の~んびり遠州日記

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井深 大の世界


★★★井深 大の世界へようこそ★★★



1.東京通信工業でテープレコーダの磁気テープを開発
していた頃・・・


テープの材料に何を使うか、
磁性材料に何が適しているか手探りの作業が始まった

最初はご飯を練りつぶして糊にし、ここに鉄粉を
振りまいた

しかし、ノイズばかりで音が出ない

試行錯誤の末、蓚酸第二鉄が良いと判り
神田の薬品問屋を探しまわりやっとのこと
手にいれた

ところが乾燥させる炉がない
そこでフライパンを借りてきて炉の代りにした

磁性粉は出来たが
粉の塗り方がうまくいかない

どこで聞きつけたのかタヌキの刷毛
がいいということで

井深はさんざん歩き回ってこれを手に入れた
ところがこれは全く役に立たなかった

このような試行錯誤を繰り返しながら、昭和二十四年
テープレコーダ試作機第一号が完成した

このときの様子を後に

新しいものを創ろうとする時は
技術的に専門家でなくても、何でも取り入れる
怖いもの知らずの素人だったからがむしゃらに進めた


と語っている

一緒に作業した木原さんは

「目標に向かってどんなやり方でもいいからやり遂げ
ようとする人」という

テープレコーダは昭和二十五年裁判所に24台納入しただけ

昭和三十六年には22万台の出荷
そして小型軽量化を進め
ウオークマンへ繋がっていった




2.科学少年だった井深が子供のころ作ったのが無線電信機
かすかに聞こえてくる音に胸が高鳴った



早稲田に入学、
極東オリンピックに備え教授の依頼で
拡声装置を明治神宮外苑競技場に設置した

そして理工学部三年
光の強さを音の強弱にあわせてコントロールする研究を行い、
ネオン管に流す電流の周波数を変えると光の長さが変化するのを発見した

井深はこれを、 走るネオンサイン として特許を取得し
一躍学生発明家として名を知られた

一方、読書でもあり一時は作家を目指したこともあったという

さらに音楽にも興味がありキリスト教の洗礼を受けたあと
賛美歌を教える役目もあった

日曜学校の生徒の中に、浜口庫之助がいた
「浜口さんに歌を教えたのは僕だよ」といった事がある



その頃を回想しながら

ダ・ビンチは芸術家であり、夢想家であり、
幻想家であったわけですよね。感性というのは技術に結びつけると
大きく飛躍します。枠の中からどうやって飛び出すかがポイントですね


と語っている


3.今から十年以上前、いやもう少し前かもしれない
ちょうどバブルの最盛期


井深はこんなことを語った


物だけで、ものを考える時代は終わった
これからは、心と意識を考えたもの造りの時代だ


その背景となったのが昭和の終り頃
幼児開発セミナーの講演にある

「先の大戦に負けたことで日本は大変革をすることになりました
あの戦争のいやな思いを繰り返したくない

食べ物がない、住む家がない、着るものがない
このような生活は二度としたくない

日本中の全ての人が持った心根だと思います
したがって、物というものにそれまで以上に執着したのです

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物を手に入れるにはお金がいる
そこで何がなんでも、なりふり構わず金儲けしよう
そういう思いだったのです」

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「日本はこの百年、物質主義に毒されてきた訳で
そのことは反省しなければならない

もっと早く、日本経済に見通しがついた
昭和四十年あたりから物質主義を見直す
べきだったと思います」

日本は経済を豊かにするために、物を作り成長してきたが
これからは、心を豊かにする人を育てなければならない
と考えていたようです


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まだたくさん逸話がありそうなので
そのうち紹介します














井深 大













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