また別の時、ペドロ・アルモドヴァールの1991年の作品、「ハイヒール(原題 Tacones Lejanos)」で使われた、しつこく纏わりつくような歌い方をする女性歌手のことを知りたくて、調べた結果たどり着いたのがルス・カサル(Luz Casal)で、映画で使われていたのは、彼女の「Piensa en mi」と「Un año de amor」の二曲だった。この発見が約二ヶ月前のこと。(ところで、映画「ハイヒール」の音楽担当は坂本龍一である。)
そして二、三日前、ようやく本格的な冬の寒さにかじかんでいた脳の配線が復活したのだろうか、長谷川きよしの「別離」とルス・カサルの「Un año de amor」は同一の曲だということが天の啓示のように僕の意識に訪れた。情けない、言葉が違うとメロディの同一性も容易に認識できないとは、まるで髪型が違うと同じ女性だとわからない男のようだ、自らの審美感の不能さを嘆くべきか、あるいは男は皆女性にたいする置換性の自由度が最大になるように遺伝子が構築されているから仕方がないのかは、今後の進化人類学の見識に任せるしかない。
この「別離」という曲、日本で歌ったのは別に長谷川きよしが最初ではなく、越路吹雪や岸洋子などのシャンソン、カンツオーネ歌手が1960年代に歌っていたこともわかった。おそらくこのジャンルの歌手達には定番だったのだろう。原曲はイタリア語で「Un anno d'amore」、1965年にイタリア人のミーナ(Mina)が歌っている。ミーナというと「砂に消えた涙」を日本語で歌って大ヒットしたので、覚えてる団塊世代もいるだろう。
と思っていたらまだ終止符ではなかった、というとまるでホラー映画でやっと息の根を止めたと思った怪物が何度も蘇生する、あるいは矢吹ジョーが打たれても打たれても立ち上がってくる、そんな感じだが、ミーナが歌っていたのはカバーで、原曲はなんと男性歌手ニノ・フェレール(Nino Ferrer)によるものだった。イタリア人の父とフランス人の母の間に生まれたニノはジャズやゴスペル音楽の影響を受けて、1963年、29歳のときに4曲入りのレコードを出した、そのなかの一曲が、C'est irréparable(作詞・本人、作曲・VERLOR GABY)、これをUn anno d'amoreとしてカバーしたのがミーナだった。皮肉にもフランスで発売されたニノのレコードは大して売れず、ミーナのカバーはイタリアで一位になった。
IMDB.COMという映画紹介のサイトがあり、そこでペドロ・アルモドヴァール(Pedro Almodovar)の映画「ハイヒール」の出演者とスタッフの詳細を調べると、挿入歌「Un año de amor」の作詞はアルモドヴァールによる脚色とある、原曲の作詞者、ニノ・フェレールの名前はどこにもない。詞の内容が大きく変わった秘密がここにあったのだ。もともとは日本語の訳詞で表現されているごく普通の失くしたものへの固執と悔恨だったものを、アルモドヴァールが映画の筋と雰囲気に合うように、執念深い恨みつらみに変えたのだろう。愛憎劇を繰り広げる母と娘の関係を歌で表現しようとして、アルモドヴァールという強烈な個性は単なるメロドラマ風の歌詞では飽き足らず蛇のように絡みつく絆を選んだのだろう、と想像する。
ミーナは元気なようだ。2007年に出したアルバム「Todavía」のなかでスペイン語バージョンの「別離」をアルモドヴァールの書いた詞で歌っている。ディエゴ・エル・シガラ(Diego el Cigala)とのデュエットなのだが、アレンジがフラメンコ調で、スローテンポの「別離」を聴きすぎた耳には心地よく響く。67歳のミーナが念仏を唱えるように不気味に歌う、「y de noche, y de noche」(そして夜に、そして夜に)という部分は怪談「牡丹灯篭」のようだ。嫌いではない。