一三、あとがき



 雪風は天才児牧野茂の設計になり、新兵器逆探は昭和一八年四月備えつ
け、また第一三号対空レーダーも一番早く装備、射撃用レーダーもドイツの
潜水艦で運んで来た。三式探信儀も第一着に雪風といった具合に、科学的新
装備が全部雪風に装備され、恐るべき九三式酸素魚雷を敵の二倍の一六本も
積み、三五・五ノット(約六五キロ)を出していた。

 高橋榮主計長は雪風乗員の力と団結をうたい、藤本敏夫操舵長は乗組員に
根性があったことを第一にあげ、砲術科員の対空戦闘の実力は相当なものだ
ったという。水田政雄機銃長は「歴代の艦長も名艦長であり、訓練はきびし
く幸運と奇跡が重なったのだ」と述べ、中島(後に上村姓)典次先任将校は
戦後、復員輸送の雪風に転勤して来て第一に思ったことは、「この艦は、海
軍の良き伝統が最後まで保たれていた艦で、乗員がしっかりしていた」こと
だった、と述べている。

 戦後、旧乗組員で”雪風会”を組織し、神戸市の久保木尚氏方に事務所を
置き、日夜献身的に奉仕している。東京では、雪風保存準備会事務局の高橋
榮主計長や中川隆義電測士が会のためご尽力されている。

 かつての雪風軍医長として、雪風の栄光を胸にきざみ、往時を懐古し、戦
死者のご冥福と戦友のご多幸を祈るのみである。

 ”雪風よ”永遠に栄光あれ!、

 ”雪風よ”平和の女神として栄光あれ!。

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(台湾の三軍大学に安置されている雪風のスクリュー)

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(駆逐艦雪風にはためいていた戦闘旗、現在祖父の自宅にて保管されています。)



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