンナさんになる...)。
自分をかくした恋、identityに悩み恋する姿は Cyrano de Bergerac にも重なる...
12/9の韓国映画ショーケース2007
「国境を越える映画の力」というパネル・ディスカッションで
キム・ヨンファ監督とノ・ユニ・プロデューサーの話を聞く。
映画の企画は2001年には製作会社に提案していたという。
原作は日本、映画化は韓国で今回日本でも公開されたのを
「日本で生まれて韓国に嫁に行って日本の実家に帰ってきたような」
と譬えていた。

恋する女性は聖女、マリアなのでぴったりな映画の主題歌 MARIA
Rockを歌うのは久しぶりだけれど年末のカラオケでShout。
韓国語ver.は原曲同様 を踏んでいて(日本ver.は押韻していない)
詞は原曲の妖しさがなく爽やかな感じ。
次回は原曲を歌います♪

チュ・ジンモ かっこよくなった?

French rhyme

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密陽 secret sunshine
子どもを亡くし嘆き悲しむ姿は ギリシャ 神話のよう
許しを与える神の二義性ダブル・スタンダードに苦笑いしてしまう。

神は慰労にはなるけれど地上の問題を解決してはいない。
神に挑戦し意味を問いかけるシネの名が信愛というのが皮肉のようでもある。

半島に固有な という精神は
キリスト教 と出合って宗教型の恨に姿を変えたようにも見える。
シネもキリスト教と出あい恩讐を超えて許しを与えようとするが
持ち前の正義感と合理的(論理的)精神からその、演繹的でない胡散臭さになじめない。
宗教というふるい皮膚感覚、論理を飛び越した価値観で自分を納得させるのではなく
自分の論理で、時間をかけて自分を納得させ折り合いをつけようとする。

神から見たら傲岸不遜な姿でもあるが
許した、許されたなど自分の問題を神に丸投げして
自分を救ったつもりになっている宗教とシネの考えや行動は全く違っていて、
傷が癒えるまえに宗教の瘡蓋で傷口に蓋をしたりはしない。
感情の赴く先を宗教で抑えつけることなく葛藤し苦闘する姿は痛ましいけれど
人間が自らを助ける力が伝わってきて...尊く思った。人間の人間性の尊さが伝わってくる。

映画を観ながら ニーチェ 神は死んだ
マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」にある 宗教は麻薬
という言葉を思い出した。

宗教と哲学が真理に到る道が違うこと、
一方は啓示や信仰といった回路の短い、プロセスを飛ばした経路で真理に到ろうとすることが多く
もう一方は論理や理性や自力で納得して到達することが多く...
(ちょっと 『私たちの幸せな時間』 と対照的)
心が見る真実を宗教の瘡蓋で閉じてしまわずに
心のままに受け入れようとする強い、独立したゆえに孤立した強い精神が感じられる。

うつむいたりしない、まっすぐな女性の姿は 『オアシス』 のコンジュにも通じる。
イ・チャンドン監督の作品だからなのか、それぞれの女優の資質なのか...

密陽と言えば 朝鮮通信使 の通った道といった古のロマンも思い浮かぶけれど...

釜山 の海岸の密陽。

『王の男』 とNietzsche。

Dionysus とNietzsche。

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呉清源
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彷徨える魂の描写か...
新興宗教にのめり込む日々が長かったけれど
昭和という時代を伝えていたようには思う。

『呉清源 極みの棋譜』を観て。
to be continued...?


その時、その人々
おやじ(韓国語ではハラボジ=おじいさんと呼ばれている)
と呼ばれていた大統領暗殺を緩急のあるリズムで描き出す。
The Godfather の暗殺者たちが兵隊として規律正しくStylishに行動しているなら
この映画の暗殺者たちは全く訓練されていない兵士か
アドリブだらけの人間くさい人間として行動している。 Jazz の演奏のようで、 The Godfather より偶有性がかっている。

その心の動きやあわてた行動にはユーモアがあり、
歴史 の闇に沈んでいった「その時のその人々」の運命や心情に寄り添うような...
監督のあたたかいまなざしが透かされている。
ユン・ヨジョンのナレーションが
何も語ることが出来ず刑に処された人々の生を掬い上げ
死を悼むかのように響いていた。

冒頭でユン・ヨジョンが車を降ろされた界隈は
このあたり だろうか。
行きかう車も人もいない坂道のからっぽさが予言的で象徴的だった。

邦題は『ユゴ 大統領有故』。 


Blades of Glory
The Producers でのWill Ferrellはアメリカの佐藤二朗に思えたけれど
今回のWillもSaturday Night Live風?ブラックでパワフルな笑いだった。
(WillのPresidential Bashを見てみたい)
友情と男気にあふれる少年ジャンプ的世界を大人な氷とgayの裏世界にIron Lotusで投げ飛ばした風味。

PC(political correctness)的にどうか...と思えたのがChazz Michael Michaels(Will Ferrell)の「父親がいないから...」のセリフ。
原題は Blades of Glory (=栄光のブレード、blade=gayの意味もあるので栄光のgay)でタイトルからしてPC的な問題を孕んでいるけれどQueenの Flash Gordon が流れてさらにもうひと押ししている。

あとは...男子シングルで3位になって表彰台に上る韓国と
最もcrazyな国として登場する北朝鮮が対照的で
南北のbranding、受け止められ方の対比を見て複雑な気持ちになった...。


Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street
禍福はあざなえる縄の如し
という言葉が浮かんだ。

出会える喜び邂逅する喜びに気づかず
背中合わせに訪れる別れに心が痛む。

復讐、そして娘との再会は
映画なら... 『オールド・ボーイ』 を思い出す。

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出演者のうち3人が(Helena Bonham Carter、Alan Rickman、Timothy Spall)
Harry Potterシリーズに出演しているのでちょっとdejavu感があった。

deracine PERSEPOLIS
PUNK好き、そして同じような?deracine(根なし草)だったので
彷徨がよくわかる。

ほくろがなくなるのが象徴的。
ほくろがなくなって
少女が大人になっても
傷ついた心を抱きしめてくれる祖母がすてき。
主人公がまちがっている時には
「まちがっている!」とはっきり言って
だきしめるべき時はなにも聞かずに抱きしめる...
両親も娘を信じてただ愛して受け入れている姿が
当時の国家とは対照的な姿で心に残った。
キアロスタミ の作品ともまた違う、等身大で現在形の姿。

フランスを代表する女優たちが声の出演をしているので仏語オリジナル版を観に行ったが英語版は Iggy Pop が出演していたと聞いて気になった。Iggyの低音を映画館で聞くのはかなり素敵な感じだ。

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Rembrandt's Nightwatch
Peter Greenawayが Da Vinci Code の謎を解くように...
絵が眼になって
絵の奥底の世界を透視させるような映画。

夜警たちは舞台のような絵と言う。
画家は語られない真実を描いたと言う。
硬貨の裏表のような、絵の二重性、真実の両側から迫り挟み込む二重性、
絵を見る眼と絵が外に向けて開く眼、絵と眼の関係を意識した。

光を彫刻するRembrandt's lightの光と影も絵の裏表、真実の両側のように見えた。

HendrickjeがRembrandtの眼をなめるところで
大楠道代と原田芳雄を思い出した。

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コナ・ニシテ・フウ
YOSHIMOTO DIRECTORS 100による
デーモン小暮閣下初監督作品『コナ・ニシテ・フウ』を観る。

魔暦紀元前2(1997)年末、デーモン閣下の世を忍ぶ仮の父親が突然他界した。故人は宗教行事が大嫌いであったし“悪魔”の社会的イメージとの兼ね合いもありどんな葬儀を出すのかメディアへの対応を含め関係者は大わらわ。今までメディアで語られることの無かった当時の模様を、事実に基づいてシュールに脚色した衝撃のフィクション! (作品資料より)

世を忍ぶ仮の父親をどのように送るか
残された家族が故人の遺志を尊重した葬儀を模索しながら
広島のおじさんたちによってカラッと明るく語られる故人の
素敵な姿が徐々に浮かび上がる(お父さん役の輪島が豪胆で良い)。

一見フツーの家庭のお葬式までのドタバタにも見えるけれど...
故人の遺志の尊重と
家族のプライバシー(聖飢魔II活動)を守ること
を両立しながら追慕する手作りのお葬式は
あったかくてよかった。
圧巻は故人に縁のあるアメリカの地での風葬。
風葬という「コナ・ニシテ・フウ」な弔い。

おもしろくって最後はほろりとする映画は好き。 韓国のコメディ映画 もそうだし。
次回作も楽しみ。


Дневной дозор
光の異種と闇の異種の戦い第2弾。
『ナイト・ウォッチ』 の続編。

光の異種のリーダーは中小企業のトップみたいに親しみがあるし
闇の異種のリーダーと公園のベンチで語り合うところなどでは
ふたりとも天使っぽく(校長先生っぽく)見えるのだけれど...。

人間と異種の境界にいるような、主人公アントンの平凡さがおもしろい。
アントンの平凡ゆえの常識、人間性がまわりを救うことになるのが象徴的で興味深い。
人間と異種の間で綱渡りしているようなあいまいさ、混沌、迷いに対して肯定的。

父と子の物語が今度は二重奏になって...
ひとつは悲痛な響を奏でる(このシリーズは母性より父性が強く意識される。ロシア文学の伝統を引き継いでいるよう)。

今のロシアの嗜好、好みが映画に反映しているようで
ロシアン・ロックな音楽やロックっぽい衣装に街を走るデコトラ、
そしてロシアがアラブ諸国に近接していることを意識させられる設定
(古代のチョークを取りに行く先が西方)が印象的だった。

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『デイ・ウォッチ』を観て。


黄金の羅針盤
ヴェールがそっと上がると同時に
観客も別世界に足を踏み入れていくように...ライラの住む世界に入って行くカメラ。
ライラのオックスフォードから映画ははじまった。

本で読んでいた世界
ダイモン(守護精霊)たちが子供たちのまわりをかけめぐり
ライラのダイモンがオコジョからネコ、小鳥に姿を変えていく世界が映像化されているのにわくわくする。

正義感にあふれつつ嘘つきという両刃の剣のようなライラのイブらしさが少しずつ姿を現す。Silvertongue!
もうひとり、とってもイブらしいコールター夫人はライラのもうひとつのダイモン、あるいは鏡像を象徴しているようにも見えるけれど第一部では優雅。
コールター夫人の衣装の襞も、時に別の世界を意識させる陰翳があって興味深い。

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Newton, and Lyra

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映画館にあった発泡スチロール王制作の鎧熊イオレク・バーニソン!woosh!

書籍英国版は Northern Lights で、
米国版は The Golden Compass
ハリー・ポッターも英国版と米国版でタイトルが違っていたけれど...


黒い土と
家族3人分の辛ラーメン3袋と
焼酎の緑色の小瓶を抱えて
ピアノ練習室で息をひそめていた少女を見るのがつらかった。
やがて少女は逃亡中なのも忘れ
まどろみ夢を見ているかのようにピアノの部屋でひと時を過ごす。
その時は
兄を守り、父を助ける殊勝で大人びた少女が
ひとりの子どもにもどっていた。

そんな場面にもがんぜない少女の姿と、その過酷な生が対比されている。
一枚の絵として切り取ったら
ピアノの練習室ですやすや眠る女の子なのに...
頭の中は家族を守り助ける計画でいっぱいなのだ。

時々口をつく父親の慶尚道のなまりから
働き口を求めて遠く炭鉱の地までやって来た背景がありそうな気がした。
時々話す慶尚道の言葉から
ここではないどこかへ、故郷へ帰りたいのではないか、と
父親の孤立した位置や孤独感も感じる。

この一家にとって土の色は黒いままなのだろうか。
炭鉱の色の、黒い土から
もっと白い土、赤い土の地に行くことができるのだろうか...

以前観た 『ゲオ・ロボトミー』 も思い出す。
江原道の炭鉱の山が舞台で炭鉱が閉山されてカジノを作るという話だった。
『ゲオ・ロボトミー』は荒唐無稽さとリアルさが紙一重で
ちょっとキム・ギドクの 『ワイルド・アニマルズ』 を思い出させるような...気もしたけれど。
『黒い土の少女』も同じように、パラレルに
少女の夢幻と現実の狭間を描いている。

黙して語らず、
あまり踏み込んでいない、近づいてこないようすのカン・スヨンも印象的だった。
家族が映画の核で
少女の世界はその核、家族の外からは出て行かない切なさがある。

『黒い土の少女』を韓国アートフィルムショーケース(KAFS)で観て。
アートフィルムとカテゴライズされるのには違和感があるかれど反韓流の映画という枠組らしい。
去年 釜山国際映画祭 では観れなくてやっと観ることができた。


Ключ My Blueberry Nights
Norah Jonesの Come Away with Me はよく聴いていたので
ノラの声にすっかり魅せられて
スクリーンでも彼女の声を聴きたいと思った。

映画を観ながら、
王家衛のほかのどんな作品よりもドラマ「私の名前はキム・サムスン」が思い出された。
「恋せよ、傷ついたことがないように」
つぎの恋に踏み出すまでのためらい。
空間的(旅)時間的距離と恋の一挙手一投足。

ブルーベリーパイがなぜ売れ残るのかわからない。ジェレミーは言う。
恋のはじまりも
恋の終わりもそんなものかもしれない...。パイに秘められた真理がちょっとおもしろかった。( Don't Know Why
恋のマーケティング講義。

ブルーベリーは部屋の出窓で育てたり
ブルーベリー摘み に行ってブルーベリータルトを焼いたり想い出のある果実。
子どものころはI.Hotelのブルーベリーパイが好きでよく食べていた。
ブルーベリーがぎっしり、カスタードもクリームもなく
ただブルーベリーだけが入っているまん丸いパイ。
久しぶりに買ってみた(自分で買うのははじめてかも?!)、
そして手持ちの春夏服でMy Blueberry Nightsな色あわせ。

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カフェの戸にあったロシア語が気になっていた。
Ключ。
店の名前だったのに
その店の名前がなかなか会話に出てこない。
Ключ=key。

今聴いているノラは
Herbie Hancock's River: The Joni Letters (the 50th album of the year 2007, Grammy Award)の一曲。


色、戒
前作もそうだったけれど
状況、背景だけに情愛の置かれているつらい運命をかんたんに語らせているような手法が
恋に対して不誠実な感じがしてあまり共感できないスタイルだった。

恋・恋愛と情愛(色)は違うのに
情愛だけにただ殉教的に突き進んでいる。
愛ではないという違和感があった。

ヒロインは映画好きで
映画から恋をおぼえたと伝わらなくもない伏線がかすかに表現されてはいるが...
恋の切実さはなく(情愛の切実さや孤独感はあったと思う)
ただヒロインのやぶにらみの視線は蠱惑的に見えて
恋と錯覚するには十分かも。

江戸時代は恋愛という概念がなく
あったのは「色」だけと聞いたことを思い出した。
東アジアもそのあたり、
いろではない、恋愛の発達と発展に関しては共通しているかもしれない...

易先生の部屋に孫文の写真があったのが印象的。
梁朝偉 はちょっと似た風貌で...
もしかしたら心の奥底では革命を求めていたのかも...と深読みしてしまう。


恋の罠
朝鮮男女相悦之詞 スキャンダル )はラクロの 危険な関係 が原作なので
これこそ恋愛心理小説の流れをくんだ「恋の罠」という感じがしたけれど...

原題が 淫乱書生 のこの作品は
どちらかといえば 王の男 Bildungsroman 、男のロマンを足したような趣。

カッという両班(貴族階級)が被る帽子を脱いでまで
小説に情熱を燃やす姿は
時代の背景、儒教思想を考えると
タブーや障害を乗り越えようとする、
稀有で自由な芸の道、思いきりと感じる。
(司馬遼太郎や姜在彦を読んだ記憶を思い合わせると
半島は江戸の文化ほどには爛熟した闊達さはなかったから...)

映画『恋の罠』を観て。

ハン・ソッキュ出演作。
朱紅文字 その時、その人々

茶道の所作や道具が興味深かった。
ドラマ「宮」とはまた違った趣の道具で...。


星の光の中へ
花火ではない。
ドン・キホーテのように仮想とも戦わなくてはならない国の夜空の下で
蝶になった恋人たちの物語。

批判や皮肉ではなく
哀惜と幻想で時代を悼む手法が心に残る。
いくつかのシーンは
ほかの韓国映画(たとえば『懐かしの庭』)のシーンと結びついて
心のなかでだんだんと歴史の像が広がりを増してくる。

『永遠の魂』を観て。

原題は『星の光の中へ』だけれど
邦題の永遠の魂、は韓国語でなじみがある。
韓国のHipHopの詞でも時おり耳にするから。
Drunken Tiger の曲などでも心にひっかかった。
歌にしろ映画にしろ、
永遠の魂は胸に突き刺さって引っかかる言葉。

チャ・スヨンはよくみかける。
藝大の 「共謀映画」
昨年PIFFで観た『ここではないどこかへ』でも主演している。

チョン・ジニョンが友情出演でも特別出演でもなく
名前の横に義務出演とクレジットにあったのがくすりとおかしかった。


GO
このために 『GO』をもう一度観た。
正一が刺される場面は
京都の国際会館駅で撮影されているようだ。
国際、という駅名が、言葉が痛烈な皮肉になっている。


No Country for Old Men
アメリカの来た道、
時代の終焉とPuritanismの末路を感じた。
ベトナムがひとつの分岐点だったのだろうか。

宗教のくびきがはずれ人間性の悪と不条理が描かれている。
新大陸が逸脱したProtestant Ethicが
タイトルのNo Countries for Old Menと呟かせる。

作品名はYeatsの詩"Sailing to Byzantium" の最初の一節からとられているそう。

That is no country for old men. The young
In one another's arms, birds in the trees
- Those dying generations - at their song,
The salmon-falls, the mackerel-crowded seas,
Fish, flesh, or fowl, commend all summer long
Whatever is begotten, born, and dies.
Caught in that sensual music all neglect
Monuments of unageing intellect.




詩の内容には
キリスト教の直線的な世界観というよりは
円環思想が表れている。
生と死だけがすべての生きものに平等なはずなのに...という嘆きが
映画の奥から響いてくる気がした。


There Will Be Blood
No Country for Old Men に引き続き...
アメリカの欲(業)が
ピューリタニズム(プロテスタンティズム)と対峙し
凌駕して来たプリミティブな歴史を感じた。

石油も他人の血も流させることはするが
決して自分の血は流さない。

背景に失われたなにかへの渇望も感じられて
オーソン・ウェルズの『市民ケーン』を思い出した...

あれだけ石油を燃やしているように見えた映画は
carbon neutral movieだった。
ちなみに 『ノー・カントリー』 carbon neutral な映画。
映画という産業にもCO2削減の動きが入ってきている。
The Inconvenient Truth

音楽は Radiohead

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を観て。


華麗なる休暇
光州5・18事件を映画化した作品の原題は
『華麗なる休暇』。
民主化途上の無残な歴史の前にただ涙を流すしかなく、
映画として「鑑賞」することはできなかった。

韓国の映画やドラマを観れば観るほど
その背景の歴史、苦難の歴史を知れば知るほど
そんな苦難を乗り越えて生きている韓国の人々がいっそう愛おしくなり
抱きしめたくなったりする...
きっかけは 『殺人の追憶』

去年観た、 『懐かしの庭』 などにもつながった。

『子猫をおねがい』 のイ・ヨウォンを久しぶりに映画の中で観た気がする。

『光州5・18』を観て。



It's raining again--Speed Racer Japan Premiere
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family ties + ice hockey + Rice Bowl + Segway promotion committeeのような...
家族愛にちょっとじんわり。
The winner's drinking a glass bottle of milk after the race is only seen in the Indianapolis 500.
Well, so was the race Indy 500?

『世界最速のインディアン』 のアナログ感とは対極の
CGチカチカ。

ピ(RAIN)がゲストに来ていなくて残念だった。雨だったのに...
片山右京は見れたけど...


21
Such American students!

最近、 No Countries for Old Men
There Will be Blood を観て
また新しいアメリカ観、アメリカ人の像が層になっていっている。
今度はIvy Leagueの学生たち。

日本と比べると
大学に入っても勉強を続けるためには奨学金やらなにやらで苛酷な競争と学生生活が続いていると感じた。
時給8$のアルバイト、3人でビールを飲みに行ったらひとり8$ずつの支払いにも汲々としている。

最近数独が日課なので
ちょっと数学っぽい話やcard countingのテーマが興味深かった。
ドラマ「雪の女王」でも
ゴルトベルク変奏曲 と共に数学の話はインプットされたし。

数字6を表す語を銃にしている。
つくづく銃社会なのかもと思う。
『ミスティック・リバー』 を思い出す。

学生の話す英語も興味深い。
Go public!

『俺たちフィギュアスケーター』 にも出てきたが
ここでも韓国系がふたり登場。
超難関奨学金を勝ち得た学生(会話の中だけ)と
同じ21のチームの学生(ちょっと朴智星似☆)。

Stereotypeな、
アメリカ人から観たアジア人像として
Harold & Kumar も観てみたい...

『ラスベガスをぶっつぶせ』を観て。


The Illusionist
オーストリア皇太子の造形が
マイヤーリンク事件とリンクしそうな...、
現実の歴史を翳のように背負った物語が興味深かった。
謎解きは The Prestige よりも
正統派、シャーロック・ホームズっぽく...
失われた(あるいは奪われた)花嫁といった感があっておもしろかった。

『幻影師アイゼンハイム』を観て。


Cyborg
『僕の彼女はサイボーグ』を観て。
正義感が強い主人公たちふたりの行動を観ていると
今日本や世界で起こっている天災や殺人で亡くなった方々への
レクイエムになっているのを感じた。
そんな思いを感じて涙が何度か。
神戸の街が綺麗に映っていた。

クァク・ジェヨン監督はチョン・ジヒョンの時と同じように
綾瀬はるかの魅力をあふれさせていて、とってもカワイイ。

ジローが友人たちとお酒を飲む時
爆弾酒をしていたり
田舎に帰る時バスの中でゆで卵を食べるのが韓国っぽかった。

パク・チャヌクの サイボーグ

2 Days in Paris
Julie Delpy監督作品。多彩な才能。
インタビューによると After Hours という作品が好きで
そんなイメージで『パリ、恋人たちの二日間』を撮ったそう。
After Hours も観てみたい。

Julie Delpyの歌う"Lalala"を聴いていると
"Lo que sera, sera"(ケセラセラ)という気分になる。

コミュニケーションが主題のひとつで
ちょっとだけ Lost in Translation を思い出した。
でも...so what?


Art Brut 展ではじめてHenry Dargerの作品を知り
物語の背後の世界観に興味を抱いた。

神に対峙する姿が
The New York Dollの
Arthur 'Killer' Kane とは反対で
Secret Sunshine のシネに近い感じがした。

神がいたからこそ
運命や宿命について考え
自分を相対化し
創作できたのかどうか...
神との対話は『密陽』にも連なる。
天上的なものと地上的なもののせめぎあい...

古代ギリシャの
運命と宿命の舞台も思い浮かぶ。

韓国ドラマとギリシャ悲劇、アリストテレスの「詩学」

The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion)



人間観察とHOT FUZZ
田舎と言えば牧歌的でのどかで平和で...
というイメージをくつがえす事件は
アガサ・クリスティのミス・マープルを思い起こさせる。
安楽椅子探偵ではなく
ロンドンから来たエリート警官が
人間の裏の姿と村の人々の間にある
価値観の相違や世代間のcrevasse、gapを焙り出す。
田園の人間観察はおもしろい。

Nicholas Angel(Simon Pegg)の正義感あふれる姿は爽やかで
Timothy Daltonは登場したときから悪役な感じもしたけれど...

オタクっぽくいろいろな刑事もの映画へのHomageになっているところは
イギリス料理にしてはこってりした感じ。

うちの ミス・マープル

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ノムノムノム The Good, The Bad, and The Weird
ソン・ガンホは脚本を読んだ時
(オレがいい奴の役だ...)と思ったそう。
家族をはじめ周りの人みんなが「ソン・ガンホはヘンな奴の役しかない!」と思っていたというのに。
楽天的というか、愛すべきキャラクター。
映画の中ではヘンでオカシイ、ちょっと底知れぬ怖さのある「悪い奴」だった、
No Country の悪役ともまた違う...

満州が舞台の韓国ウェスタン活劇。
馬賊の登場する背景に歴史のロマンを感じた。
砂漠での邂逅に 『武士』 を思い出す。

ソン・ガンホのいろいろな顔を楽しんでいる、 『殺人の追憶』 から
『シークレット・サンシャイン』 、そして『いい奴悪い奴ヘンな奴』まで。

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『いい奴悪い奴ヘンな奴』の略称がノムノムノム。Central Cityで。



India:Matri Bhumi
暑い夏は暑いインドの映画で。

象つかいのエピソードには
ゾウを働かせるなんて、
とさいしょ思ったけれど...
ジャングルの老人と虎のエピソード
サーカスの猿と猿使い、と動物と人間の関わる話が重ねられて行くにつれ
動物と人間の命の重さが等分に量られている、
苛酷な風土の現実を感じた。

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Roberto Rossellini監督。

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果物の切り口が愛らしい飴を映画のお供にいただいた。
コインケースの果物とリンクする姿。



ぽにょ
おやすみ中w

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駅の柱がぽにょギャラリーになっていました。
ぽにょの寝てる姿を見ると
魚のおなかって河童みたい...と思いました。

映画の中でぽにょのお父さんが醸造しているもの(ぽにょが飲んでパワーアップして女の子になる)は
お酒(ウィスキー)と思って観ていたんですが
同意してくれるひとが誰もいませんでした。
でも瓶に1900年代や1800年代の西暦が書いてあったから
年代物のお酒と思ったんだけどなぁ。



alley-oop & Semi-Pro
ABA(American Basketball Association)がNBAに吸収されなくなってしまう話も
alley-oop(アリウープ)誕生秘話も興味深かった、fictionだけど。

主演が同じくWill Ferrellなので
『俺たちフィギュアスケーター』 と同列の映画とされているけれど...
先月観たB級そのものの『カンフー・ダンク』よりは
スポーツ界のM&Aがうかがえる『俺たちダンクシューター』がずっとおもしろかった。

ポスターの70~80年代っぽさがなかなかカワイイ。

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Woody Harrelson、 No Country for Old Men の時とちがう...

『俺たちフィギュアスケーター』と 『HOT FUZZ ホットファズ-俺たちスーパーポリスメン!-』
『俺たちダンクシューター』3作全部の半券を集めるとフォトカード・セットがもらえると聞いた。フィギュアスケーターは1月だったので半券がもう残っていなくて残念...


Tokyo! Shaking Tokyo!
ミシェル・ゴンドリー は『恋愛睡眠』の時も Eternal Sunshine of the Spotless Mind の時もすこし舟を漕いでしまったが...
このオムニバス作品『インテリア・デザイン』では
東京の路地や住宅への愛着が感じられてなかなかおもしろかった。

キム・ギドクの Wild Animals にも出演したDenis Lavant、そしてレオス・カラックスの『メルド』は不気味だけれど
危機感が想起されるおもしろさ。

いちばん気に入ったのは
ポン・ジュノ の『シェイキング東京』。

下北沢に近そうな(実は違う)風景や
現実にありそうなひきこもりの話、
そして揺れる東京を外国人から観ると...という部分ではなく
谷崎潤一郎的な視線がおもしろかった。

肌と釦の刺青のクローズアップは
現代的な衣装と皮膚の裏に
古典的な陰翳礼賛を秘めていて
その微かな色気、ひそやかなため息のような湿った美、谷崎を感じた。
おもしろい。意外と韓国と日本の美意識の根底に近いものもあるのだろうか...

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It's a Free World...
資本主義経済は自由経済。
その自由な経済の潮の流れのまま
だれにでも幸せになる自由はある、
あちら側の世界に足を踏み出す権利はある、
もうひとつの足でだれかの幸福を踏みにじりながら...という映画。

Sex and the City の裏バージョンにも見えた。
やっと人生を享受できるようになった女性たち。
彼女たちが仕事も恋も、とよくばる姿にためらいや迷いはない。
たとえ怖い目にあったとしても
外国人労働者を斡旋し続ける仕事をやめるつもりはない。
自分も自分の子どもも幸せになりたい、幸せになれるはず、という一心で突き進む、
それがFree World。

Ken Loach/Paul Lavertyの描き方はヒロインの生き方を非難したり審判を下すわけでもなく
愚かで、自己の欲望に忠実で
愚かな行いを繰り返してしまうひとりの人間を見つめる。
搾取される外国人労働者が救われるような
現実とかけ離れた描き方はしない。
監督の目が観たリアリティをただ淡々と映し出す。
その手法が、後日9月に観たある映画にリンクした。

さいしょは華やかなヒロインに手を伸ばしそうになるけれど
だんだん違和感と嫌悪感を感じる。
その感情は私たちが現代社会や資本主義経済に潜在的に抱いている感情に似ている。
足元を見て
手をひっこめるかどうかは自分次第、ということなのだろうか。

麦の穂を揺らす風

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闇の子供たち
映画を製作した監督・スタッフの勇気に心を動かされる。

この映画を観て頭の中に三角形が浮かんだ。

3年前に大阪で開催された「日韓映画バトル」。
『子猫をお願い』 の上映に続いて
阪本順治監督の 『この世の外へ~クラブ進駐軍』
ユン・イノ監督『バリケード』が上映され
阪本順治監督とユン・イノ監督が映画について語った。

『バリケード』は恨を抱いて生きる息子と父の確執と和解を縦糸に
息子の同僚の外国人労働者たちの生活と交流を横糸に描いた10年ほど前の作品。
搾取する者と搾取される者、
強者と弱者の問題も炙り出されるこの作品の心情が
もしかしたら『闇の子供たち』につながったのかもしれないと感じた。

『闇の子供たち』製作にあたっては恵泉女学園大学の斉藤先生が子どもたちへ配慮した描写を助言していたそう。
そのためだろうか
行間に言外に多くの問題をにじませた
抑制した演出が深く心に沈殿していった。
人間に表と裏の顔があるように
映画に表出されている現実と
裏面にある、読み取らなければならない真実が背中合わせになっている。
社会、経済、政治、医療が持つ構造的な問題も遠因になっているであろう
隠れた現実と真実に思い至る。

阪本監督の演出手法から
ケン・ローチ監督の 『この自由な世界で』 も想起した。
もはやカタルシスのない現実世界から
人間、人間性、人間の二面性に思い至る演出。
そうして
ユン・イノ、阪本順治、ケン・ローチの三角形がつながった。

今年の釜山国際映画祭で観た韓国の作品には
韓国に滞在し、働く外国人のいる風景も目に付いた。
ユン・イノ監督の水脈がつながっている感も抱いた。

阪本監督も釜山に来ていたが参席できなくて残念。


落下の王国
ひと目観て
サルマン・ラシュディの小説 Midnight's Children を思い出した。
インド 的な空想力の賜物、が共通している気がした。
El ingenioso hidalgo Don Quijote de la Mancha も少し思い出したが...
映像は万華鏡のような美しさと、落下する哀しみに満ちている。

1920年ころの映画人へのオマージュになっていて
Intolerance のセットをつくっていたイタリア人たちを描いた
『グッド・モーニング・バビロン!』も思い出す。
(今年の釜山で映画に再会、監督にも会えた)

登場する Darwin が興味深い。

Intolerance=不寛容

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Alaska, Into the Wild
荒野に立つ孤独を選んだ主人公だけれど
ヒッピーや老人との交流で
秘めた心の傷を癒し癒されている姿が清清しい。
"Happiness is only real when shared"

存在は相対的なものなのか?
哲学と社会学を行き来するような旅の思い。

主人公は最後には
元の場所に帰るつもりだったのかどうか...
心にひっかかる。

流雲から
良寛なども思い出した。

Speed Racer の時とはちがうEmile Hirschの姿。

Sean Penn 監督作品。

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天下壮士Madonna
transgenderの少年が夢を追い求める話。
夢見る少女のように生きている(そう見える)
少年の若い母親が少年を無条件ですべて受け入れ、支えている姿がカッコよかった。

いろいろな映画でいろいろな師匠役(ケンカの達人、いかさま師)で登場する
ペク・ユンシク先生がやっぱりくすりとおかしい。

少年がMadonnaの Like a Virgin を歌うところは
HAPPYで楽しい。

韓国相撲・シルムのことはよく知らなかったが
知恵の輪を解くみたいに複雑なところもあるみたい...
興味深かった。

to be continued...?

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Master Class by Maestro Paolo Taviani
韓国映画を通して
韓国が好きになったというタヴィアーニ監督が来釜。
映画について語るマスタークラスの時間。

現実と虚構のあわいに
現実を意識し、歴史を想像させる奥深さのあるMaestroの話だった。
Neorealismo!

「現実と想像の間を行ったり来たりできる」
から子どもの目から世界を見た作品も撮っている。
子どもが好きなので、とも話していたが。
Pan's Labyrinth を思い出す。

お兄さんのヴィットリオとは毎朝会って
散歩したりテーブルをはさんで映画の仕事をしているそう。
ゆったりと
でもたゆみない映画の歩みが目に浮かぶよう。
次の作品が楽しみ。

ツイ・ハークとアンナ・カリーナのマスタークラスも聴きたかった...
アンナ・カリーナ監督映画のプロデューサーに勧められたけれど...
ツイ・ハークの最新作は
最終的に中国政府の許可が下りず上映されないことになって残念だった。

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